レオ・アッティール伝I 首なし公の肖像

一章 レオ公子 ⑤

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 年月がった。

 レオは十七歳になった。

 アトール公国から人質として預けられること、実に六年。時折、様子を見るためにアトールから使者が訪ねてくることはあったが、帰国の許しは出なかった。

 ここ数年で、武力をもって領土を急速にかくちようしたアリオンだった。レオが人質となるきっかけとなった争いも、現アリオン王がにわかに見せたけんへの野心にもとづくものだ。しかしそのため、支配地域においてもたびたびそうらんが起こった。ただちに軍勢をけんして火消しをしても、すぐにまた残党勢力が結びつきあって小さなだねをあちこちにまき散らす。

 たとえば年始の祝賀の際や、いっとき父の公王が病気にせっていると知らされたときなど、一時的にでもレオが帰国を許されなかったのは、アトールのような小勢力であってもけいかいせざるを得なかったアリオンの現状がある。

 さらには、ここへ来て新たな火種が生じつつあった。

 レオたちとも無関係ではない。長いことアングラット家のそくらの教育係をつとめていたコンスコン寺院のそうりよが、とつじよとしてやかたおとずれなくなった。


(アリオンと寺院との関係が悪化しているらしい)


 ということは、人々のわすうわさでレオも聞き知っていた。

 しかしそれが、運命の大きな変容をわが身にもたらすことになろうとは、思いもよらぬレオである。


 アングラット家の兄弟は昨夜からうわついていた。

 都から『船』がやってくるというので、その見物にいく予定なのだ。兄のウォルターは二十二、弟のジャックもになっている。見た目ばかりはぐんと大人びたが、気性からは子供っぽさがけ切らない。翌日、


「お兄さまたちったら、夜も明けきらないうちからたきに出かけたみたいです」フロリーがあきれ返った様子でレオにそう告げた。「どうせ見物人が押し寄せてくるから、いい場所を早いうちに取っておくんですって。先生がいらっしゃらなくなられたからといって、羽目を外しすぎだと思いません?」


 そうはいうものの、フロリーも気をそそられていたらしい、朝食後、


「レオ兄さまもいっしょに参りませんか」


 と、『船』見物にさそってきた。

 先日来訪したアトールの使者がレオのために書物を何さつか持ってきてくれていたので、それを一気に読んでしまいたかったのだが、息をはずませるフロリーの様子を見ては断りきれなかった。

 十日ほど前、フロリーの可愛かわいがっていた馬が足を折ってしまい、さつしよぶんされたばかりだった。フロリー自身に乗馬の習慣はないが、もともと動物の世話をするのが大変好きであり、特にそのめすうまのことをフロリーは『ひめ』と呼んで、生まれたときからずっと世話を引き受けていたのだ。フロリーは決して人前では泣こうとしなかった。しかし朝をむかえるたび大きな目が赤くれていた。そんな目をしながらも、家族の前では元気をよそおってほほむフロリーを見てきたレオだ。少しでも彼女の気が晴れるなら、とつきあう気になった。


「見て、レオ兄さま。すごい人!」


 滝を正面から見ることのできるおかには、フロリーのいうとおり人だかりができていた。城下町だけでなく、きんりんの村々からも集まっているのだろう。

 かつては国境線ともいわれたバーレー川が勢いよく流れくだり、その周辺に小さな湖が形成されている。滝の音もあって、辺りはすでに相当さわがしい。兄弟もこの人だかりのなかにまぎれているのだろう。

 レオとフロリーはそのさいこうからもややきよを置いて、滝を見おろせる坂道の上に並んで立っていた。

 湖にそくせいさんばしがかけてあるのが見える。大勢の人がごったがえすなかにあって、そこばかりはぽっかりと人が絶えていた。その代わり、やりじゆうを手にした兵たちが桟橋の左右を固めている。城主のクロード・アングラットが直接『船』からの使者をむかえるためである。


「ほら、あそこにお父上がいらっしゃる」

「どこ? レオ兄さま」


 フロリーがびしたり、ぴょんと飛びあがったりしているが、人があまりに多いので目にすることができないらしい。レオはうすく笑った。


「おんぶしてあげようか」

「知らないっ」


 フロリーはふくれっつらになった。

 十七歳になったレオはたけがずいぶんと伸びて、アングラット家次兄のジャックをすでに追いいている。ただしよこはばの成長が追いついていないため、見た目にはひょろりとして、弱々しい印象をあたえた。滝のほうからきつけてくる風に飛ばされてしまうのではないかというほどだが、連日激しいたんれんを課している身であるから、見かけよりもあしこしはずっとしっかりしていた。

 とはいっても、幼年時代から女の子にまちがえられるほどだったせんさいな顔のつくりはそのままであり、たとえ腰に護身用のけんを差したところで、とても武人らしい姿には見えない。

 風になぶられてれるくり色のかみが長かった。アリオンの都周辺はともかく、この地方にも、そしてアトールの男性社会にも髪を長くする習慣はないから、これまではますます女性めいて見えてしまう、と何度か切ろうとしたのだが、


「まあ、もったいない」とフロリーに必ず止められた。「このやわらかで繊細な髪質、都の女性たちとてうらやましがるでしょう。毎朝の手入れがおつくうなようなら、このフロリーが兄さまに代わっていたしますゆえ」


 その宣言どおり、フロリーは毎朝張りきった。かくれする『レオ兄さま』を引きずってでも鏡台の前に連れていき、たんねんにくしけずる。必要なようなら時折ハサミも入れて、そしてその時々の気分だいでいろいろな形に編み込んだ。

 クロード・アングラットはその出自が狩人かりうどであったという話だが、妻のエレンはそれなりにゆいしよある商家の出である。また、家族のなかではゆいいつバーダイン教徒であった。むすめのそんな姿を見とがめて、


「フロリー、輿こしれ前の女性が、みだりに男性の身体からだれるものではありませんよ」


 注意の声をあげるものの、だん、年ごろのむすめにしてはめずらしいほど父母に従順なフロリーが、ことレオのこととなると意固地になる。たきからの風に揺れるレオの長い三つ編みも、今朝、出かけるまで時間がないというのにフロリーがてきぱきと編み込んだものだ。

 レオがこのアリオンへやってきたとき十を数えるばかりだった女の子は、いまや十六になる日も近い。「新しいお兄さま」とはじめて会ったときからレオをそう呼び、にこにことじやむかえ入れていた子も、こうして外へ出かけるたび、すれちがうろうにやくなんによが思わず足を止めて、


(やあ、おやかたさまのごそくじよだ)


 ほほみとともに見入ってしまうほど、美しいむすめへと成長していた。

 こうしているいまも、ちらちらと人目が送られている。生来、人の目にさらされることが苦手なレオにしても、なんとはなしにほこらしい気分になった。


「フロリー、寒くはないか」

「いいえ、平気です。レオ兄さま……あっ」


 フロリーが高く声をあげて、空の一点を指した。集まった人々もそろって同じ位置を見あげ、同じく指差しながら大声をあげている。目当ての『船』がついにあらわれたのだ。この『船』、川を下ってきたのではない。レオやフロリーをはじめ、人々がてのひらでひさしをつくって見あげているように、それは空からい降りてきた。

 りゆうせきせん──俗に、くうせんなどと呼ばれる。