魔道王朝の遺産である魔素を噴出し、地磁気と反発作用を起こすことで浮力を得ている船で、その通り名どおりに空を舞う。古来、一人乗り用の小型飛空艇などは、伝令用や物見用に戦場で広く用いられてきたが、いま空にあらわれた船は、反り返った舳先からエンジンを有する最後尾までの全長が二十メートル以上。
飛空船に関する技術はここ数年で格段に飛躍を遂げたといわれ、こうして十数名ほどの人間を乗せて空を航行することのできる船が大陸各国で建造されている。
アトールの公子であるレオも大型船を目の当たりにするのははじめてのことであり、ましてや田舎と呼んでも差しつかえのないこの地方の人間などは、飛空船そのものを目にするのもはじめてであろう。年齢を問わずして人々は大きな喝采を送ってこの船を迎えた。
アリオンが領地にして日も浅いこの地区には飛空船専用の発着場がない。そこでクロードは都から飛空船来訪の知らせを受けたとき、このバーレー川の湖を利用することを打診した。
船は、見物客が焦れるような速度で降下。それでも派手に水しぶきをあげつつ、着水に成功した。
歓声が降り注ぐなか、船の内部から小型の飛空艇があらわれた。人が立って操作する類のもので、外装もほとんどなく、座席に直接エンジンがついているような質素さだ。ただし貴人が短い距離を移動するためのものであるから、これも人々にとっては珍奇なものである。
こうして飛空艇で桟橋に降り立ったのが、今回、クロードが迎えた客人らしかった。
遠目にも若い。まだ三十にはなっていないだろう。しかし自ら出迎えたクロードは丁重な態度で接している。
聞けば、都のほど近くにわずかな領地を持ち、兵を指揮する将軍の地位も同時に得ている人物らしい。名は、ヘイデン・スウィフト。今回、関係の悪化しつつあるコンスコン寺院との調停役に選ばれた貴族なのだという。そのため、いったんこのクロードの城に逗留することとなった。
レオは目を細めてこの人物をよりよく観察しようとしたが、
「わたし、あの方の前で歌をご披露しなければならないんです」
フロリーがいった。今夜開かれる歓迎の席において、父親にどうしても「歌ってほしい」と頼まれたらしかった。
「それはいい」
レオは笑顔でうなずいた。が、フロリーはまたも膨れっ面になる。
「いいことなんか、これっぽっちもありはしませんわ」
「どうして。フロリーの歌は聞く人を幸せにしてくれる。ヘイデンさまもきっとお喜びになられるだろう」
「レオ兄さままでそんなこといって、フロリーに意地悪するのだから」フロリーは恨めしげにレオをにらんだ。「あの方は王家に遠からぬ血筋と聞きました。王宮には専属の楽団や歌手の方がいっぱいいらっしゃるのよ。いまの国王さまはことのほか音楽がお好きで、アリオン本国はもちろん、噂を聞けば外国からも招き寄せられるのだとか。そんな名だたる方々の歌声と比べられるフロリーを哀れんでくださいませ。きっと、なんて貧相でちっぽけな歌声だろうと失笑されるに決まっています」
見た目ばかりは娘らしくなったフロリーだが、すねる姿は子供のころと変わらない。
「フロリーはフロリーらしく堂々と歌いあげればいい。変なところに気をまわしすぎると、萎縮して、実力の半分も発揮できなくなるよ」
レオはなだめすかした。
その夜。
ヘイデン・スウィフト歓迎の宴には、クロード将軍やその息子たちとともに、レオも同席した。ちなみに、ヘイデン自身は供の者を一人も宴には連れてこなかった。
近くで目の当たりにするヘイデン・スウィフトは、まるで老人のようだった。
見た目の話ではない。むしろ姿かたちはさぞアリオンの宮廷女たちを騒がしているだろうというほど、いかにも貴公子然としている。
ただ、その雰囲気が暗かった。口数は少なく、クロードがあれこれと話をしても、いっこうに興が乗った素振りを見せない。無表情、無感動の極みで、これが実際の若さにも似ず、なにやら老成したような雰囲気をかもしている。
それが、妙にレオの関心をそそった。反感なのか、あるいはまったく逆に好意なのか、自分でもわからない。クロードの息子二人はというと、ヘイデンの態度がなりあがりの父親を見くだしているように感じたのだろう、最初から反感を抱いたようだったが、相手が相手なのでさすがになにもいえず、むっつりと食事をつづけている。
そして一杯、二杯と酒が進むうち、ヘイデンの目もとに垢のようにこびりついていた暗さがより増してきた。悪いことに、彼はその段になってレオの存在に関心を抱いた。
「アトールの公子どの。ここアリオンにいらして、どれほどにおなりか」
注目されたことにどきりとなりながら、レオは咳払いを一つして答えた。
「六年と少しになります」
「六年。──長いな」ヘイデンは芝居がかった様子で、レオの過ごした六年を味わうみたいにいったん目を閉じたのち、「わたしではとても耐えられぬ。さぞおつらかったであろう」
「いえ。アングラット家の方々によくしていただいておりますので、つらいとまでは……」
「いやしくも公王家に生まれついた方が、故国や家族から力ずくで切り離され、虜囚まがいの扱いを受けようとは。わたしでは耐えられぬ。いや、わたしではない、わたしの身体に脈々と流れる歴史の大河、その血筋が決してこのような恥辱を許しはしないだろう」
「恥辱。恥辱などと、わたしは」
「なぜ討ち死にせなんだ?」
突然斬りつけられ、それこそ束の間の死を迎えたかのように、レオは息一つできなくなった。ややあってから、
「どういう……、どういう意味で仰せです」
「アトールとシャザーンは申しあわせてアリオンの領内に火をかけようとした。それがたとえあと先考えぬ、物事を見る目のない蛮人の愚行であると後世から処断されようとも、行動を起こしたからには、アトールとシャザーンにはそれなりに考えも意気込みもあったのであろう。当然、覚悟もだ」
「スウィフトどの」
クロードがあいだに割って入ろうとするのだが、端からヘイデンは他人の声など耳に入っていない様子だ。
レオを注視しつづけている。その視線は、まるで、どろどろと渦を巻く黒雲の向こうから白く瞬く稲光のようだった。
「敵の首を刎ねるか、おのが首を刎ねられるか。──その覚悟がなければ貴人は剣を手にしてはならぬのだよ。それが、旗色が悪くなると見るや、アトールはあっさり和睦の使者をよこしてきた。そのおこないにも、言葉にも、いや気息一つにいたるまで、重みというものがまったくない。そうさな、はした金で足を開く商売女も同然の軽さだ」
レオが激しい勢いで席を立った。
この少年には珍しく、顔が憤怒の感情に張り裂けそうだ。クロードの息子二人が、レオの顔を見て揃って息を吞んだほどだった。
クロードも席を立ちかけた。いかに王族に近しい人間とはいえ、さすがにいまの言葉は度を越している。一方、ヘイデン・スウィフトは少年の怒りをつまみにするかのごとく、彼の顔を見据えながら酒杯を傾けた。
「なにを怒ることがある? これまでの六年、貴公は虜囚の辱めに耐えてこられたのだろう。いま、わたしが口にしたことなど、周囲の人間すべてが無言のうちに胸に抱いていた言葉そのものだ。それに気づいていなかったともいわせぬ」
「取り消していただく」
レオは、自分が発する声が、身体を通してではなく、まるで頭のてっぺんから鳴りひびくように聞こえた。それに対し、
「断る」
とせせら笑ったヘイデンの顔は、血の色に染まったレオとはまったく対照的に、血の気が引いて青ざめている。
レオがヘイデンのもとへ足を運ぼうとした。なにをするつもりでいるのか、自分でも定かではない。というよりも、この瞬間、レオは自身の荒れくるう感情の正体さえもはっきりとはつかめていなかった。