レオ・アッティール伝I 首なし公の肖像

一章 レオ公子 ⑦

 当然、生まれ故郷をつうされて笑える者もなかなかいない。が、レオは一時はアッティールのせいを捨てることすら考えていた身なのだ。このときレオはほかのだれにも打ち明けぬまま裏で意気込んできたこと、はげんできたこと、そのときの心地ここちよさすべてを否定されたような気持ちになっていた。


(おまえはアッティールなのだ、どうしようもなく)


 と、例の黒いささやいてきたかのようだ。

 対するヘイデンも、半ばこしをあげて応戦の構えを見せた。クロードがそうほうのあいだに割って入ろうとしたとき、


「まあ。……いったい、なんのさわぎですの?」


 着かざったフロリー・アングラットが広間に姿を見せた。


 準備に手間取った、とフロリーはおくれた言い訳を口にした。

 が、早くも息が乱れがちな様子や、のように赤く染まったほおを見るまでもなく、客人の前で歌をろうするりがなかなかつかなかったのだろう。ずっとつきっていた母の手でごういんに背を押されて、ようやく入場にいたったようだ。

 ともあれ、クロード・アングラットはそんなむすめを責めるでもなく、むしろ心底ほっとした様子で娘をヘイデンに引きあわせると、丁重なあいさつをさせた。

 ヘイデン・スウィフトも礼節をもって返した。いったんそれで毒気がけたのか、先ほどの青ざめた顔もどこへやら、けろりとした顔で、


「レオどの。いささか言葉が過ぎたようだ。わたしは酒の席での失敗をとがめられることが多い。無作法者のあきれたあくへきだと笑ってくださらぬか」


 そうまでいう。

 レオもほこを収めるしかない。むっつりとした顔で自分の席へもどった。

 フロリーはきんちようおもちで一礼した。右の手で、人差し指と親指で輪っかを形づくると、それをあごの先に当てる。これは、バーダイン教徒がよくやるおまじないの一つだ。緊張を取りはらう効果があるという。フロリーの母は、アリオン領内にはめずらしくバーダイン教徒の多い集落で育った。夫や子供たちにかいりつを強制することはなく、また、彼女自身、それほど厳格な信者というわけでもなかったものの、こういったおまじないはフロリーがおもしろがったので、母からむすめにいくつも教えている。

 歌がはじまった。せいれいささげる感謝の歌だ。精霊しんこう盛んなアリオンにおいては、王族貴族たちのみならず、土を耕すひやくしようにしても、けもの狩人かりうどにしても、身の回りの暮らしに精霊が密着していると信じており、こういう歌などは、場末の飲み屋でもぱらいたちが調子っぱずれの声で歌いあげていたりする。

 要するに、ありきたりな歌だ。

 その後、かんげいうたげは何事もなくしゆうりようしたが、


みようななりゆきになった)


 クロードは頭をかかえる羽目になった。

 まずそつちよくにいって、フロリーの歌は成功したとはいいがたかった。昔は家にやってきた当初のレオにさえあかるく声をかけていたフロリーだったが、としを重ねるにつれて人見知りの面が高じてきた。客人が来るとなると、自分の部屋に『ろうじよう』して一歩も外に出たがらない、というようなことが多々あった。

 そうした面を多少はきようせいしてやらねばならない、と思うからこそ、ヘイデン歓迎のえんせきにもむすめを引き出したのだが、やはり緊張はかくしとおせなかった。家族の前でだと、兄二人にびようをさせ、口笛をかせながら実にのびのび歌うというのに、あの晩は、本来ふくよかな声はふるえてかすれがちになり、自由なよくようも失われて、所々音も外してしまった。

 フロリーも自覚があってか、歌い終えるとすぐに退室した。娘には気の毒をさせた、と思っていたクロードだが、案にそうして、ヘイデンはこの出しものに満足した。

 ──どころの話ではなかった。

 レオに当てこすりをいっていたときを除いて、何事にも無感動、無感情をつらぬいていたヘイデンだったが、フロリーがけんめいに歌いあげるその様に、目を大きくみはり、口をぽかんと開けて、熱にうなされたかの様子でれた。

 要するに、ひとれをした。

 ヘイデンにはすでに妻がある。ゆいしよ正しい血筋の妻で、子も二人もうけていた。だというのに、翌日、ヘイデンはクロードの部屋を一人きりで訪ねると、しんした。


「フロリーどのに王都の教育を受けさせてはいかがであろう」


 という。


「フロリーどのの素質、才能が花開くよう、無論わたしが責任を持ってお預かりする」


 そくしつにくれ、とはいわない。が、結局は同じことだ。教育を受けさせるという名目で近くに置きながら、宮廷で名のある貴婦人のそばづかえにでもしてはくをつけさせたのち、やがては自分のものにするつもりでいる。

 みようななりゆき、とはこのことだ。

 実のところ、これはクロードにとっても決して悪い話ではなかった。歴史の長いアリオンのこと、クロードのようにいつぺいそつの身分からなりあがった男に対しては、自然と中央からの風当たりも強くなる。

 いまは一城を預けられている身分ではあるが、その城とて国境に複数あるとりでに毛が生えたていどのものに過ぎず、当然領地から得られるめぐみなどごくわずかなものだ。また、この領地とて、アリオンが切り取ったばかりの土地なので、情勢が落ちつくまではクロードに任せているものの、ほんさんぞくばつなどが一段落してどうやらここが国境線に定まりそうだとなれば、砦をいくつかがつぺいさせて大きな領地にまとめる算段となり、クロードなどは用済みになりかねない。

 アングラットというせいに関しても同じようなもので、これは城をもらい受けたとき、歴史ある名士の姓をそのままゆずられた格好だ。つまるところ、クロードの立場はまだまだ心もとない。

 一方、ヘイデン・スウィフトは中央に近い人物である。王族のしよから連なる血族であるため、貴族としての名も将軍としての立場もほとんど名目上のものであるが、それでも血筋は強い。国王と個人的に親しいあいだがらであるとも聞く。クロードのようななりあがりならなおのこと、中央とのつながりを持っていて決して損はなく、ヘイデン自身、それをほのめかした。


「クロードどのほどのご器量なれば、王都において軍の一角を束ねる地位にもつけるはず」


 とまでいった。

 クロードの心がれた。なりあがりのクロードには、物語めいた立身出世を夢見るがまだ残されている。中央からはなれた砦のいちたいしゆで終わるつもりもなかった。

 が──、ヘイデン。

 レオを、正しくはアトールをとうした場面がおくに色い。ヘイデンに関しては、王都のほうからいくつかうわさを耳にすることもある。アリオン現国王に近しいのは事実で、また、国王も妙にこの男がにくめないような態度を取っているとは聞くものの、なかにはよからぬ話もいくつかあった。クロードには、立身出世を夢見る稚気と同様以上に、むすめに娘らしい幸せを願う、しよみんめいた親心もある。


「あれは親のわたしが手を焼くほどに引っ込み思案の娘。もう十六になろうかというのに、昨夜の歌でも十分おわかりのとおり、どうにも見知らぬ人間が苦手でならない。無論、申し出は飛びあがるほどにうれしい心持ちのするものですが、あのフロリーにはなやかなりし王都の暮らしがあいますかどうか。その話はまたのちほどに」


 遠まわしに断った。

 ヘイデン・スウィフトはとうりゆうの期間を延ばしてでもこうしようをつづけた。そのうち、クロードやヘイデン本人がらしたわけでないにせよ、そのことに関するうわさがレオたちの耳にも聞こえはじめていた。


「なりませんぞ、父上」

「当然、なりませぬ」


 ウォルターとジャックが声をあららげた。時折、大人しいフロリーをからかっては泣かせることもある二人の兄だが、妹への愛情には並々ならぬものがある。

 当のフロリーはというと、話を聞くなり顔を真っ赤にして、それ以来ヘイデンと同席することをけるようになった。

 ヘイデンもあきれるくらいにねばった。クロードもなるべくなみかぜ立たぬような言葉と態度を選んでいたものの、それではヘイデンの情熱に油を注ぐ一方だと思い知って、


「実は、むすめにはすでに心に決めた者があるようで、その者とはなばなれになってまで王都へおもむくことを承服するかどうか」


 そんなきよまで口にしてみせた。

 それでもなかなかあきらめようとはしなかったヘイデンだが、そのうちにコンスコン寺院との会合の日が近づいてきたので、やむなくこの城をあとにせねばならなくなった。

 しゆつたつの日。

 クロード親子、そしてレオもともに見送りに立った。

 バーレーの湖にはふたたび人だかりができている。今度は、船が飛びあがる様をひと目見ようというのだ。

 ヘイデン・スウィフトはえんせきのときと同様、いざとなればけろりとした表情のできる男で、じよさいない態度で礼を述べたのち、さつそうとした足取りでくうせんへと乗り込んだ。

 が──、

 レオ・アッティールは、最後に、ヘイデンがちらりとこちらによこした視線を長いこと忘れられずにいた。

 ほほみこそ浮かべていたものの、そこには、かくしきれない敵意がひそんでいるように、レオには見えたからだった。