盛大な拍手と口笛が新顔を歓迎した。赤ら顔の男たちが足踏みをして、杯をテーブルに打ちつけまくって歓声をあげる。いまやザッハの──というより、大陸中の定番だった。
ミルド人が太古の時代に崇めていたという邪神カダッシュをふたたびこの世に降臨させ、全土統一をもくろんだランドール王国。先ほど触れたように、ザッハはまさしくランドールの侵攻を受けた土地だ。
誰もが、昨日までの生活と、明日への希望を根こそぎ奪われた。国民すべての命が邪神への供物になるのだと、老人から幼い子供にいたるまでそう信じかけたとき──。
神の奇跡が地上に舞い降りた。突如あらわれた六人の英傑が、邪悪の支配に「否」と声を揃えたのだ。力ずくで信仰を強要しようとする狂信者たちにはそれ以上の力をもって報いて、友や家族を失った者たちの涙と嘆きを力に変えた。六人の筆頭は、いうまでもない、
「〈運命の勇士〉アレフ」
吟遊詩人がその名を高らかに歌うと、店中の人間たちが唱和した。酔っぱらいや娼婦たちはもちろん、いまのいままで汚いテーブルに突っ伏して眠りこけていた老人も、常に歯痛をこらえているような表情の店主も、残飯が出るのを期待して店の出入り口や窓からひょいと顔を出しては店員に追い払われていた宿なしの者たちも──皆が皆。
「〈竜戦士〉ギュネイ」
「〈最後の聖堂騎士〉ジューザ」
「〈純潔の聖女〉エリシス」
「〈賢者〉ケイオロス」
「〈星落としの射手〉アー・シェ」
六人の名をそらんじられない者など、いまやこの大陸にはひとりとして存在しないだろう。
彼らはランドールの強大な軍勢に立ち向かい、邪神の眷属たる魔獣を次々討ち払った。吐き出す息が火炎になるという竜人も、魔界との契約で不死を約束されたという騎士も、手をひらめかせるごとに信徒を魔獣に変える司教も、彼らは恐れなかった。
六人の戦いをきっかけに、いったんはランドールの侵攻に屈しかけていた諸国も立ちあがった。足並みを揃えて各方面から軍勢を進めてランドール包囲網を築きあげたのだ。
六英雄たちはその間隙を縫って、ランドールの都──邪教の総本山バン=シィへと向かい、そして見事、『この世にもっとも近づいた神』カダッシュを討ち取った。
ランドールは滅んで、世界は安寧を取り戻した。なによりザッハの民が誇りに感じているのが、一度は王家さえ失ったこの国こそが、〈運命の勇士〉アレフに、〈竜戦士〉ギュネイ、〈最後の聖堂騎士〉ジューザと、六英雄のうち三人をも輩出したことだ。
吟遊詩人もそのあたりは心得たものだった。
通常、この手の『六英雄物語』は、エレィノア国の王女であった〈純潔の聖女〉エリシスが、神の天啓を受けて故郷を旅立つ場面からはじまる。邪神を退けたすべてのきっかけが六英雄にあるというなら、そもそもこの英雄たちを見出したのは、エリシスその人だからだ。
今宵の吟遊詩人はしかし、ザッハ人がいちばん聞きたいであろう場面から物語をはじめた。とある貴族の城に監禁されていた運命の少年アレフが、エリシスに救出されて、追っ手から逃げている場面だ。
旅慣れしていない二人は、ほどなく傭兵崩れの追っ手どもに捕まる。若い二人の名誉も貞操も命も奪われるかに思えたとき、そこへ、全身に輝く甲冑をまとった男が、長い髪とマントを風になびかせながら救援にあらわれた。彼こそのちに〈竜戦士〉と呼ばれるギュネイだ。
「悪党どもめ。麗しき聖女と穢れなき少年を、貴様らごときに傷つけさせはせぬ」
ギュネイは馬を巧みに操りながら、槍をもって傭兵崩れどもを一瞬にして突き伏した。
竜によく似た兜で顔をひた隠しにしていたというギュネイは、その正体を巡って諸説ある。それこそ英雄伝説を歌う詩人が百人いれば百通りの説があるといった具合だが──すでに死んだと思われていた英傑だとか、ミルド人貴族の末裔だとか、〈星落としの射手〉と同じで実はランドールの武人だったとか──、吟遊詩人はそこも手馴れたもので、ザッハ人がいちばん好む説を採用した。
すなわち、ランドールによって滅ぼされたザッハ王家の生き残りであり、血族を皆殺しにされた復讐のために剣を取ったが、民と都を守るという王家の責務を果たせなかった恥辱ゆえにその顔を常に覆い隠しているのだ──という説。
この説は、ザッハ人の王家への愛着を満足させ、一度は滅ぼされかけたという痛みを癒してくれるばかりでなく、『顔を隠した貴公子』といういかにも物語にふさわしいモチーフが、ロマンチストたちの想像力を刺激してくれるのだ。
その証拠に、ギュネイのくだりになると、ご婦人がたの顔がうっとりとなる。いつもは持ち前の手管で旦那衆の持ち金すべてふんだくろうとしている娼婦たちでさえ、手を組みあわせて、乙女のように頰を朱色に染める。
「ああ、おいたわしい、ギュネイさま」涙ぐむ女とていた。「王家の恥辱など、気になさらずともよいのに。ああ、麗しきそのご尊顔をひと目でも見せてくださらないかしら」
酒場中の人々が歌に聞き惚れているなか、例の、ジャックという若者と髭をたくわえた年配の男だけ、様子がちがっていた。ジャックは黙々と、男は相変わらずにやついた顔をしながら気の抜けたエール酒を飲み、素っ気ない味をした料理を口に運んでいる。
「マントと長い髪を風になびかせた貴公子とはなあ」
男がくっくっと笑う。ジャックはジャックで、
「ガイフレイムをつけたのはあんたと出会って以降だよ。それまでは普通に顔だって出してたし、髪を長くしたこともない。それに、城主の追っ手からアレフたちを守ったというのもまちがってる。逆に、あいつらを襲った一団の側だったんだから」
意味のわからないことを腐ったようにつぶやいている。
「名前がよくない。『ギュネイ』ってのは本来貴族の名前なのさ」
そういった年配の男は酒場の入り口に目をやって、
「ひとつ予言をしてやろうか」と声をひそめた。「いまから〈竜戦士〉、もしくは仮面の貴公子ギュネイさまがここにおいでになるぞ」
まさか、ともジャックはいわない。邪神を滅してこの世に平和をもたらした六英雄のひとりが、こんな片田舎にあらわれるはずもない。
誰しもそう思うだろうが、髭をたくわえた男の予言はほどなくして的中した。
吟遊詩人が英雄物語でよく知られる場面をいくつか歌いあげたのち、
「ここで、紳士淑女の皆さま方にぜひご紹介したい方がいらしています」
と一礼すると、武装した男たちが数名、店内に入ってきた。何事かと騒ぎはじめた客たちは、しかしすぐに目を剝いて、そのあとにつづいて入店してきた人影に注目した。