2
では、『ジャックという偽名を使っているギュネイ』をからかっている髭の男は何者か。
彼こそ、〈運命の勇士〉アレフたち一行が『ミルド人たちの墓所』にて出会い、それから行動をともにすることとなった〈賢者〉ケイオロスだった。
そう、いまや生ける伝説といっていい、邪悪な神を討った六英雄のうち二人までもが、この安酒場に顔を出しているということになる。
笑い話にもならない。
ここで『ジャック』が「われこそが〈竜戦士〉ギュネイ」などと名乗ったところで、酔っぱらいの戯言だと無視されるか、笑われるだけだろう。悪ければ袋叩きにあいかねない。
ケイオロスは改めて、半ば眠そうにしているギュネイの顔をとくと見つめた。
貴公子などとはとんでもない。まず、生まれはこことそう大差ないザッハの田舎村だ。実は名の知れた貴族の落とし胤、ということもない。いっさい。
つづいて見た目。醜男とはいわないものの、英雄物語を読んだり聞いたりしたあと寝床に入った婦女子がたが、その素顔を想像してうっとりとため息を洩らすたぐいの美青年でもない。決して。
英雄伝説にて語られるギュネイは、一行のまとめ役のように語られることが多いが、それもとんでもない。彼はわずか十九歳。一行のなかでも、〈運命の勇士〉アレフに次いで若い。
現在、樵や石切り、石運びで日銭を稼いでいるというが、確かに、『聖なる槍を手にして世界を救うべく邪神と戦う』というよりも、そうした労働に従事している姿のほうがよほどしっくりくる。つまりは、その辺の村々を出歩けばどこでだって出会いそうな若者ということだ。
が、それをいうなら、ケイオロスだって〈賢者〉の二つ名はいかにも似つかわしくない。
だらしない姿勢で椅子に腰掛けて、エールをぐびぐびあおりながら、時たま毛脛を搔いている。
この男、〈賢者〉と持ちあげられる以前も、〈大魔術師〉〈神を欺く隠者〉〈悪魔の遣い〉などと様々な異名で呼ばれていた。見た目に反して、凄まじい魔術の使い手であることは、いまも高らかに歌いあげられている英雄物語にあるとおり。
が、物語というものはどうしても尾ひれがついてまわるものらしく、ケイオロスが魔獣の大群と戦った際、さっと手を振りかざすと晴天を二つに裂くような稲妻を呼び出した──というひと節を耳にして、
「晴天から稲妻を呼び出すのは骨が折れるな」
とこぼした。ジャック──という偽名を使ったギュネイが、からかわれていた反撃とばかりに口を出す。
「さすがの〈賢者〉さまにも無理ってこと?」
「無理とはいわんまでも、確実に寿命は縮まるだろうな」
ケイオロスは片頰を歪めた。笑うと、どんな感情に起因するものであれ、おしなべてせせら笑いに見えるのがこの男だ。
「魔術の発動とは、おのれの意志で世界を書き換えるということだ。雷雲がすでにあるならそれを借りることもできるが、まず晴天に雷雲を呼び出すところからはじめるのでは、消費する力も大きく異なってくる。この場合の力とは、『意志の力』だ。人を人たらしめているもっとも大きな要素。人によってはそれが魔力でありマナであるともいう。これを消費していく意味、魔法の産物ガイフレイムを着ていたおまえにもわかるだろう」
「確かにあの鎧を着ていると、体力とはちがうものを奪われていく感じはしていた。もし、これがなくなってしまったらどうなるんだろう、って怖くもあったよ」
「意志の力を鍛えれば魔術もまた鍛えられる。だからおれとて常に新たな知識を求めては、その都度思索に励んでおるのだよ。おまえたちに誘われて荒地を出たときは、時間の無駄になるのも覚悟していたが、今回の旅は存外、いい修行になった。いままで考えつきもしなかった思索のネタが山ほど見つかった。たとえば、ランドールの大司教ハーディンだ。彼奴は稀代の悪人として後世まで語り継がれるだろうが、しかし、やらんとしていたこと、実際に半ばほどまでは成功していたあの計画は、このケイオロスをもってしても帽子を脱ぐしかないというくらいのものだ。あれは、ひょっとしたら魔術そのものの歴史を書き換えるかもしれん」
ケイオロスの声に熱がこもりはじめた。長話になる兆候だ。ギュネイは意識して話題を遠ざけねばならなかった。
「話が見えてきたよ、ケイオロス。旅で得た大量のネタと、脱帽もののひらめきを整理するため、これからまた山だか荒地だか、とにかく人が寄りつかないような場所にいって、思索にふけろうっていうんだろ。あんたはいつもそうしたがっていたから」
「うむ」いかにも物足りなさそうにケイオロスは頷いた。「今回の旅で得た思索の山に答えを出すには膨大な時間が必要になるだろうからな。山に篭ってひとり考え抜く前に、一応は『仲間』であったおまえらの顔を見ておこうと思ったのだよ」
ケイオロスは酒の追加を頼もうとしたが、それを見つけた『ギュネイ』──こちらは鎧兜の偽者──に先手を打たれてしまった。どうあっても今日の酒は自分の奢りにしたいらしい。
「顔を見ておこうもなにも、アレフたちはまだ帰っていないはずだろ。あいつらが戻ってきてからじゃ駄目だったの?」
「そう、アレフ、ジューザ、アー・シェの三人は、いまだ〈氷雪の三つ目谷〉へ赴く途上だ。同行させた使い魔に連絡を入れさせているんだが、そのときの思念の交流を介して、いくらかアレフたちとも言葉を交わせた。そろそろ目的地に着くころだそうだ」
六英雄のうち、いま名前のあがった三人は、邪神討伐が成功した直後、なんとしてでも真っ先に英雄たちを歓待しようともくろむ諸国の包囲網をかいくぐってまで、すぐさまランドールを北上、アルギアの荒れ果てた国土を経て、さらにはエレィノア国の北、アムシェイ海峡を渡っていった。その理由は『仲間』たちにしか知らされていない。