「アレフも、たった数か月の旅でいろんなことを経験した。おれは『思索』というが、考えることを山ほど得たという意味ならアレフはおれの比ではなかろうな。なにせ、人生のほとんどの日々を城のなかに閉じ込められて過ごしていた少年が、いく多の戦いと、出会いと別れを通じて、ついには邪神討伐を果たした英雄だ。〈氷雪の三つ目谷〉への旅は、それこそ整理をつける意味でもよかったのだろう。ギュネイ、おまえも同行するものだと思っていたが」
「それも考えたよ」
ギュネイはジョッキに手をつけたが、すぐに手放した。飲み干してしまうと、おせっかいの『ギュネイ』にまた銅貨を使わせる格好の理由を与えてしまう。
「でもしばらく鉄や血の臭いから離れたかった。ジューザたちがついているなら大丈夫だろうし。いや、それをいうなら、いまのアレフより強い奴なんてそうそういないだろうけど」
「昨日には敵兵士を百人屠った豪傑だって、明日には足もとの石に蹴つまずいて死ぬことだってあり得るさ」
「とにかく、疲れたからのんびりしたかったんだよ」〈賢者〉の、わざとこちらをあおるような態度は相手にせず、ギュネイは言葉どおり、いかにも眠そうな目つきでいった。「前から思ってたことだけど、おれにはやっぱり、殺伐とした戦いなんて向いちゃいないんだ」
「向いちゃいないか。それを聞いたら、おまえに討たれた豪勇、つわものどもが、土の下で揃って目を剝くだろうな。ガイフレイムを着て、彼らの声を聞いたらどうだ?」
「だから、それが嫌なんだよ」乾燥したチーズを口に運びつつ、ギュネイはかぶりを振った。「死人の声を耳にするなんて普通じゃない。──さあ、ケイオロス、得意の『思索』のネタを与えてやるよ。どうして普通の人間には死者の声が聞こえないんだと思う?」
〈賢者〉はふたたびにやついた。
「そんないかにも凡人らしい問いかけはネタにもならんぜ。おまえが聞きたい答えを与えてやるのは簡単だよ。──死人の声や願いは、生きている人間にはこの世ならぬ重みになる。いちいち彼らの願いごとを聞き入れていたのでは、普通には生きていけんのさ」
「正解。おれは、死人との約束なんて二度とごめんだ。おかげで血みどろの戦い三昧だった。だからガイフレイムはもう装着しない。これをつけていると、四方八方に死人の姿が見えるし、絶えず声が聞こえてくる。魂との会話なんて、魔術の分野だろ。これだって、おれには向いちゃいなかったんだ」
これと口にするとき、ギュネイは左の手首にはめた古めかしい腕輪を撫でさすっている。
「ガイフレイムは、生と死が同列に存在していた神竜の鱗を用いているからな。装着者が死者の世界と常に触れあっているのもそのためだろう」
「理屈は知らないけれど、たとえば、いまここでガイフレイムを装着したらどうなると思う? ランドール人に殺された魂の数々があちこちで浮かびあがる。そして地上にとどまっている以上、彼らには離れられない理由がある。いいかえりゃ、恨みがある。おれにつらつらその恨み言をぶつけてきながら、『仇をとってくれ』と懇願してくる。おれを、わたしを、家族丸ごとを殺したのは、これこれこういう奴だ、お願いだ、そうでなければこの地上を永遠にさまようことになってしまう──ってさ」
「おまえは真面目すぎるんだよ。死者の声とて、いちいち背負う必要などない。死人と声を交わせるなんて実に便利だな、くらいに考えときゃいいんだ。いっそのこと商売のひとつもはじめちゃどうだ? 『わたしは死者の声が聞こえる力を神より授かりました。お亡くなりになったあなたのご家族や友人と話をしませんか? おひとりさまラム貨一枚から承ります』──」
「いまの冗談、あんたでなきゃぶん殴ってるところだよ」
ギュネイはじろりと隠者をにらみつけた。ケイオロスは太い鼻息を噴いた。
「だから、真面目だってんだよ」
「おれ、もう少し落ちついたら、これをもとの神殿跡に返そうかと思っているんだ」
「ほう」ケイオロスは泡まみれの口を開いて、真実の驚きを表現した。「地上に二つとない甲冑を手放そうとは。本当に、戦いとは無縁の生活をしたいんだな」
「そうだよ。もともと村を飛び出たのだって、友達に手を引かれたからだった。自分ひとりじゃそんな勇気もなかったんだ。その友達がいなきゃ、おれは親父や兄貴からどやしつけられながら大工の見習いをつづけていたはずだ。裏で文句をこっそり垂れながらね。戦いなんて向いてるはずがない。今回で思い知らされた。死者となにか約束をするのも、命懸けの戦いを毎日するのも、不死の戦士をどうやって殺してやろうかと頭をひねるのも、もう二度とごめんだよ。金輪際、槍も剣も取らない」
「代わりに、樵の斧を取るか。それはそれで険しい道のりだろうが」
「多分ね。明日もロブさんに怒られるんだろうな。昼間はもちろん、夜も、さっきみたいに酔っぱらったロブさんにまた絡まれて。はは、これじゃ生まれ故郷にいたときと変わらないな。結局、ゼレーの垂らした糸はゼレーの手に帰る(もとのもくあみ)、ってこと。それでいい。それがおれの性にあってる、ってことなんだよ。だから自分で決めた」
ギュネイは小さく笑った。
(昔はもっと男ぶりがよかった)
とさっきケイオロスが口にしていたが、ギュネイをからかうためにあえて持ちあげたのではなく、〈賢者〉の本音だ。
出会ったころのギュネイは打ちひしがれていた。〈不死将軍〉ゼオとの戦いに敗れた直後だったからだ。が、そこから必死にあがく姿をケイオロスは見てきた。心に飢えたものを抱えた若者が、修行と研鑽と経験を積みあげていっぱしの武人になっていく様を。少年らしかった風貌が変化を遂げていったのも、ケイオロスはよく覚えている。目つきが変わった。口もとが引き締まった。実戦と冒険の日々に子供っぽさがひとつずつ削ぎ落ちていくなかで、しかし成長とはちがった意味で変わってきた部分もあった。
笑う、泣く、怒る──といった感情表現に、どこか虚ろな部分が混じってきた。真剣な議論の場であれ、楽しく会話している場であれ、あるいは敵と正面切ってわたりあっている場ですら、ギュネイの意識のうち、少なくとも、一、二割はその場にとどまっておらず、あらぬ場所を眺めているのではないか、という風に。
(常人離れした激戦の連続ゆえか、それとも死者の魂を背負いつづけた結果か。このまま戦いがつづけば、彼はいったいどうなるか)
ケイオロスはこの歳にして好奇心の塊だ。旅のあいだ、尽きせぬ興味を抱いてギュネイを見やっていた。そして戦いが終わって数か月の現在、
(はて、実際のところ、これもはじめて見る顔だがな。この男をはるばる捜しに来ておいて、〈賢者〉ともあろう者が一瞬見誤りそうになったくらいだ)
たるみきって、締まりがなくなったような顔は、酒に酔ったためなのか、それとも実戦や亡者の声から遠ざかったせいでケイオロスが出会う以前の彼に戻っただけなのか。いまのギュネイは、〈竜戦士〉はおろか、他人と喧嘩をしたことがあるようにすら見えない。額に青い布を巻いているのだが、おそらくこの下に隠されている〈不死将軍〉ゼオにつけられた傷だけが、彼を見た目で〈竜戦士〉だと判別できる唯一の部分だ。
「アレフもそうだが、おまえにも時間が必要かもしれんな。アレフもおまえも、短期間で強くなりすぎた。精神的な修行が追いついていない」
「なんの話?」ギュネイはよどんだ目をしばたたかせる。「強さとか時間とか関係ない。おれが自分で決めた、ってそういっただろ」
「いずれわかるとも。おまえほどの男が『剣を取らない』というのがどれほど苦痛をともなうものなのか」