先生、今日から同い年ですね?

実験一『今日から同い年です!』 ③

(落ち着け、落ち着け俺……。生徒に慕われることは喜ばしいことだがそこに邪な感情を持ち込むなどあってはならない。冷静になれ、理性、戻ってこい……!)


 そんな時だ。くすりが「そ、それでですねっ」と少し裏返った声で言った。


「先生の部屋で、先生のこと大好きな女の子がベッドの上にいるわけですけど……ドキドキしたり、しませんか」


 恥ずかしそうに、両手の人差し指をツンツンしながらそんなことを聞いてくる。


「す、するわけないだろうっ!?」

「そうですか……私はこれでもけっこう、ドキドキしてたんですけど……」

「そ、そんなことよりそろそろ行くぞっ! 初日から遅刻するわけにはいかないからな!」


 どうにか声を裏返さずに済んだものの、朝から悟の精神力はごっそり削られてしまったのだった。



 悟が目を離している間、くすりも胸に手を当ててほーっと息を吐いた。

 心臓がバクバクと早鐘のように鳴っている。緊張しすぎて、意識してゆっくり呼吸しないと過呼吸になってしまいそうだ。

 だって、大好きな男の人の部屋で、ベッドの上なのだ。

 しかも相手には告白済み。先生のことだから何もしないだろうけど、男は獣と言うし万に一つぐらいはそういう可能性があったかもしれない。

 正直こういうのには慣れてなくて結構恥ずかしい。

 ……でも、手を緩めたりはしない。

 普通にやったところで先生は落とせなかった。だったらアプローチを変えるのが合理的。引いて駄目なら押してみろということで、これからはガンガン行こうと心に決めたのだ。


(先生のお嫁さんになれるように頑張るぞ……!)


 そうしてくすりは、ぺちぺちと両頰を叩いて気合いを入れるのだった。



 いきなり精神力をごっそり使ってしまった気がするがまだ早朝。一日の本番はこれからだ。

 学校に向かうため、二人は一緒に家を出た。

 朝の光が差し込む通学路。くすりは悟の隣を弾むような足取りで歩いている。

 自分のことが大好きな可愛い女の子と一緒に登校。

 高校生の青春そのものみたいなシチュエーションにまたドキドキしてしまって、悟はこっそり太ももをつねって耐える。

 一方のくすりはというと悟の葛藤などつゆ知らず、鼻歌交じりで実にご機嫌だ。


「ねえねえ先生? 学校では悟くんって呼んでいいですか?」


 こちらを見上げながら照れくさそうに聞いてくる。それに対し悟は、太ももをつねりながら努めて冷静に返した。


「なんでだよ。普通に名字で呼べばいいだろ」

「いえいえ。悟くんは冬月先生の遠い親戚で、私とは先生を通じて仲良くなった幼馴染みって設定なんですから。名前呼びの方が自然です」


 悟が転入生として黎明学園に通うにあたり、そういう設定になった。


「そ、それでですね」


 くすりは頰を染めつつ、指をモジモジさせながら続ける。


「私が名前呼びしてるんだし、悟くんも私のこと『くすり』って呼び捨てにしてくれた方が自然かなーって思うんですけど……ど、どうですか?」

「そうか? 男子高校生が女子を名前呼びってかなりハードル高いと思うが……」

「いやもう正直に言いますね。……お願いします名前で呼んでください! 私、先生と名前で呼び合うのが小さい頃からの夢だったんです!」

「夢ってそんな大げさな……」

「夢ですよ! 好きな人に名前で呼んでもらうなんて女の子なら誰もがキュンキュンしちゃう憧れのシチュエーションですよ!?」

「お、おう?」


 こうやってストレートに好意を伝えられるのはやはり慣れない。悟は視線を逸らしつつ、根負けして息を吐く。


「……わかったよ、くすり」

「……〜〜〜〜っ!」


 くすりは一瞬沈黙し、顔を耳まで真っ赤に染めた。両手を頰に当てて身悶えている。


「はぅぅ、嬉しいです……先生とこうやって名前で呼び合える日が来るなんて……」

「悶えるな。朝の住宅街で悶えるな」

「あ、けれども先生って呼び方もこれはこれで大好きなので、二人きりの時はいつも通り先生呼び……ってことでいいですか?」

「まあ、それは別に構わんが……」

「やった♪ ふふ、みんなの前と二人きりの時で呼び方を変える……こういうのも、なんだか秘密の関係みたいでドキドキしちゃいますね♡」

「何を言ってるんだお前は……」


 意識してそっけなく返す。だが、悟はじわじわと顔が熱を持つのを感じていた。


(なんでこんなことでドキドキしてんだ俺!?)


 ……思春期真っ盛りの男子高校生というのは、女子と十五分会話したらそれだけで惚れてしまうような悲しい生き物なのである。

 ただでさえそうなのにくすりは好意全開で、名前で呼び合っただけで顔をふにゃふにゃにして喜んでくれているのだ。


(ちっくしょうかわいいなちくしょう……!)


 顔がにやけそうになるのを必死に堪えて、まっすぐ前だけ見て歩く。内心の動揺を必死に誤魔化す。

 そんな時、くすりがそっと手を繫いできた。


「──っおい、なにやってんだ」


 流石に教師と生徒が手を繫いで登校というのは悟的にライン越えだ。

 反射的に振り払おうとした。が、その動きが途中で止まる。

 くすりは、恥ずかしそうに顔を耳まで真っ赤にしていたのだ。

 口ではあれだけストレートに『大好きです!』なんて言っていたのに、こうして触れあうのは恥ずかしいのか俯いてぷるぷる震えている。

 けれど手はぎゅっと繫いだまま。様子を窺うように上目遣いでチラチラこちらを見上げてくる。めちゃくちゃ頑張っているのがひしひしと伝わってくる。


(うぐ……)


 ……本人は猫を被っていたと言っていたが、それでもくすりは真面目で初心な生徒だった。

 休み時間に恋愛小説を読んで頰を染めているのを見たことがあるし、保健体育の授業で顔を真っ赤にしていたこともあった。

 それが今、必死に背伸びしてアプローチをかけてきている。自分の気を引こうと一生懸命頑張っている。

 そう気付いてしまった瞬間、胸がキュゥッと苦しくなった。

 理性では手を離すべきだと思っている。けれどもう、健気に頑張っているくすりの手を振り払うことなんてできない。

 それに……くすりの手は、とても柔らかかった。

 小さくて、温かい。乱暴に扱ったら壊れてしまうんじゃないかと思うような華奢な手。

 それが遠慮がちに、感触を確かめるように手をにぎにぎしてくる。不覚にも、その感触に胸がときめいてしまっている。


「…………」


 手を繫ぐのを了承するように、悟は手を握り返す。

 瞬間、パアッとくすりの表情が華やいだ。「えへへ♡」と嬉しそうに顔をふにゃふにゃにしながら手を握り返してくる。


 ……自分たちは教師と生徒だ。これは若返ったことによる気の迷いだ。何度もそう自分に言い聞かせる。

 だが、すでに完全にペースを乱されていた。

 もしこれが本来の自分だったなら、軽くあしらって流せていただろう。

 くすりはあくまでも生徒。踏み込んだとしても娘のような存在。ここまで歳の離れた子供を異性として見るなんてあり得ない。

 けれど今は自分も思春期真っ只中の男子高校生の身体。おまけに感性まで戻ってしまっているようで、どうやってもくすりが同年代の異性に見えてしまう。


(だからといって、ここまで意識してしまうとは……)


 ……一番の問題は、こうしてくすりと手を繫いで歩いているこの時間を幸せだと感じてしまっていること。

 指を解くのが惜しくて、できることならこのまま、ずっと歩いていたいとすら思ってしまっていることだった。