先生、今日から同い年ですね?

実験二『こういうの、嬉しかったりしますか?』 ②

 以前の自分だったら腕を振り払って、男女の適切な距離について説教のひとつでもしていたはずだ。

 けれど今は制服越しにぽよぽよと当たるくすりの胸の感触に負けそうになっている。

 それにくすりがあまりにも嬉しそうだから、その笑顔を曇らせたくないだなんて思ってしまった。


(本格的に、まずいな……)


 教師である自分は常に理性的でなければならない。

 生徒はまだ子どもなのだから間違えるのが当たり前。それを正してやるのが教師の仕事。

 もちろん生徒と恋愛関係なんてもっての外、こんな風に胸を押し当ててアプローチなんてされたら即座に離れるべきだ。

 けれど、今の自分はこうしてその場の感情に流されてしまっている。そしてそんな自分をどうしても悪く思えない。


「それじゃあ、校内をご案内しますね」


 楽しそうな笑みを浮かべながら、くすりはそのまま悟を引っぱって歩き出す。


「いや、正直お前より俺の方が詳しいんだけど……」

「いいじゃないですか。ちょっとした校内デートです。それに、最初から校内に詳しすぎると周りに怪しまれますよ?」

「怪しまれる?」

「だって先生は今『転入してきたばかりの冬月悟くん』なんですから。私に案内されましたっていうアリバイが必要ですよね?」

「まあ、それはそうだが……」

「これで私と校内デートする大義名分ができましたね。それじゃ、行きましょー♪」


 そうして悟は、くすりに引かれるまま歩を進めた。

 案の定というか、くすりに案内された場所は悟もよく知る場所ばかりだった。

 むしろ悟の方が詳しくて、この扉の先はどうなっているとか、実はここに対不審者用の刺股が隠されてるとか、そういうことを教えてやった。

 階段、廊下、中庭、図書室。見慣れた校内を二人で歩く。


(……なんだこれ、楽しいぞ)


 ただ校内を見て回っているだけなのに、まるで遊園地にでもいるような高揚感。

 くすりが時折こちらを見上げて笑ったり、照れたり。そんな仕草がいちいち心をくすぐる。

 途中、何度か他の生徒や教員とすれ違うことがあった。

 その度にくすりはパッと離れて何食わぬ顔で『転入生を案内してあげてます』という振りをする。

 けれどその生徒や教員がいなくなると、またくっついて甘えるように腕を絡ませてくる。

 何をやっているんだとも思うが、そんな秘密の関係のようなものにドキドキしてしまう。人の目がなくなるたびに小動物みたいにくっついてくる姿を可愛いと思ってしまう。

 何より……親しい女の子とただ歩いて回る。それがこんなにも楽しいことだと悟は実に十数年ぶりに思い出してしまっていた。


 ──それはそれとして。

 さっきからくすりの胸が当たっている。肘のあたりにぽよぽよと、非常に魅力的な感触が押し付けられている。

 小学生の頃はそれこそぺったんこだったが、中学生ぐらいから育ち始め、今ではすっかり女性らしい体形になった。

 そしてその女性らしい膨らみは、思春期男子にとっては凶悪だった。


(落ち着け俺……! 平常心だ、平常心を保て……!)


 悟が必死に平静を装っていたそのときだ。

 階段を降りていた際、うっかり悟の肘がくすりの胸にぐりっと当たってしまった。


「んっ……!」


 くすりの身体がビクンと震え、喉から甘い声が漏れた。

 くすりの顔が一気に赤く染まっていく。チラリとこちらの様子を窺って、目が合うとますます顔を赤くして目を伏せてしまう。

 ……今までとは別の意味で心臓がドキドキと高鳴ってしまっている。

 さっきのくすりの声は男の本能を刺激するような声色で……ほんの一瞬、そういうあれこれを想像してしまって……。


「すまんちょっとトイレ!!」

「……あっ、せ、先生!?」


 くすりの困惑した声を後に、悟はダッシュで男子トイレの個室へと飛び込んだ。

 扉をガチャリと閉め、壁にもたれかかる。

 生徒と恋愛関係になるなど言語道断、思わせぶりな態度も論外。……そして生徒に欲情してしまうなど切腹ものである。


(ちくしょう……っ、いろいろと試練が多すぎるだろこの身体……!)


 悟は頭を抱えながら、自分の若返った肉体と感性がどれだけ危険な状態であるのかを痛感したのだった。



 トイレに駆け込んだ悟を待つ間、くすりもパタパタと両手で扇いで顔の熱を冷ましていた。


(あ、あんな声……出すつもりじゃなかったのに〜〜〜っ!)


 思い出しただけで耳まで熱くなる。


(それに、あれ。腕に、ぎゅって……当てるの……)


 変な声を出してしまったのも、胸を押し当てるのも、正直めちゃくちゃ恥ずかしい。

 並んで歩いてるだけでドキドキしてしまうのに、自分からあんな密着。頭の中の冷静なくすり(理性担当)が、ずっと顔を覆って転げ回っていた。


(や、やり過ぎてないですよね!? いやらしくないですよね!? ちょっと積極的な恋する乙女の範囲内ですよね!?)


 思い返すとまた恥ずかしくなってしまう。というかちょっと暴走気味だったかもしれない。気持ち的にはもう今すぐ家に帰ってしばらく布団の中にくるまっていたい。

 けれど──。


(先生……ドキドキしてくれてましたよね?)


 ──めっちゃくちゃ嬉しい。

 ずっと子ども扱いだった自分を、今ははっきりと女の子として見てくれている。そう思うだけで恥ずかしさなんて吹き飛んで、嬉しくて幸せな気持ちになってしまう。


(挑戦してよかった『当ててんのよ作戦』……!)


 小さくガッツポーズ。けれどすぐきょろきょろと周囲を確認して、こほんと咳払い。平常心、平常心。

 ポケットから掌サイズのメモ帳を取り出す。

 開けばびっしり文字が書き込まれている。……小学生の頃、先生への恋心を自覚して以来ずっと書き込んできた先生攻略帳だ。


(次はどれにしよっかな……?)


 この作戦を実行したら先生はどんな反応をしてくれるだろうか? そんなことを考えながら、くすりはウキウキと今後の作戦を練るのだった。