先生、今日から同い年ですね?

実験四『覚悟してください!』 ①

 カラン、と小さなベルが鳴った。

 喫茶店の扉をくぐると、コーヒーと焼きたてパンの匂いがふわりと鼻をくすぐる。窓際のボックス席に案内され、水と分厚いメニューが置かれた。


「さて、どれにする? おすすめは名物のこれだが……くすり?」

「……」


 何故かくすりが石化したように固まっている。目だけがカクカクとメニュー→悟→メニューと往復している。


「おい、大丈夫か? おーい?」

「………………っっっ」


 手をひらひら目の前で振ると、くすりの顔がボッと真っ赤になる。そのまま両手で顔を覆って、身体を丸めて小さくなってしまった。


「お、おい、具合悪いのか?」

「う、うう……なんでもないです……なんでも……」


 くすりが「あうあう」言っている理由はよくわからなかったがひとまず悟はコーヒー、くすりはホットミルクを注文。程なくして注文したものが運ばれてくる。

 顔を赤くしながらホットミルクをすするくすり。

 そんなくすりを眺めながらコーヒーの香りで心を落ち着けて、悟は真面目な顔をして尋ねる。


「なあ、くすり。一つ聞いていいか?」

「はい?」

「……俺のこと、具体的にはいつから好きだったんだ?」


 その問いにくすりはホットミルクでむせそうになった。恥ずかしそうに口をもごもごさせる。


「な、なかなかストレートに聞いてきますね」

「すまん。答えにくければ答えなくてもいいが」

「い、いえ。もう告白までしちゃってるから今さらですし」


 そう言って、懐かしい思い出を振り返るようにふっと目を細めた。


「小学生の時から、です」

「それは……本当に恋愛感情なのか?」

「……はい?」

「なんというか、だな。可能性の話だが、お前のその感情は父親みたいな存在に対する愛情を恋愛感情と勘違いしてるだけじゃないかって思うんだよ」


 くすりは信じられない話でも聞いたかのように目をぱちくりさせる。


「お前ぐらいの年頃の女性は年上の男に憧れたりしやすいものだ。だけど歳が離れた俺よりちゃんと同年代と向き合っていくほうが将来的にも……」


 そこで悟は口をつぐんだ。くすりが怒っている。ついさっきまでご機嫌だったのに、むすーっと頰を膨らませて、じとっとした目で悟を見ている。

 そして心の底から呆れたようにため息をついた。


「悟くんって、ほんっとうにバカです。ずっと気を引こうとしてたのに気付いてくれない朴念仁なのは知ってましたけどここまでだなんて……」

「え? お、おう?」

「今から説明しますね、最初から、丁寧に」


 有無を言わせない圧を発しながら、くすりは語り始めた。



 くすりの両親は、薬学の世界ではそこそこ名の知れた研究者だった。

 家の本棚には絵本など一冊もなく、ぎっしりと詰まっていたのは難解な専門書ばかり。初めて読み聞かせられた本は世界の薬草図鑑という有様だった。

 だが驚くべきことに、くすりはその読み聞かせを一度受けただけで内容を完全に暗記してしまったのだ。

 植物の名前、効能、毒性。そのすべてを正確に記憶し、さらにそれらの利用法や組み合わせまで考察してみせた。

 異常なまでの才能。両親は喜んで、さらなる知識をくすりに与えていった。

 当時のくすりにとってそれは単なる遊びでしかなかった。

 両親が出す難解な問題に答えると褒めてもらえる。それが嬉しくてもっと勉強したくなった。家にあった本を読みあさり、読むたびに知識を吸収し、記憶していった。

 幼い頃はそれでよかった。

 けれど小学生になる頃、家庭の事情が大きく変わった。

 両親が離婚し、くすりは母親に引き取られた。その母も多忙を建前に、ほとんど海外で暮らし家にいることがなくなった。

 母は、くすりの才能に恐怖したのだ。

 母は一流の研究者だった。そこに至るまでに十数年にわたる血の滲むような努力があった。

 それをまだ小学生になったばかりの娘が追い抜いてしまったのだ。

 自分が理解できていない領域のことを娘が話すたび、凡人と天才の差を思い知らされた。やがてはくすりと距離を取るようになり、日本にいることすらほとんどなくなった。

 くすりは広い家に家政婦と二人きりで暮らすようになる。

 家政婦は優しかった。けれど、くすりの話す内容にはついてこられなかった。

 話しかければ笑顔で頷いてはくれる。けれど何も理解してはいない。少し困惑したような笑顔を返すだけ。

 話しても通じないのだと気づいたときから、くすりは徐々に言葉を失っていった。

 その孤独は学校でも変わらなかった。

 クラスメイトが夢中になって話す漫画やアニメ、流行りの遊びには興味が湧かなかった。

 くすりの口から出るのは、化学式、分子構造、論文の考察。誰もついてこられず、教師ですら会話を避けるようになっていった。

 気づけば、いつも一人だった。

 昼休みも教室の隅に座り、静かに分厚い本を読みふける。

 そんな日々がいつのまにか当たり前になっていた。


 ──その日常を変えたのが悟だった。


「理事長から聞いてね。君、天才なんだって?」


 くすりの噂を聞きつけて黎明学園から派遣されてきた悟は、家庭教師のような形でくすりと関わることになった。

 くすりは最初、悟を他の大人たちと同じだと思っていた。話をしても理解してもらえなくて、そのうち避けられるようになる……と。

 だが違った。


「ねえ、○○って、なんで体内で△△になるのかな?」


 そう聞くと、悟は一瞬目を見開いたあと困ったように笑った。


「うーん、私にもわからないな」


 ──ああ、やっぱり。と肩を落とす。けれどそこからが違った。


「じゃあ、一緒に調べてみようか」


 悟は許可を取って黎明学園にある膨大な資料を閲覧させてくれた。

 家の本棚や図書館にもない知識の山。くすりは夢中になって資料を読み漁った。

 けれどくすりの求めていた答えはわからない。どうやらまだはっきりした結論が出ていない問題だったらしい。

 それならばと、今度はその分野の最先端の研究をする研究者と会わせてくれた。

 向こうも最初は戸惑っていたけれど、悟の口添えとくすりの常識外れの才能もあって研究に関わらせてもらえるようになった。

 それから半年。ようやく知りたかった答えを知ることができた。

 涙が出るくらい楽しかった。悟がいっぱい褒めてくれて、声を上げて泣いてしまった。

 それ以来、気づけばくすりは悟を追いかけていた。次は何を話そう、そう思うだけで胸が弾むようになった。

 一番の違いは、悟だけはくすりの才能ではなく、くすり自身を見てくれたことだ。

 両親すらくすりの才能を腫れ物のように扱っていた。けれど悟だけは、一人の子供としてくすりを見てくれた。

 目線を合わせて話してくれて、悩んでいる時は大人として助けてくれて、知りたいことは一緒に調べてくれる。

 それがどれほど救いだったか。それがどれほど嬉しかったか。

 ──世界が、色鮮やかに変わっていった。



「先生はずっと私のことを気にかけてくれて、何でも相談に乗ってくれて……」


 くすりの声に次第に熱がこもっていく。


「風邪を引いたら真っ先に駆けつけてくれて。寂しいって言ったら忙しいはずなのにスケジュールを空けて会いに来てくれて。悩みがあれば夜中でも電話していいって言ってくれて……愚痴にもちゃんと付き合ってくれて、励ましてくれて、でも甘やかすだけじゃなくて、叱ってもくれて……!」


 拳を握りしめ、くすりは勢いよく立ち上がった。


「そこまでされたら好きになるに決まってるじゃないですか!? というかそんなスパダリみたいな人が小学生の頃からそばにいたんですよ!? もう同年代の男の子なんて子供にしか見えませんから! 私の脳をこんがり焼いた責任取ってくださいよおおおお!!」


 喫茶店のあちこちで食事する手が止まり、数人の客が驚いた顔でこちらを見ていた。