先生、今日から同い年ですね?
実験六『心理学を使ってみましょう!』 ①
第一次夜這い作戦から何日か経ったある日。静まり返った図書室の一角。
くすりは分厚い本を何冊も積み上げ、一人眉間にしわを寄せていた。
遠目から見ると『真面目に薬学の勉強をしているんだな』という風に見えなくもないが、読んでいるのは「男性を落とす恋愛テクニック」だとか「男心はこうして摑め」など、恋愛指南系の本ばかりだ。
(どうすれば先生を堕とせるんだろ……)
正攻法で告白した。フラれた。
積極的にアプローチをかけた。でもなびいてくれない。
勇気を振り絞って夜這いまでした。けど、手を出してくれなかった。
(というか! 花の女子高生が「初めてをもらってください」って言ってるんですよ!? 超据え膳ですよ!? そこは美味しく食べてくれるのが礼儀なんじゃないんですか!? いやまあそういう誠実なところが好きなんですけどね!!)
自分でも怒ってるのか褒めてるのかわからなくなってきた。
手は出してほしいけど、あそこで簡単に手を出してきたらそれはそれで解釈違いなのである。
はぁ……とくすりは大きくため息をつく。
まるで通じていないとか、気付いていないわけじゃない。
悟はくすりの想いを受け止めた上で、くすりのことを大事にしたいからと耐えきってしまうのだ。
大切にしてくれるのは嬉しいけどもうちょっとなんとかならないものか。
(むしろ、こちらの好感度だけ上げ続けてくるんだからたちが悪いです……)
あそこまでしても駄目なら、後はどうすればいいというのだろうか? そうやって悩んでいた時だった。
「くすりちゃん、恋のなやみごと?」
横からふいに声をかけられて、びっくりしてそちらを振り返る。そこには柔らかそうな猫っ毛の小柄な少女が立っていた。
九条こころ。専攻は心理学。
のんびりひなたぼっこしている家猫みたいな雰囲気で、のんきにあくびしている仕草が可愛らしい。
「な、なんでわかったんですか? ま、まさかこれが心理学ってやつですか……?」
「そんな本ならべてうなってたら誰でもわかるよ〜」
くすりは頰を染める。曲がりなりにも天才と言われた自分が、こうやって恋に大真面目に悩んでいる姿をクラスメイトに見られるのはちょっぴり恥ずかしい。
ただ、ふと気になって聞いてみた。
「ねえこころちゃん、心理学って……恋愛にも使えたりします?」
こころのそういう話はほとんど聞かないけれど、この学校にいる時点でこころも心理学における何かしらの天才のはず。
あまり色恋沙汰に詳しそうには見えないけれど一応聞いてみる。
するとこころはふにゃりと笑った。
「うん。むしろ心理学って恋愛のために発展したような分野だからねぇ」
「ほほう……例えば、何か有名なテクニックとかあります?」
「ん〜……たとえば〜……『ドアインザフェイス』っていうのは知ってる?」
「どあいんざふぇいす?」
「えっとねぇ。かんたんに説明すると、まずはぜったい通らなそうな大きなおねがいをして、断られたあとに本命の小さなおねがいをすると通りやすいよってテクニック」
「ほー……そんなのあるんだ……」
思いの外ちゃんとした答えが返ってきて、くすりはいそいそメモを取る。
「一つ目のおねがいとくらべると二つ目がかんたんに見える比較効果。それに一度ことわったっていう罪悪感を利用したテクニックだよ。恋愛だけじゃなくて、交渉とか商売なんかでも幅広くつかわれてるね」
理屈は正直よくわからない。けれどなんだか効果ありそうな気はする。くすりはその日の放課後、二人きりになれたタイミングでさっそく実行に移すことにした。
「先生お願いがあります!」
「どうした?」
「け、結婚してください!」
「何を言ってるんだお前は」
けっこう勇気を出したのに呆れたように即答されて地味にショックだったが、すかさずくすりは次の一手を打つ。
「じゃあ代わりに、頭撫でてください!」
悟は一瞬きょとんとしたが、やがて「……まあ、それくらいなら」と手を伸ばす。
大きくてあたたかな手がくしゃくしゃとくすりの頭を撫でる。
「ふぉぉぉ……!」
「……これでいいか?」
「は、はい! ありがとうございます!」
悟とわかれた後、成功体験を得たくすりはさっそくスマホのメッセージアプリを開き成果をこころに報告した。
『実行しました! 本当に撫でてくれました!! 心理学すごいです! 他にも使えるやつありませんか!?』
興奮気味にメッセージを送る。なにせ完全に手詰まりだった状態に一縷の希望が見えたのだ。
もしかしたらこころの手を借りれば何とかなるかも。そう期待してワクワクしながら返信を待つ。
だが……待てど暮らせど、送ったメッセージが既読にならない。
九条こころはマイペースな子だ。返事がすぐくることもあれば、一週間後に「そういえば〜」なんてこともザラ。
学校にも来たり来なかったりで、行動の予測がまるでつかない。
「うー……」
女子寮の自室に戻ったくすりは、もどかしさに身をよじりながらベッドの上でゴロゴロ。
まるでご馳走を前に「今日はおあずけ」と言われている気分だった。
──待ってられない。
衝動的に靴を履き直し、寮を飛び出す。
向かったのは近所の書店。目当てはもちろん──
「恋愛心理学、恋愛心理学……あ、あった」
分厚めの一冊を手に取りそのままレジへ直行。
部屋に戻ると、ベッドにうつ伏せに寝転がりながらページをぱらぱらとめくっていく。
そこにはくすりの知らない恋愛心理学のテクニックがたくさん載っていて、くすりはワクワクしながら目を通していく。
(どれがいいかなぁ……)
そんな中、ある項目で目が止まる。
──ゲインロス効果。
内容を要約すると『同じ優しさでも、最初に冷たくしておいて後から優しくした方が効果があるよ!』というもの。
──いわゆるツンデレとかギャップ萌えというやつだろうか?
ふむふむと頷くくすり。思えばここまで好意全開で迫っていたが、ここで緩急をつけてみるのもいいかもしれない。
小さく頷いて、ぱたんと本を閉じる。
「よーし、明日からさっそく試してみましょう!」
そして翌朝。
くすりはいつも通り悟の部屋の前まで来ていた。
普段通りならここから悟と一緒に登校して、手を繫いだり甘えたりでアプローチするのだが今日は違う。
(よし……今日からしばらく〝ツン〟フェーズ……! 昨日仕入れた心理テクニック、ゲインロス効果を実践するぞ……!)
ぺしぺしと両頰を叩いて気合いを入れる。
頭の中で何度もシミュレーションを繰り返した。数日間はわざとツンツン冷たくしておいて、あとからデレデレ甘えればギャップで破壊力が跳ね上がる──理論上は完璧だ。
あとは、実行あるのみ。
震える手でインターフォンを押し、少しすると悟が出てくる。
「よう、おはよ──」
「べっ、別に先生と一緒に登校したいとか、そういうわけじゃないんですからねっ!」
開口一番、軽く声を裏返しながら言うと悟はきょとんとした顔をしていた。
「……お、おう?」
「ま、毎朝迎えに来てるのはですね! その……ほら、私って天才かつ美少女じゃないですか。一人で歩いてたらナンパとか、誘拐とか、変な人とかに絡まれる可能性があるので! だからしかたなくボディーガードになってもらうために先生を迎えに来てるんですからねっ! 別に好きだから少しでも一緒にいたいわけじゃないんですからねっ!」
慣れないことをやって自分でも何を言っているのか分からなくなってきているが、くすりなりに必死に〝ツン〟の演技を続ける。
「……とりあえず、うちに寄るほうが明らかに遠回りだよな?」
「知りませんそんなこと。ほ、ほら、つべこべ言わずに私を学校までエスコートしてください!」



