殿様気分でHAPPY!

序章 ②

 が、きようを持てたのもそこまでだった。あとは延々とつづくいつものこうじように過ぎず、脳天へ振り下ろされるつるぎつかきようも去ったこともあって、一馬はさっそくうつらうつらしはじめた。

 と、次の瞬間、一馬は氷水をびせかけられたような気分になって、はっと顔を上げた。

 眠ってない、眠ってないよ、という顔をしてあたりを見渡す。

 ──あれ……?

 あるべき姿がそこになかった。一馬はしきのうちにある人物の姿をさがそうとしたが、

 おお……。

 声なきどよめきが炎の列を乱す。

 またも聖堂内に新たな人物が現れていた。五人のその集団はいずれも赤々としたころもを着ており、長いすそで床をはらいながら歩いていた。一見、若いのかそうでないのか、男なのか女なのかさえも見わけがつかない。それもそのはず、五人の外法士の顔は、そろって鉄や木の仮面でおおわれていたのだった。

 通り道の左右にひかえる人々は身じろぎひとつしない。声ひとつ立てるでもない。それでも雰囲気がいちじるしく変わったのにはかずも気づいた。いつものことだ。

 と、先頭を歩く外法士の髪がつやつやと黒いのに一馬はおどろいた。去年の先頭は白髪だったはずだが、と思っていたら、


菊理くくりひめ。こちらへ」


 外法士のうち四人が足を止め、けんぞうに呼ばれた先頭の外法士だけがさいだんのほうへと歩みを進めていく。しきのうちにか、かずらの母親がおびえたふうにあとずさった。

 やはりだいわりしたらしい。菊理媛とは、外法をつかさどる彼らの代表者のことだ。いわば死界である黄泉よみと、げんとをつなぐ巫女みことうりようのような存在──だったはず。幼いころ、剣三にそう教えこまれたおくがあった。

 祭壇の前でまさに並んだ外法士が、ふわりとそでをなびかせて両手をげる。しゆんかん、寒々とした聖堂内が、さらなる冷気に満たされていくかのように思えた。


「これより、そなたの身に黄泉の〝気〟を降ろす。すでに教えられているかとは思うが、現世にあらざる黄泉の〝気〟──すなわち〝ゆがみ〟は、並の人間には数秒と耐えきれぬ。世界を構築する、ありとあらゆる定義の異なる黄泉では、人間はおのれの存在すら維持できなくなるからだ。その中にあって、見事、霊力イイロをもって、人としての、かずら正巳としての形を保ち、高らかにその名を名乗るがいい。それこそが晴れて結界のたみとして成人を迎える何よりのあかし。──かくはよいな? 蔓正巳」


 まだ若いと思われるその外法士の声は意図してか、いくぶんしわがれて聞こえた。


「よいな?」


 もう一度外法士が問う。ここで応じなければしきははじまらない。

 冷たいちんもくが落ちた。蔓正巳は遠目で見てわかるほどにふるえている。声が出ない。

 さらに数秒。

 母親が服のそでを引っ張った。正巳はまだ動かない。足組みの前に立つことが、ちら、とづかわしげなせんを上げた。

 人々が顔を見合わせはじめる──、


「ひっくしょい!」


 すっとんきょうな声が突き抜け、びくりと人々の肩を波打たせた。

 ずるずると鼻をすすり、「あー」とおっさんくさくくしゃみのいんひたっていたかずは、全員がこちらを見ているのに気づくと、照れかくしにちょっと笑ってから、悪い、悪い、というふうに頭を下げた。

 べつちようしよう、怒り──前へと向き直った人々が置き土産みやげに残していった表情たち。まさの母親などは晴れのたいを汚されたと思ってか、顔中を真っ赤にめている。

 こちらをぼうぜんと振り向いていた正巳に、一馬はもう一度ウィンクを送った。

 しばしの間を置いてから、


「もう一度問う。かくはよいな?」

「はい」


 今度はこっくりとうなずいた。が後ろから一馬をひじで突ついたが、あえて彼は振り向かなかった。

 あとは、上手うまくやるさ。

 みんなそうだったんだから。おれ以外のみんなは。

 外法士が高々とげた手を胸の位置へと降ろし、ふくざつな形に指を組み合わせはじめる。

 菊理くくりひめの唱えるじゆもんが、てんじようの高いどうくつ内をな風となって吹き渡った。

 すうっと目の前が暗くなり、特に正巳の周囲には色やみが伸しかかっていく。まるでどす黒いきりのようなそれこそ、黄泉よみの〝気〟──〝ゆがみ〟なのだ。

 とうとう正巳の姿が見えなくなった。母親が落ち着かなさげにはらはらと手をみ絞っている。

 あとはこれももう時間の勝負だ。一馬は服のえりもとからちらっと時計を出して見やった。午前二時。去年のあの女の子は三分ほどだったが、別の男の子は一〇分かかった。普通の〝歪み〟よりかなり小規模の〝気〟をぎようしゆくさせたあの異空間の中では、成人を迎えた結界のたみならばおそらく一時間以上は耐えられるはずだ。

 ため息をつく。五月とはいえ、やはりかんな着物一枚では洞窟内は肌寒い。本物のくしゃみをこらえるのにもひと苦労だ。

 しばし待っている間、一馬はまたもうつらうつらしてきた。ここで居眠りをするのはさすがにまずい。失敗の前例がないとはいえ、かずら正巳は生死をけたしきに挑んでいるのだ。何か楽しいことを考えよう、と彼は考えた。眠気が吹き飛ぶほど、とても楽しいことを。

 一馬は目を閉じた。白いきよくせんを思い描く。

 暗闇の中、やさしく、なだらかなカーブを描くその線はやがて、ほの白いしんとなる。

 それが、みづきの姿となるまで実に〇・五秒弱。これぞぐんふんとうの成果。単独首位、世界新ろく、金メダル間違いなし。

 和風のおもちをしたみづきが、切れ長の目にねっとりとしたうれいを秘めて一馬に近寄ってくる。

 その背後、ふたたびやみに泳いだ光が、今度はことのボディーラインを描き出す。みづきのそれと異なり、長身で、スポーティーなそれはそれでかずの大好物だ。

 しっとりしたみづきの黒髪が顔に触れ、たくましく引きしまった壬琴のしんが目の前に立つ。

 ──ううーん。ちゅっ。

 タコみたいにくちびるを突き出したとき、ふわりとい降りた新たな光が、後ろから柔らかく抱きすくめてくれた。

 おお、一対三の変則マッチ! にやけづらで振り向いた一馬は意外な人物を見て目をいた。

 何と、背後から彼の肩にしなだれかかってくるのは、あろうことかあそだった。

 いかん。さすがにあわてて一馬は振りほどこうとする。たとえもうそうでも──いや、妄想だからこそ──実の妹をまるはだかにするとは何事だ。

 学園では『ど変態』と呼ばれる一馬だ。『のぞ』と言われたこともある。


『能無し』、『名門学園のつらよごし』、『あいつに貸したエロ本は必ず数ページなくなっている、気をつけろ』『馬並み』──それら学園の汚名をほしいままにしてきた一馬とはいえ(最後のはともかく)、けつえん者にみだらな妄想を思い抱くなどとはごんどうだん。ど変態と言われようが何だろうが、男には守るべききようというものがある。これは戦いだ。男として、いいや人としての意義を問う聖戦なのだ。負けるな、おれ。負けるな、戦え。負けるな。負け……うわああああ。

 あれこれ考えているうち、美亜は発育ちゆうの胸を押しつけてきた。

 妄想なら……ちょっとはいいかな? と、早くも敗北宣言。男として、いいや人として。

 地上で最強のじゆうと化した彼が、三つの白い裸身を思いっきり両腕で抱きすくめようとしたそのとき。

 一馬はずきりとした痛みを脳の一部に感じた。

 何かが違う。

 何かが異なる。

 美亜が登場している時点でいつもの妄想とは異なるのだが、そういう意味ではない。彼が『違う』と感じたのは、自分の頭の中だけではなく、世界そのものに対してもだった。

 まるで知らぬ間に世界がごっそり取り替えられてしまったかのような、そして、ひとりだけ置き去りにされてしまったかのような、異様な感覚。

 ぐにゃりと視界がうごめいた。

 いまや三つの裸身を形成していた光の波はき消え、波打つのはいくにもすみかさねたかのような闇ばかり。みづきも、壬琴も、美亜も、別のモノへとなりつつあった。

 一馬はうろたえた。ここは妄想だ。自分の心の中なのに自由にならない。そうしている間にも闇は黒々とうねり、しん同士を重ね合わせてまったく別の生命体へと変化していく。

 がはあ。

 とそれはうなった。まさしく、それは鬼だった。かつて、教えこまれたとおりに。

 鬼は巨大な口をけたまま、すさまじい勢いで顔を振り落としてきた。

 らわれる!


「うわああああーっ!」


 かずの絶叫が、聖堂内にこだました!