殿様気分でHAPPY!

一章「鬼が来りて」 ①

1──

 庭をいていたけんぞうは、おどろいた目でいち早く帰宅してきたまごを迎えた。


「何と。一馬、おまえが先頭か! こと相手に?」

「はっはっは」と、一馬は両手を腰に当てて大いばりだ。「毎朝のたんれん伊達だてじゃないって。まあ、壬琴もほうだったけどさ、はじめてのコースだったんで、ちょっとれない部分もあったかなあ。うん、悪くない素質してるとは思うけどね、坂道での腰の立ち上げ方に問題が……」


 姿の剣三は感心したように一馬のうんちくを耳にしていたが、普段ふだんたかのようにけわしい目つきをにわかにうるませた。


「そうか。……そうか。あの一馬がなあ。息子夫婦をくし、わしがこの老骨にむち打って育て上げねばならぬと決心したあの日より、すでに一五年。思えば、幼き二人にとってはきびしすぎることもあったろう。肉親としての情より、あとりとしての成長をゆうせんさせねばならぬ我が一族のおきてゆえに。ああ、無情の鬼と化したこのけんぞうを、幼き兄妹きようだいうらんだとて、だれに責められようや? が、たとえ可愛かわいまごに憎まれようと、おまえらを思えばこそ、わしはこのしゆの道をおまえらにいることしかできなんだ。それなのに、ああそれなのに」


 かずはそろそろと足音を殺して歩いていった。学園で孫が行ったしようの数々、学園でもらっためいの数々を並べ立てて、「ああ、わしの修羅の道は間違っていたのか、これではき息子たちに会わせる顔がないと、いくまくらを涙でらしたことであろう」というくだりまでを耳にする。

 いつもどおりならあと三分はこれがつづく。

 長い髪に白いあごひげ。見た目、どこぞの道場で「先生」とでも呼ばれていそうな、今年で七〇を迎える祖父は、ここ最近、やたらと涙もろくなってしまった。神経痛のために、こうした一馬たちの早朝訓練につき合えなくなったのも原因のひとつだろう。鉛入りのぼくとうで一〇〇〇回のりをするのをにつにしていたような、そんな昔ながらの体育会系の男だから、身体からだを動かせないでいるとやたらと弱気になってしまうのだ。

 ランニングを払いながら一馬は玄関から中へ入った。落ち葉や砂は、人さまの家の庭を横切る際、地面をってさくの穴を通り抜けたときについたものだ。そんな思いまでして一番に帰宅して何をするかと思えば、彼が最初に向かったのはキッチンだ。

 いつものように朝食の準備をしはじめ、


「あ」


 と思い直したように、れいぞうから材料を追加する。今朝けさはいつもより二人ぶん多いのだ。

 さらにはお昼の弁当もこしらえねばならない。一日ほとんど家にいる祖父のぶんも合わせてこちらは三人ぶん。今年高等部に進級した一馬は、本当なら学園の食堂にいきたいのだが、妹のがそれを許さない。妹が許そうが許すまいが、普通なら構うことはないはずだが、あそ家ではそうではない。これも妹のリクエストどおりにウィンナーをタコさんにしていると、


「おいっ!」


 いきなりせいが脳天に落ちた。


「あ、こと。おはよう」

「おはよう、じゃない。汚い真似まねしやがって」


 居間に入ってきたのは、クラスメートのむらくも壬琴だった。無論、この家の住人ではない。夕べ、でこの家に寄ったため、どうせなら、と、妹の美亜にさそわれて泊まっていたのだ。

 日焼けした肌、健康的で伸びやかなたい。短めのポニーテールにし、ひたいへ数本前髪をらした髪型に、男じみた性格と言葉づかい。男よりむしろ女生徒に人気があるのもうなずける感じだ。

 そんな彼女が肩を怒らせて詰め寄ってきた。タンクトップ姿の女性に近寄ってこられるのはむしろ、いやかなりうれしかったりもするかずなのだが、バレーボールのせんしゆみたいに背が高くて体格のいいこと相手では迫力負けしてしまう。


「あたしがおまえに負けるはずないだろ。最初、スタートダッシュがすごいからビックリしてたんだ。あたしを巻いたあと、抜け道か何か、あたしの知らない近道を通ったんだな? どうせいつもサボってるから、じいさんにげ口されないよう……」

「たっだいまー」


 一馬がたじたじになっていたとき、とみづきが帰ってきた。

 くさなぎみづきも、美亜にさそわれてこの家に泊まり、ついでに早朝トレーニングにつき合った口だ。美亜はタンクトップに短パン姿だが、みづきは学園指定の真っ赤なジャージを着用している。大人おとなびて、日本人形みたいに整った顔つきをしているだけにギャップがこの上もなくすごい。根が真面目まじめ──というよりも、そもそも、ほかかつこうをして走る、という発想そのものがないのだろう。


「どうかしたのですか?」

「どうもこうもみづきねえ、わかるでしょ。中等部ではマラソン大会三年連続最下位の一馬が、あたしより先に……」

「あたし、おなかいた! みづき姐も、壬琴姐も、ご飯にしようよ。うちで食べるのなんて久しぶりでしょ?」

「わ、オイ、美亜、押すなって……」


 壬琴の言葉をタイミングよくさえぎり、美亜が二人の背中を押して食卓につかせようとした。さしもの壬琴も美亜のペースにはどこかさからえない。と、二人をテーブルにつかせている間、美亜は兄のほうを見てにっと白い歯を見せた。

 首の後ろにさむが走る。ひとつ、また貸しが増えた──という意味だ。あとどれくらい妹に『奉仕』すれば、その貸しとやらが消える日が来るのか、一馬はもはや数える気にもなれないでいた。

 おそらく、生まれたときからだったに違いない。お父さんのおたまじゃくしのころ(深く考えないように)、きっと、本当なら美亜が先行するはずだったのだ。が、「おまえを兄貴にしといてやるからひとつ貸しだよ」と順番をゆずったのだろう。気のいい、素直な自分は「やっほー!」とそれに乗っかってしまい、結果、いまのおじようさまと使用人のような関係が成り立ってしまったのではあるまいか。

 何やらひざを抱えて泣きたくなったが、とりあえず他の家の人がいる手前、ぐすんと鼻をすするにとどめて、彼も食卓についた。

 けんぞうも居間に入ってきて、平和な朝食がはじまる。一馬だけが、会話のはしばしらいをひそめていそうな美亜のいつきよしゆいつとうそくに注意しつつ。


「へえ、これ一馬が作ったのか。そういや、中等部から家庭科だけは得意だったっけ。料理まんの女子で、ほら、おりって子だったっけ。おまえに負けて泣いてたよな」

「別の意味でも泣かせたよね」とさっそく。「ほうごとにラブレター送ってたら、そのうち、悪質なストーカーとかんちがいされて」

「あれは、おまえがこっそりわいな文章をつけ加えてたからだろうが!」

「知らなーい」


 なつとうしようらしながら素知らぬ顔をする美亜。うぬぬ、とかずは歯を喰いしばった。大体、どこの中学生が、ラブレターに『ぼくの、しくたけり狂ったたくましいモノをきみに見せてあげたい(笑)』などと書くものか。大方、けんぞうが書斎にかくし持っているぞうコレクション『黒いびようシリーズ』の中の一冊から、適当にえらんだ一文を書き写したに違いない。

 と、


「女性を泣かせる、という意味ではいまもまったく同じです、一馬さん」


 びくっと一馬ははしを落としそうになった。みづきが手にしていたちやわんをことりと置く。


「高等部に入ってきたからには、いままでのようなろうぜきを笑って見過ごすわけにもいきません。今日は高等部一年生の身体測定がありますが、もしもまたよからぬことが起きた場合は……かくしておきなさい」


 場の空気が凍った。

 第一、「笑って見過ごす」も何も、一馬は中等部時代、水泳部の女子こう室にカメラをけた疑いをかけられて、すさまじいじんもんにあった思い出がある。彼の指紋と、カメラを買った店の店主からの証言という動かぬしようを突きつけるみづきに対し、それでも知らぬ存ぜぬを通す一馬も一馬だが、あくまでも彼に罪を認めさせようと、三日連続一馬を生徒会室へ呼びつけて、放課後から校門の閉まる夜七時まで延々と質問めにしつづけるみづきもみづきだ。

 そういうこともあって、いかに人をけむに巻くのが得意な一馬でも、みづき相手となるとどこか歯切れが悪くなる。


「い、いやだなあ。おれだって大人おとなになったんだから」