「そうですか。一応、女子武部連に更衣室の警護は命じてありますが。壬琴さん、それが無駄に終われば何よりですね」
話を振られた壬琴が「う、うん、まあ」と口を濁す。武部連とは、剣道部、柔道部、空手部など、武道系のクラブが作り出した連盟のことだ。壬琴は高等部一年の身ながら、すでに女子武部連の副リーダーに選ばれている。あらゆるクラブから引く手あまたで、試合があった場合などは実際にそのいくつかをかけもちする彼女ならではだ。
「ええと」場を取り繕おうと、美亜が笑顔を振りまく。「この前生徒会で、高等部に入った一年のアンケート採ったんだよね。『将来就きたい職業』欄があるって聞いたんだけど、兄貴は何て書いたの? 浅生家の当主だって、表向きの職業が必要だもんね」
「おれは堅実なサラリーマンを目差すのだ」
「シェフにでもなったら?」と壬琴。「おまえ、これだけはなかなかのモンだぞ。サラリーマンになったって、おまえじゃ出世は一生望めないだろうし。かといって他に何の職業が向いているかっていわれると、まるで思い浮かばないもんな。ゴザかぶってその辺で寝っ転がっているほうがよっぽどさまになる」
「ひとつ誉めて、あとはぼろくそだな、おい。いいんだよ、毎朝満員電車に揺られながら会社にいくのが、おれの慎ましい夢なの!」
「どうせまた、よからぬこと考えてんだろー」
「そうそう、兄貴のことだから、鉄道警備隊に目をつけられるのも早いと思うな」
と、朝食の場がようやく和みかけたそのとき、
「世界各国の美女を集めてハーレムキング。わはははのは」
ぶほッ、と一馬は口にしたばかりの牛乳を吐き出しそうになった。壬琴も美亜も固まっている。みづきは相変わらずの無表情でつづけた。
「豪華プレイメイト盛り合わせつき。とっかえひっかえ、あとくされ一切なし。愛の伝導師、性の教祖さま、アマゾネス軍団の首領。サタンの足の爪」ぺらぺらとしゃべったのち、みづきはじっと一馬を見つめた。「『将来就きたい職業』欄に、そう書いた生徒がひとりいました。一馬さん、これはどういうことでしょう」
「どういうことでしょうって……な、何でおれに訊くんでしょう?」
むせこんだ一馬は相手の眼差しと直接対決する勇気がなく、ややその上辺りを見ていた。ひと昔前のお姫さまカットみたいにおでこを出し、サイドを顎のラインで切りそろえている。いまどき古いセンスなのだろうが、みづきにはこの上もなく似合っていた。
「見くびってもらっては困ります。わたしは生徒会長ですよ。全校生徒の筆跡鑑定ができるくらいは当然でしょう」
「当然じゃないと思う……」
「それに、あんな幼稚園レベルの文章で、小学生レベルの内容を臆面もなく書く生徒など、あなたくらいのものです。答えなさい、生徒会のアンケートにあんなことを書くなどと、いったいどういうお考えなのです?」
新聞紙を広げて朝食の席との境目を作った剣三の肩が震えていた。笑いを堪えているのだ。
一馬は内心焦った。あれは隣の席の悪友を笑わすためだけに書いたのだが、まさかアンケート全部にみづきが目を通すとは思いもしなかった。冗談など彼女には通じない。一馬自身が一番よくわかっている。本当のことを答えても、噓を言ってごまかしても結果はいっしょだ。ならば……。
「……たとえば、誰かがそのアンケートに政治家、と書いたとします」
少しの逡巡ののち、一馬はそう切り出した。おお、と美亜の目が丸くなる。妹である彼女にはわかったのだ。兄があえて地雷原へ足を踏み出したことが。
「みづきさんは、筆跡でそれを誰が書いたかわかります。興味を持ったみづきさんはその生徒にわざわざ会いにいき、根掘り葉掘り訊き出そうとします。いったい、どんな政治家になりたいのか、それまでの職業はどうするのか、いやその前に大学は、一族のこともどうするのかも含めて」一馬はひと息置いて、そこではじめてみづきと目線を合わせた。「……さて、その相手に答える義務はあるでしょうか?」
壬琴もごくりと息を吞む。この男はアホか、という脅威を改めて抱いた様子だ。
みづきは首を横に振った。
「ありません。生徒会長といえど、そんな権限はありませんから」
「じゃあ、おれも同じです。おれもみづきさんに答える義務はありません。……でしょ?」
「いえ、わたしが訊きたいのは」
「どうしても知りたいのなら、考えを巡らしてみることです、会長」ふっと笑って一馬は言った。「ひとつの答えの中に、その人間の一〇〇の真実が隠されていることだってあるのです。何もその人間の口から訊き出せることがすべてとも限りません。浅生一馬という人物、それほど浅くはないのです」
「そうなのですか。あなたのことなど考えたこともありませんが」
みづきはさらっと一馬を傷つけつつ、しかし思案に暮れるように視線を宙に泳がせた。一馬にとってのそれからの数秒は、薄氷を踏む思いで過ぎていった。美亜が食後のお茶に手を伸ばしかけたとき、
「わかりました。今回はわたしの非を認めましょう。確かに出すぎた質問でした。あなたがなぜあんな答えを書いたのか、少し時間を作って考えてみます」
目線を戻してみづきは言った。鼻筋の通った涼やかな美貌がなぜだか凜と燃えている。思わず一馬はたじろいだ。
「いやー……まあ、あの、そんな真剣に悩まなくてもいいんですけどー……」
「いいえ。幸い、生徒会室の隣には瞑想室も用意してあります。本来は霊力を統括する儀式のために使用されますが、生徒会役員ならば精神集中のために使用することも許可されていますので。そこでしばし瞑想にふけりましょう。出すぎた真似をした自分自身を戒める意味でも」
みづきは他人に厳しいと同時、自分にも厳しい。だからこそからかわれるのが我慢ならないのだ。一馬は自分で自分の退路を断ったような気がしてならなかった。
急須にお湯を注ぐ美亜が、そのとき、「骨は拾ってあげるから」と小声でつぶやくのが聞き取れた。
二階の自室に入った一馬は、朝っぱらからどっと疲れを感じた。できるなら、このままベッドで横になりたい。が、学校をサボればもっとやばい状況になるのはわかりきっている。仕方なく、彼は鞄に教科書などを無造作に突っこみはじめた。
今日は、そう、みづきの言ったとおり、身体測定の日。
去年まではその準備に余念のなかった一馬だが、今年は事情が異なる。去年、女子の着替えや測定の風景などを隠しカメラでおさめた写真などは、文化祭の裏でこっそり売りさばいたのだが、これがまた笑いが止まらなくなるほどいい売れゆきを示した。そしてその直後、生徒会に密告され、今度は涙が止まらなくなるほどの仕置きを受けた。だだっ広い学園の敷地内すべての清掃作業を命じられたときは、半分本気で学園から逃走しようかと思ったほどだ。
おれだって大人になったんだから。……みづき相手にはそう言った一馬だが、確かに彼は大人になっていた。去年の教訓を活かして、今年はちょっとやり方を変えてみよう、と思えるくらいには。
彼は鞄に一本のビデオテープを忍ばせた。
「ふっふっふ」
怪しく笑う一馬は、まさに学園中の汚名を一身に負って立つ漢その人にふさわしい笑顔をしていた。
そんな彼だから、剣三と三人娘が、昨日の一馬の失態をあえて朝食の席で口にしなかった気遣いなど勘づきもしなかったのだ。