2──
一族の概念について、実は一馬自身もそれほど詳しいわけではなかった。
いや、一族の存在がどのようなものであるかについては、もう子供の頃からさんざん剣三に教えこまれてきたし、必要とあれば、一族の子供たちだけを集めた特別クラスが開かれて、学校で授業を受けることもあった。それによると、彼ら〝結界の民〟とは、『太古の時代、この世の定義を定めた血族であり、そののち、結界となってそれを守っている』存在なのである。
「ふぁーあ」
校門をくぐり抜けながら大欠伸する一馬にとっては、ただの絵空事でしかない。
「よう、浅生」
校門脇に立っていた男子生徒が声をかけてきた。四人で校門を固める彼らは、その腕章から風紀委員と知れる。
「今日は身体測定だな。あんま、騒ぎを起こすなよ」
「そうそう、立場上、何かあったら、おれたちは武部連と協力してお前を捕まえにゃならんからな」
「が、個人的なおまえのアルバイトには目をつぶり、その懐を金で潤してやってもいい」
しかつめらしく四人目が言うと、残り三人もうんうんと頷く。期待してるぞ、とその目は訴えかけていた。
「ははは、おれも大人になったんだよ、先輩方」
一馬はそう言ってあきらめさせようとしたが、中等部の一馬を知っているだけに彼らはそれを信じず、笑顔で一馬を見送った。
三年前に一馬が編入してきたこの学園は、初等部から高等部までを抱え、さらに数種類の専門学校までもサポートしている巨大学園だ。生徒総数は三万人を軽く超える。そのすべてが一族の人間である、と剣三に聞かされていたが、クラス中をざっと見渡しても、廊下に出、窓から中庭を見下ろしても、別段、他の学校と大差はないように感じる。
以前に彼が通っていた学園とて、一族の経営する、いわばその子弟の教育施設としての一面を備えた私立校だったが、確かそのときの一族が占める割合は二割もなく、普通の学校と違う点といえばさっきもいったような特別授業が月に一回あるかないかくらいで、ほとんど他の学校と大差なかった。
この天津学園への転入が決まったとき、一馬は落ちこんだ。ただでさえ一族内では肩身の狭い彼だ。前の学校でも、一族の人間がクラスメートになったりすると、ことあるごとに他の生徒にはわからないいびり方をされたりもした。普通、迦具羅の盟主家、次期当主相手ともなれば、同い年の子供だって、一族に関連したイベントで出会うときは敬語を強要されるものだが、その素質が何もない『能無し』では、彼らの取るむしろ見下したような態度も無理はない。
それがあなた、一〇〇パーセントが一族って。
みづきと壬琴に再会したのも、この編入のときだった。再会といったって、小さい頃に二、三度、これもイベントごとに会ったきりで、ほとんど名前くらいしか覚えていなかったのだが、さすがにどちらも迦具羅の盟主家の中でもとびきり名家のお二人、一応は浅生家の次期当主であらせられる一馬に対して、相応の態度と敬意を保っていた。
「いくら生徒全員が結界の民とはいえ、特別なことが起こらない場合は、普通の学校と何ら変わりありません。あまり厳しい取り決めもありませんが、一応は、学校内で一族間の話をしたり、相手の家柄を詮索したりするのも禁じられております。あまり肩肘張らず、一生徒として学園生活をお楽しみください」
その頃は、まだみづきさんも優しかったっけか……紅顔の美少年だった中学生の自分を思い返しつつ、一馬はそんな感慨を抱いたが、ふと、あれ、そうでもねえや、と思い直した。
むしろ、あのときはいま以上にみづきが恐ろしかった気がする。ほとんど何の感情も感じさせないあのたたずまい。見た目、顔形が整っているだけに奇妙に作りものじみた印象があった。
「ん?」
と、一馬は庭をやたらと走り回っている一団があることに気づいた。動きを目で追っているうち、ひとりがこちらに気づいて指差してくる。皆もいっせいに一馬を見上げた。一馬としてはエールを送るつもりでにこやかに微笑んで手を振ったのだが、相手は怒り狂ったり、地団駄を踏んだり、指で喉を搔っ切る「キル・ユー」の仕草をしたり。人望というやつだ。
「いや、違うだろ」
後ろから声をかけてきたのは中等部からの悪友、早川だ。地の文に突っこむとはなかなかいい才能をしている。つき合いが長いぶん、単に一馬の考えがお見通しなだけなのかもしれないが。
「敵にエールを送られても、からかわれてるとしか思えんわな、普通」
「何をいう。おれは敵だなんて思っちゃいない」
「女子武部連だぜ? 早期に警戒して、辺りを見張ってるんだろ。あそこにいるのは去年、おまえに着替えを盗撮された弓子だし、あそこで怒鳴りかかってんのは、一昨年にブラジャーが透けているテニスルックを撮影された美樹だな。というかあそこにいる全員、おまえへの復讐のために武部連に入った生徒ばっかりだ」
ううむ、と一馬は渋面を作った。が、彼にも言いぶんくらいはあった。
「おれは良心的なほうなんだぞ。洒落にならない部分は絶対表ざたにしない。変な趣味があるとか、誰かとの密会デートとか。それに、着替えの件にしたって、ヌードは決して流さないし、もし撮れてたとしてもおれは廃棄するんだ。グラビアアイドルと同じ基準でヌードとセミヌードを区別し、ぎりぎりセミヌードくらいなら公開にふんぎるというわけだな」
「そう誇らしげに胸を張られてもな。いったい、どういう基準なんだよ」
「乳首だよ!」彼は力説した。「乳首こそが最終防衛ラインなんだ。『ついに脱いだ!』って写真週刊誌の見出しにおれが何回騙されとた思ってるんだ、この野郎。両手で隠すいわば手ブラをしてたり、濡れたTシャツ越しに、うーん、そういわれると、目を凝らせばうっすら見えるような、くらいの透けレベルCだったり。そうやってファンをそそるんだ、煽るんだ、商品価値をあとへとつなぐんだ。乳首をさらすというのは、いわばもうこれ以上見せるものはないワ、っていう最終段階。だから彼女らは隠すんだ。隠し通すんだ。それでおれは悟ったのだ。いくら盗撮だからって乳首だけは絶対駄目だ、とな!」
汗を散らし、目を血走らせ、拳を振り上げる。ふと気づいてみれば、早川はさっきより三歩ぶん、一馬と距離を置いていた。む、と我に返った一馬は廊下をそろりと見渡してみる。朝っぱらから「乳首、乳首」と連呼する男へ注ぐにふさわしい視線の山が彼を出迎えた。
じとっとした冷や汗が首の後ろに湧いた。と──、
「能天気で楽しそうだな、浅生」
男の声で呼びかけられる。そちらを見やった一馬は嫌な顔をしそうになったが、すぐに、
「よっ、新ちゃん」
と鷹揚に返事してやった。一年上の先輩に対してかなり気さくな態度だ。親しみをこめた挨拶なのだが、相手には一馬のその親愛の情がいつもながら伝わらない。
「貴様」
と凄んだのは、当の「新ちゃん」ではなく、その後ろに臣下のごとく控えていた二人組のほうだ。「新ちゃん」は、よせ、というように手を出して彼らの怒りを押し留めた。
その偉そうな態度といい、非の打ち所なく整った顔の作りといい、この生徒会副会長どのにはどこか昔ながらの良家の武士を思わせるたたずまいがある。また、彼も一馬が編入時に再会した一族のメンバーのひとりで、実際に八咫家の若さまなのだからあながち遠くかけ離れたイメージというわけでもなかった。
「いつものことながら、人を喰った呼び方をする。おまえごときに『ちゃん』呼ばわりされる筋合いはない。きちんと、『八咫新之助さま、おはようございます』と言えんのか」
「やだチンのスケさまお早うございます」
「よし……」もっともらしく新之助は頷きかけたが、「ま、待て! 何だそれはっ!?」
「チンのスケさまは少々アレがお早いらしい。女の子に嫌われるタイプだと推測されるが」
生徒会副会長は顔を真っ赤にした。背後に控えていた二人の男女のほうは、もはや隠しようもない怒りを面に乗せている。確か、二人とも八咫家に仕える迦具羅家の跡取りだ。
「……っと、いつものごとくおまえの馬鹿につき合っていられるほど暇じゃない」相当の怒りを吞みこんだのだろう、いくぶん苦しそうな声で新之助はそう言った。「おまえのところが取り仕切った昨夜の儀式、今度、場と日時を改めてもう一度やることとなったぞ。多分、近いところでぼくの八咫家で行うことになるだろうがな」
「これも前例のないことだぞ、一馬」にやりと笑ったのは男のほうの臣下だ。「いくつ不名誉な前例を作れば気が済むんだ? 浅生家とて、歴史のある一〇八つの盟主家だというのに、おまえのせいでどんどん一族内のランクが落ちている」