みづきとて程度の差はあれ、同じだった。
「やめなさい、美亜さん」
「濡れ羽色の髪、うっすらと桃色に紅潮したきめ細かい肌──その辺の女優など、小便臭い小娘にしか思わせないほどクールに整った美貌の持ち主だが、肉体の描くラインはやはり一七歳の幼さを思わせてふっくらしている。そのギャップにまた、欲情を駆り立てられる男性も多いだろう。しかし、あと数年も経てば、それこそモデル並の……あひゃ」
ざばあ、と派手な水しぶきの音。
「もう、およしなさい!」
どうやらお湯を浴びせかけられたらしく、ごほごほ、と美亜のせきこむ声がする。どうした、美亜。頑張れ、美亜。おにーさんは妄想の準備をして待っているのだぞ。
……などと、ひとり身悶える時間を過ごした一馬である。苦労の成果はいま、この手の中に。
彼はドキドキしながらカメラをモニターにつなげ、テープを再生した。
もちろん、三人娘のあでやかな肢体を隠し撮りしたテープである。どうせ今日の身体測定は厳重な警戒が敷かれるだろうとは予想できたし、毎年毎年同じことをしていても芸がない。そこで今回、蔓家の儀式の際、家にやってくるだろうみづきと壬琴をターゲットに、カメラを設置したのである。
無論、多少ならずともリスクを背負うこととなる。しかし浅生一馬は男である。あえて困難な道を選ぶのもまた修羅のさだめ。
「販売ルートもいままでと同じ、手当たり次第、ってわけにはいかないよな」再生スイッチオン。「足がつかないよう、こっちも慎重にリストを当たらなきゃ」
テレビの前にかぶりつく。砂嵐が走ったあと、いよいよ映像が現れはじめた。
壬琴の動物的本能を危惧し、カメラは一台しか仕掛けられなかった。アングルが常に固定されていることになるが、どの角度が一番三人の姿を大きく、そして具体的に映し出されるか、計算し尽くし、熟慮を重ねた上で一馬が選んだその位置には間違いがなかったようだ。見ろ、いままさにうっすらと映る肌色の物体が湯船から上がり、こちらへ近づこうとしている。
一馬は生唾を吞みこんだ。いったい誰だ? 美亜? 壬琴? それとも──みづき? 思わず握りしめる拳にも力が入り、掌には汗が浮かぶ。
『っこらしょ』
とその人物は声を発し、木桶の上に腰掛けた。
手拭い一枚で乾布摩擦をはじめたその人物は、たくましい肉体をしていた。肩のあたりに盛り上がった筋肉に目を奪われる。腕の張りはどうだ。腹筋など凸凹に割れているではないか。水滴を弾かんばかりの弾力に満ちたあの肌。
素晴らしい!
とても七〇歳を迎えようとする老人には見えない!
乳首もばっちりだ!
ブラボー!
「アホかああッッッ」
一馬はリモコンを投げ捨てた。……はあー、はあー、と肩で荒い息をする。モニターでは浅生剣三があられもない姿で鼻歌混じりに身体を洗っていた。無論、編集前なのでモザイクなどあり得ない。マニア垂涎間違いなし。おえ。
「何で……じいさんが?」
ふと冷静に立ち返って、モニターを改めて見てみる。祖父は朝六時の入浴を日課としている。一馬がカメラを設置したのが昨日の夕方で、回収したのが朝の七時。
と、いうことは。
これは、美亜が……。
ガラッ。
一馬の背後でドアが開いた。人の気配があった。もちろんそれはわかっている。が、一馬は振り向かなかった。いいや、振り向けなかった。
この恐るべきプレッシャーは何だ!? 背を向けていてさえ、しゅおおおお、と立ち昇る煙のようなオーラをたやすく想像させるほどの強烈な圧迫感。
そう、これは──殺気。
「一馬さん」
声をかけられる。返事はできなかった。もう一度、
「一馬さん」
はい、と、今度は返事したつもりだった。が、声は出なかった。
ぎくしゃくと、油を差すのを忘れた機械仕掛けの人形じみた動作で振り返る。
そこに、鬼がいた。
風もないのに長い髪がそよいで見えるのはなぜだろう。二つの瞳が白々とした光を放って見えるのはなぜだろう。何より、その手にあるものは何だというのだろう。
長い刀身を携えたその人影は、一歩、一馬へと詰め寄った。
一馬は身動き取れなかった。斬られる、と思った。死ぬ、と思った。振り上げられた刀身の影が、一馬の顔を中央から両断した。
瞬間。
「うぐああああッ!?」
一馬の口から、異様な悲鳴が迸った。
斬られたわけではない。真剣を振り上げていたみづきが、はっとして部屋のあちこちに視線を飛ばしている。
「うわッ、みづき姐、やっちゃったか!?」
「兄貴!」
すかさず準備室内に駆けこんできた壬琴と美亜も、急に足を止めた。
そこは暗がりだった。暗幕を引いた放課後の室内にしてもあまりに暗すぎる。
一馬は椅子から転げ落ち、床の上でのた打ちまわっていた。苦しい──。身体が引き裂かれそうだ。まるで巨大な両手で頭と足を捧げ持たれ、雑巾絞りでもされているかのように内臓が歪み、あり得ない角度に骨がたわんで、さらに血液を電子レンジで沸騰させられる。
「壬琴さん、美亜さん、迦具土を! 己の〝定義〟を保ちなさい!」
みづきの叫びが聞こえた。壬琴と、美亜、両者が部屋の入り口から左右に散る。ドアの左右には無論壁があるはずだったが、なぜか二人ともすり抜けた。
いや、壁そのものが消えていた。部屋のありとあらゆる物体が輪郭を失い、闇の中に溶けていたのである。
一馬は見ていた。
テレビが立ち上がり、同じく輪郭を溶かしたビデオがふわりと空に舞い、まだかろうじて色と形を残していた天井部分が折れ曲がるのを。紙のように薄っぺらくなった時計がうねりながら針を逆流させ、黒板がけたけたと笑い声をあげるや否や、机や椅子がゴム細工になってタップダンスを踊り出すのを。
部屋そのものが奇怪な法則性に支配されて、その法則が部屋に新しい姿形を備えさせ、狂った芸術家しか引けないような曲線を描き、悪魔にしか創造できないような手足を闇の中へと生み出していく。
それを一馬は何と形容したらいいかわからなかった。
それでいて最初からわかっていた。
鬼だ。
みづきを見たときもそう思ったが、そんなものではない。あれこそが本物の鬼なのだ。
「美亜、おまえの迦具土で一馬を守れ! 一馬は〝定義〟を守れないんだ!」
壬琴が鋭い声をあげた。その意味は一馬にもわかった。そう、自分では〝定義〟を守れない。人間の存在すら保つことができない。だから自分は儀式に二度も失敗したのだ。
「わかった!」
頭上に美亜の気配があった。ふわりと何かがなびき、そのまま一馬を包みあげる。瞬間、一馬を襲っていた苦痛が噓のように引いていった。美亜はいつの間にか制服ではなく、薄く、白い衣のようなものをまとっていて、その衣の一部で兄を包んでいたのだ。
「ぇええい!」
壬琴が床を蹴り、〝歪み〟の中を浮き上がる。そこでは重力の〝定義〟さえもなかった。だからといって重力を好きに支配できる、という意味ではない。むしろ〝定義〟を失った人間は自分ではどうすることもできず、一歩歩くことすらおぼつかなくなるだろう。
が、壬琴は結界の民だ。と同時に迦具羅だ。迦具羅とは、迦具土を操る戦士の意。そして迦具土とは、〝定義〟を自ら定めた、この世のものでない金属生命体にして、鬼に対する最強の兵器。
足に巨大な翼を生やしたようないまの壬琴こそ、戦士としての彼女の姿だ。迦具土のその翼は、〝歪み〟の混沌とした空間の中においてさえ、彼女の意思どおりに重力を〝定義〟づけてくれる。
鬼と化した視聴覚室がふたたびうねった。