わたしで童貞捨てたくせに
第二話 噂の後輩 ②
そして涼介も咲良に続けば、宏太もそういえば「あぁ」と同意の言葉を返す。思い返すと先日漫画を買いに書店を訪れた時、店頭に映画化云々の帯と共に大量に平積みされていたのを覚えている。確かネットでもそれなりに話題になっていて、ちょくちょく目にしたものだ。
陽菜子はこの場の皆が知っていることを確認した後、少し憮然とした顔で話を続ける。
「お姉ちゃんがさ、それの試写会の抽選に当たって観に行ったんだ。なんかすっごくよかったらしくドハマりしたみたいでさ。それはいいんだけど、試写会帰りに買った原作小説を、ここんとこず~っとそれのお勧め攻撃されててちょっとウザいんだよね」
陽菜子はうげぇ、とげんなりした顔で大きなため息を吐く。
涼介も眉を八の字にしながら相槌を打つ。
「あぁ漫画と違って、小説って気軽に読めるもんじゃないよな」
「そうそう、隙間時間じゃなくて、余裕がある時に腰を落ち着けて読みたいって感じだし」
二人のやり取りを見て、宏太は内心同意しつつも苦笑する。確かに何度も執拗にお勧めされれば、気が滅入ってしまうというもの。気心知れた姉なら、ことさらに。
そうだろうと思って、同じような存在の咲良に視線を向ければ目が合い、なんとも困った顔を見合わせる。
実際、かつて咲良とも似たようなことがあった。咲良が小学生の頃にとある王道ド直球な少女漫画にドハマりして、何度も押し付けてくるものだから、ちょっとしたケンカになったのだ。
やがて陽菜子は「お姉ちゃんは時間にルーズ」「今回も衝動買いして、金遣いが荒い」と姉への愚痴を零し出す。
咲良はその愚痴の合間を見計らって、親友を窘めた。
「まぁまぁ、ひなちゃん。それだけお姉さんはその作品が面白かった、っていう気持ちを共有したいだけだと思いますし、ね?」
「それは…………わかってる、けどさ……」
理解しているだけに、陽菜子はバツの悪い顔を作る。
そこへ宏太は助け舟を出す形で、ある提案をした。
「しかし、上本町さんのお姉さんがそれだけ絶賛するって映画、気になってきたな。どうだろ、次の週末観に行ってみないか?」
「わっ、それはいいですね! 実は私もこの作品の原作を読んでいることもありまして、すごく気になってたんです!」
すかさず咲良がパンッと手を合わせ、飛びついた。どこかウキウキした様子でにこにこ笑顔。
その言葉に嘘はなく、この作品を楽しみにしているという気持ちが伝わってくる。
そわそわしだす咲良を見た陽菜子も、尖らせていた唇を緩めた。
「それはいいね。あたしもお姉ちゃんのおススメ攻撃がウザいだけで、作品自体には興味があったし」
「なら決まりだな。涼介は?」
宏太が問うと、涼介は食べかけの焼きそばコロッケパンの残りを一気に頬張り咀嚼して呑み込んだ後、少し申し訳ない顔で答える。
「すまん、その日はバイトだわ」
「そっか。じゃあ、行く日を再来週に変えるか?」
「あー……悪ぃ、こないだゲーム機買っちゃってさ、フツーに金欠。三人で行ってきてくれ」
気恥ずかしそうに己の経済状況を語って背を縮こませる涼介に、宏太たちは「そっか」といって笑うのだった。
春眠暁を覚えず。
この時期の布団の中の心地よさといったら、いつまでも包まっていたくなる魔性の魅力がある。毎朝、学校へ行くためにその誘惑を撥ねのけるのに鋼の精神力を動員しなければならないが、休日は違う。
思う存分微睡みに身を委ね、夢の世界を揺蕩っていると、ふいに冷たい外気に身を晒され、強制的に覚醒させられた。
「ほら、さっさと起きて」
「寒っ⁉」
いきなりのことに寝起きで鈍い頭のまま声の方へと目を向ければ、掛け布団を剥ぎ取った咲良がいた。
宏太は不機嫌さを隠そうとせずジト目で睨むも、咲良はさらりと受け流し、そのまま掛け布団を畳みながら急かしてくる。
「おはよ、宏太。ほら、早く着替えてよ」
そう言ってくる咲良はどこかそわそわしており、上機嫌。また咲良が着ているパステルカラーの春めいた服は、彼女の清楚さや儚さを引き立てる、可愛らしいもの。
初めて見る服だった。この春に新調したものだろうか? 気合が入っているのが一目瞭然。
今日は約束した映画へと行く日だ。どうやら咲良は朝一番の上映を狙っているので起こしに来たらしい。それだけ映画を楽しみにしているというのが伝わってくる。
宏太は「はぁ」とため息を吐きながらベッドの上で身を起こして、胡坐をかきながら寝癖がぴょんと跳ねている頭をガリガリと掻く。勉強机に置かれた年季の入った目覚まし時計を確認すれば、まだ七時前。普段起きる時間とあまり変わらず、つい悪態を吐いた。
「あのな、いくらなんでも早過ぎだろ」
「いいからいいから。あ、着替え手伝ってあげよっか?」
「別にいいって!」
咲良が手をわきわきさせながら、寝巻き代わりにしているTシャツを脱がそうとしてくるので、宏太は嫌そうな顔で身を捩って回避する。
すると大人しく引き下がった咲良は、ジッと宏太のとある場所を見ながらにんまりと口を三日月に歪めた。
「そっか~。うんうん、可愛い私の魅力にやられてムラッときたのバレちゃうもんね~」
「っ⁉ これはただの生理現象だっ!」
「
そう言って咲良は前屈みになり、くいっと胸元を引っ張れば、ちらりとオフホワイトの可愛らしいフリルがついたものが目に入る。
「おい、変なもん見せるんじゃねぇっ!」
「あ、照れてる」
「はいはい、照れてるでいいから、さっさと出てけ。着替えたいんだよっ」
宏太が気まずさから顔を逸らせば、咲良は悪戯が成功したとばかりにくすくすと笑う。
そして宏太がひらりと手を振って退出を促せば、咲良は素直に「はーい」といって部屋を後にする。ドアが閉まった後、宏太は熱くなった頬の熱を吐き出すように大きく息を吐いた。
咲良は付き合って身体を重ねて以降、こうして際どい揶揄いもするようになった。感覚的にはいつも通りの戯れの延長なのだろう。それはこうして、別れた後も続いている。
正直、性に多感な年頃の宏太にとって、目に毒なのは確か。ただでさえ、咲良の見た目は清純派という言葉がぴったりな儚げな美少女なのだ。しかし、言ったところでやめる咲良でもないだろう。それに自分が信頼されているからこそというのもわかっている。
まったく、異性の幼馴染ってやつは困ったものだ。はぁ、と大きなため息が零れた。
着替えを済ませ、洗面所で身だしなみを整え、リビングに顔を出すと、キッチンにいた咲良がこちらに振り返ることなく言葉を投げてきた。
「もう少しでできるから」
どうやら咲良は朝食を作ってくれているようだ。
そのことを確認した宏太は、咲良に訊ねる。
「飲み物は?」
「まだ」
「んじゃそっちは俺が用意する。いつもの?」
「うん、いつもの」
咲良の返事を聞くや否やティーパックを取り出し、いつものこと砂糖なし牛乳多めのミルクティーを用意し終えるのとほぼ同時に、咲良の方もできたようだった。
手分けしてダイニングテーブルに並べ、「「いただきます」」と手を合わせる。
トーストの他はソーセージに目玉焼き、サラダという、簡単だが文句のつけようのない朝食だ。もちろん目玉焼きは、宏太好みの半熟。
「宏太、アレ取って」
「はいよ」
咲良に目玉焼きにかける醤油を手渡しながら、宏太はふと気になっていたことを訊ねた。
「そういや母さんは?」
「おばさんなら、うちのお母さんと朝早くから出掛けてったよ」
「あー……いつもの推し活?」
「多分? あ、夜も遅くなるから、夕飯も自分たちでなんとかしてだって」



