わたしで童貞捨てたくせに
第二話 噂の後輩 ③
それぞれの母親は友人同士であるというだけでなく、同じアイドルユニットのファンでもある。こうしてちょくちょく二人でライブやコンサートへ出かけることも多い。特に我が子に手があまりかからなくなった中学以降、その頻度は増えていた。
宏太は咲良と、困ったような呆れたような、何ともいえない笑みを見合わせる。
「なら、夜は俺が作るわ」
「それじゃ、久々に宏太のリゾット食べたいかも。私が作ってもあの味を出せないんだよね」
「おっけ」
「そうそう、おじさんは? うちのお父さん、今日は残業で遅くなるって言ってたけど」
「こないだからまた出張。現場が完成するまでって言ってたから、当分帰ってこれなさそう。母さんは折を見て、親父のところへ観光気分で行く気みたい」
「ふ~ん、じゃあその時は気兼ねなく家に女の子を連れ込めるね」
「残念ながら、咲良くらいしか来なさそう」
宏太がげんなりした様子でため息を吐けば、咲良は意地の悪い顔を作って茶化す。
「少し前までそういう時は、嬉々として『今日誰も居ないから』って私を誘ってたのに」
「っ、言ってろ」
付き合っていた頃の話を蒸し返され、顔を赤くする宏太。咲良は愉快そうに笑う。
そんな他愛のない話をしていると、ふいに咲良が訊ねてきた。
「そうだ、ひなちゃんのこと聞いた?」
「既にお姉さんが一緒に観に行こうって、映画のチケットを用意してたっていう話だろ?」
「うん、それ。さすがにチケットだけもらって、はいそれじゃってわけにもね?」
「まっ、それだけお姉さんは、上本町と一緒に行きたかったんだろ」
「みたいだねー」
そういった事情があり、昨晩になって陽菜子から映画は二人で行ってくれとメッセージが送られてきた。陽菜子は何度も申し訳なさそうに謝っていたが、事情が事情なだけに、こちらとしても否やはない。それに姉妹水入らずを邪魔するのは無粋というもの。
宏太と咲良は微笑ましそうに頬を緩めた。
朝食を食べ終えた後、早速電車を乗り継ぎ隣府県にある映画館を目指す。
やってきたのはこの地方最大の都心部。
遊ぶにしろ買い物にするにしろ、ここを利用する人が多い。
もちろん、宏太と咲良もよく訪れている。
休日早朝の繁華街は、まだまだ夢の中といったところで、多くの店は閉まっていた。
道を行く人もまばら。その人たちの多くが、コンビニや二四時間営業のファミレス、モーニング目当ての喫茶店へと吸い込まれていく。
よほど楽しみにしているのか、咲良の足取りは軽く、鼻歌交じり。
宏太も釣られて心が浮き立つ。
ほどなくして映画館へと辿り着き、宏太は少しばかり顔を顰めた。
「うわ、思ったより人が多いな」
「むぅ、これは私も予想外」
映画館に足を踏み入れると、既に多くの人が券売機の前に列を作っていた。
繁華街の人の少なさから面食らった形だ。各所から白滴に対する期待の声が聞こえてくる。
どうやら思った以上に人気があり、封切り最初の週末ということで、多くの人が足を運んでいるようだ。その人の多さに圧倒される宏太と咲良。朝一番の回なら大丈夫だろうと高をくくっていたが、これなら予約した方がよかったかもしれないと思うも、後の祭り。
とはいえ、いつまでも突っ立っているわけにもいかない。スマホで時刻を確認すれば、放映まであと一〇分ほど。
「咲良、席は俺が買ってくるよ」
「うん。じゃあこっちはドリンクの方買ってくるかな。適当な感じでいいよね?」
「あぁ、任せる」
咲良が館内にある少し割高の自販機に向かう姿を眺めながら、券売機に並ぶ。
列の進み具合は遅々としており、上方にあるパネルの席状況が△になっていることにやきもきしつつも、なんとか初回上映二人分の席を購入し、胸を撫で下ろす。
さて、咲良はどこにいるのだろうか?
幼馴染の姿を求めてエントランスをぐるりと見渡すと、幸いにしてすぐに見つかり――そして宏太はみるみる表情を険しくしていき、すぐさま咲良の下へと駆け出した。
「待たせたな。で、あんたはうちの咲良に何か用か?」
「宏太!」
宏太はチャラそうな男に話しかけられていた咲良との間に割って入り、すぐさま彼女の腰を掴んで抱き寄せ、彼を睨む。
咲良も一瞬驚きから目を丸くするも、阿吽の呼吸で意図を察して甘えるようにしな垂れかかり、冷たい視線を男へ向ける。
「……チッ、ホントに男連れかよ」
そう言って彼は吐き捨てるように言葉を残し、去っていく。
素直に引き下がってくれたことに安堵し、「ふぅ」と息を吐く咲良。
宏太はついうっかりしていたとばかりに、苦々しい顔で口を開く。
「そうだった。咲良は目を離すとすぐ、変なのを呼び寄せるんだった」
「私だって、好きで呼び寄せてるわけじゃないし」
咲良は憮然とした顔で唇を尖らせる。学校での咲良は宏太との関係が囁かれていることもあり、変に絡まれることはない。しかし、外でとなると話は別。
宏太は災難が去ったことを確認してから身を離し、まじまじと咲良を見やる。
楚々とした見た目かつ、華奢で儚げな咲良は、強引に迫れば押し切れると思われるのか、こうした手合いに絡まれることが多い。
(そうまでして、咲良とお近付きになりたいもんかねぇ?)
誰よりも咲良の近いところにいる宏太には、彼らの気持ちはわからない。
確かに咲良は周囲と比べても頭一つ抜きんでた美貌を持っているという認識がある。事実、今だって周囲から視線を感じるほど。
しかし幼い頃からあまりに見慣れてしまっているため、いくら可愛かろうがドキドキしやしない。咲良は咲良なのだ。むしろ人となりや趣味嗜好だけでなく、忘れて欲しい過去の失敗や恥ずかしいことばかり覚えていては、ことあるごとに揶揄ってくる天敵といった方が適切かもしれないと、仏頂面になっていく。
すると宏太の視線に気付いた咲良が、顔を覗き込んできた。
「どったの、宏太? もしかしてモテる私にヤキモチ妬いちゃった?」
「誰が今更ヤキモチ妬くか。よく見れば中の下ってところなのに、世の中の男たちって飢え過ぎだろうって思ってた」
咲良は宏太の言葉に一瞬カチンと青筋を立てるも一瞬、すぐさま意地の悪い笑みを浮かべて鼻先を突く。
「ふぅん。その中の下の女に、連日盛ってた人は誰ですかねー?」
「ぐっ……すみません言い過ぎました。咲良さんは上の上です」
「うむ、よろしい」
宏太の挑発を受け流し、やり込める咲良。どこか上機嫌にフフンと鼻を鳴らす。
とても一度付き合って別れた者同士ではしないようなやり取り。
しかし宏太と咲良にとって、これまで幾度となく繰り返してきたやり取り。
互いの間にわだかまりといった空気の色はなく、むしろ二人の間の空気が緩む。
ちょうどその時、まもなく白滴が上映されるので、入場する方は急いでくださいというアナウンスが流れた。
宏太は咲良と顔を見合わせた後、手を差し出す。
「行こうか」
そして咲良はその手を当たり前のように掴み、ごく自然な様子で手を繋いだまま、白滴が上映されるシアターへと足を向けた。
映画を観終え、昼には少し早い時間帯。
宏太と咲良は世界各国のカレーが食べられるという謳い文句の店に入り、差し向かって先ほどの映画について熱く語り合っていた。
「いやぁ、あのギミックはわからなかった。最後で謎が解明されてから、各所で引っ掛かってた違和感がどんどんピタリと嵌っていくのは爽快だったな!」
「でしょ~。原作だともっと詳細が書かれてて、伏線も秀逸でさ! 映画にした際に、かなり端折ったみたいだけどね」
「へぇ。でも充分、面白さは伝わってきたぞ。それに映画といえば、ラストの方、めちゃくちゃ映像に迫力があったな」
「わかる! 私も原作読んで想像していたものよりすごい絵になってて、びっくりした!」
「とにかく面白かったよ。上本町の姉さんが嵌るのもわかる」



