わたしで童貞捨てたくせに
第五話 変わりゆく関係 ①
「…………」
この日は気が付いたら朝だった。
スマホを手繰り寄せ、いつも起きる時間だと確認してから気だるげにベッドを出る。
今日はほとんど眠れていない。
しかし、目はやけに冴えている。
頭の中はぐちゃぐちゃのまま、胸の中では奇妙な高揚が渦巻いていた。
原因は咲良の小説だった。
昨日、咲良の受賞を聞いた後、宏太はその応募した作品を読ませてくれと頼んだ。
小説なんて普段は読まず、せいぜい現国の教科書で触れる程度。
どうせ読むなら活字だけじゃなく絵も添えられた漫画の方がいいと思うし、何ならアニメ方がいいというスタンスだ。
だが咲良の小説を読み始めた瞬間、一気に引き込まれ、そのまま最後まで読み切っていた。
内容は昔、男女の差を気にせず遊んだ幼馴染と数年ぶりに高校で再会し、一緒に生徒会選挙に出て奮闘するという話だ。
かつてと今で違う男女の差に起因するあれこれにドギマギさせられ、表や裏で繰り広げられる論戦でライバルと鎬を削り、手に汗を握る。そして離れていた間にヒロインの身に起こった、どうしても生徒会に入らなければいけない事情の告白には痛いくらいに胸を揺さぶられた。
読了後に襲われたぞわりと全身の産毛が逆立つような、あるいは身体中の血液が逆流するような衝撃は、筆舌に尽くしがたい。
――あぁ、賞をとるのも納得だ。
普段小説なんて碌に読んでこなかった宏太にもそう思わせるほどの、荒々しくもひどく心に響く物語だった。
これだけのもの、一朝一夕に作れるものではないだろう。書くためにどれだけ小説を書くことに向き合い熱中し、技術を研鑽し、心血を注いできたことか。生半可なものではないはずだ。
それだけ、咲良がこの小説に魂を捧げてきたのがよくわかった。わからされてしまった。
咲良が受賞したということは、そのこれまでの努力が認められたということだ。
今までずっと傍にいた幼馴染の偉業に、羨望交じりの感想が宏太の口から零れた。
「咲良、すっげぇな……」
その後、母のリリーから寝不足を揶揄われたので鬱陶しそうにあしらった後、朝食を平らげ、普段より少し早い時間に家を出た。
いつもなら、どちらか早く支度が出来た方が迎えに行くのが習わしだ。
宏太が宝仙寺家のインターホンを押そうとしたタイミングで、ガチャリと玄関が開いて咲良が現れた。
「「ぁ」」
不意打ちで鉢合わせる形となり、それぞれ驚きと戸惑い交じりの間の抜けた声を重ねる。
なんだかやけに気恥ずかしい。
こんな感覚、付き合い始めた時にさえなかった。初めてだ。
宏太と咲良はどうしていいかわからずしばらくそのまま固まった後、この場の空気を誤魔化すように笑い、どちらからともなく普段通りに駅へと足を向けた。
「…………」
「…………」
道中、咲良はしきりにこちらを窺う視線を投げかけて来ていた。
どうしてかなんて理由は明白。そもそも読んでみたいと言い出したのは宏太なのだ。
小説の話題は避けて通れないだろう。宏太は「ふぅ」と短く息を吐き、言葉を選ぶ。
「読んだよ、咲良の小説」
「っ、どうだった……?」
すると咲良は顔をボンッという音が聞こえてきそうな勢いで赤面させた後、睫毛を伏せ目線を逸らし、指先をもじもじ弄びながら躊躇いがちに訊ね返してくる。
思わず瞠目する宏太。
羞恥に塗れ上目遣いでこちらを窺う顔は、これまた今までみたことのないものだった。こんなにも恥じらう姿なんて、咲良と初体験を済ませた時でさえ見たことがない。
それだけ咲良にとって自ら書いた小説を、自分の心の中を具現化した世界を見られるということは、照れくさいものらしい。
宏太は驚きつつも、素直に感想を紡ぐ。
「小説のことはあまり読まないし、よくわからないから、上手いこといえないけど」
「うん」
「面白かったよ。一気に読んじゃって、寝不足になるくらい」
「そ、そっかぁ……!」
咲良は心底喜ばしいとばかりに、ふにゃりと頬を緩める。
その笑顔は宏太が思わず言葉を失ってしまうほど、可憐で艶やかなものだった。
ずっと傍に居た宏太をして、初めて心の奥底から可愛いと思ってしまうもので――そしてまるで知らない女の子に見えた。見えてしまった。
付き合っていた時にも見せたことのない笑顔で、ごきげんになる咲良。
それを見て、宏太の胸がドキリと跳ねた。
この日の咲良は、見るからにいつもと様子が違った。
普段より五割増しでにこにこ上機嫌。そしてたまに何かを思い出したかのようにクスリと笑う。かと思えばふいに憂いを帯びた表情になり、ため息を吐く。
誰の目にも、咲良に何かあったのは明白。
昼休み、いつものように机を寄せて弁当を広げていると、陽菜子がニヤニヤしながら咲良に話しかけた。
「咲良ちゃん、今日はやけにご機嫌だね。何かイイコトでもあった?」
「そうですか? いつもと同じだと思いますけど」
「それだけ浮ついていて説得力ないってーの。ほら、お姉さんに何があったか言ってみ?」
「えぇ~、そう言われましても……」
咲良はとぼけながらのらりくらりと陽菜子の追及を躱そうとするものの、顔をニヤつかせていれば余計に何かあったのかと言っているかのようなもの。それだけ咲良は、受賞の件が嬉しいのだろう。時々こちらにチラチラ視線を送ってきては、宏太も苦笑いする。
するとその様子を見て、涼介が冷やかすように声をかけてきた。
「で、宏太。やっと宝仙寺と付き合い始めたのか?」
「なんでそんな話になる」
「いやだってさ…なぁ、上本町?」
「うんうん、完全に恋する乙女のような反応をされればね。それに宮町くんも宮町くんで、今日は考え込んで上の空というか、二人に何かあったと思うのが当然じゃない?」
「うぐっ」
陽菜子と涼介は顔を見合わせ「「ね(な)ーっ」」と声を重ねる。
宏太は二人から茶化すような目と声を向けられ、口籠ってしまう。
確かに陽菜子の言う通り、今日の宏太はボーっとしている自覚があった。それだけじゃなく教科書を忘れたり、小テストも不振。机に足を引っ掛けて倒して中身をぶちまけてしまったりと、散々だった。咲良ではないが、宏太もまた何かあったと言っているかのようなもの。
それが咲良と同時にとなれば、二人の間で何かあったと考えるのが自然だろう。
涼介は腕を組み、うんうんと唸る。
「まぁ宏太がナーバスになるのもわかる。相手が宝仙寺さんだと、オレなら自分と釣り合ってるかどうか不安になるし、特に周囲からの目が気になるだろうしな」
「でも咲良ちゃんと宮町くんっていつも一緒だし、そこは気にならないんじゃない?」
「いやぁ、それとこれとは別だろー」
「えー、そうかなー?」
こちらのことはそっちのけで、恋愛に絡めた話で盛り上がる涼介と陽菜子。
すると咲良が困った様子で二人を窘めるように言う。
「もぅ、そういうのじゃありませんから! 誤解しないでくださいよ。ね、宏太くん?」
「あ、あぁ」
しかしいくら咲良や宏太が否定しても、「またまた~」「素直に認めちゃいなよ」と暖簾に腕押し。まるで信じやしない。
やがて弁当を食べ終えた咲良は、呆れた顔をして立ち上がった。
「もぅ、ひなちゃんに難波くんってば……宏太くん、行きましょっ」
「……おぅ」
いつものように、昼間の庶務の仕事に誘ってくる咲良。
宏太は少し躊躇ってから了承し、共に席を立つ。
涼介と陽菜子から「あまり周囲に見せつけんじゃねーぞ」「ごゆっくり~」といった茶化す声を聞きながら廊下に出て、生徒会室へと足を向ける。
そして教室を離れたところで、咲良は「ふぅ」とため息を吐いて愚痴を吐き出した。
「まったく、ひなちゃんと難波くんにも困ったものです」
「あれは仕方ないだろ。今日の咲良は見るからにイイコトありましたって感じだったし」
「私、そんなに浮かれてましたか?」



