わたしで童貞捨てたくせに

第六話 秘密の特訓 ②

「そんな感じですね……うん? これってもしかして今度アニメ化するという原作ラノベの、主人公のことが好きな妹の友達のセリフですか? 私も読んでますよ、これ!」


 咲良の言葉に、羽衣は正解ですと言わんばかりにコクリと小さく頷く。

 目をぱちくりさせる宏太に、嬉々とした反応を示す咲良。

 しかしやはり、モノマネの練習に見える。ではなぜそうではないといった様相を見せたのか訝しんでいると、意を決した羽衣がおずおずとある単語を口にした。


「お、オーディションっ」

「オーディション……?」


 普通に高校生活を送っていれば、まず縁のない言葉の意味が分からず、宏太はオウム返しに呟く。どういうことだろうかと眉を顰めるも、羽衣はどう伝えればいいのかもどかしそうに瞳を潤ませ、見つめてくるのみ。まるで自分が彼女に対して意地悪しているかのように思えて、ますます眉間の皺が深くなる。

 するとやきもきするような空気の中、何かに気付いたらしき咲良が「あ!」と声を上げ口に手を当てた後、まじまじと羽衣を見つめ、おそるおそる疑問を口にした。


「もしかしてですけれど、オーディションってこのキャラの……?」

「そ、そうっ」


 その通りだと羽衣は何度も首を縦に振る。

 咲良の言葉でようやく羽衣の状況を察した宏太は、みるみる目を大きくして叫んだ。


「え、ウソ、オーディションってそういう⁉ っていうかそれって――」

「朝熊さんって、実はプロの声優さんだったんですか⁉」


 宏太の言葉の後を引き取り、前のめりになって訊ねる咲良。


「一応、でもまだ、端役ばかり。今回、ダメ元、でもチャンス。だから、練習っ」

「……っ」「……すごい」


 気恥ずかしそうにはにかみ、指先を弄びながら首肯する羽衣。驚きから言葉を失う宏太に、感嘆の言葉をポロリと零す咲良。

 そして咲良は何かに気付いたとばかりに羽衣に訊ねた。


「もしかして、よく一緒に歩いているとか言われてる男性ってもしや……」

「ま、マネージャー」

「はわぁ……」「へぇ……」


 意外な形で噂の真相を知り、宏太と咲良は顔を見合わせる。

 詳しく事情を窺ったところ、羽衣は大手プロダクションが経営する声優養成所に通っているとのこと。そこで運よく一度だけ、とある作品の生徒B役として出演したことがあるらしい。

 端役とはいえ、一応はプロデビューした身だ。だが、それだけ。羽衣はまだまだ地力が不足していることを実感しており、養成所でレッスンを受けつつ、こうして人知れず努力して、次の仕事に繋げるために頑張っているという。

 確かに羽衣のモノマネはかなり真に迫っていた。

 しかしまさか、駆け出しとはいえプロだとは思いもよらなかった。

 途端にこの目の前にいる羽衣が、コミュニケーションが不得意な不器用な後輩でなく、まるで遠い世界に住む存在に見えてくる。事実、プロという世界にいる羽衣はそうなのかもしれない。

 こうしてオーディションに向け時間を惜しみ、昼休みこんな場所で一人練習に励み、声の演技に向き合っている。

 そんな世界に居る人がもう一人。

 宏太はふと反射的に隣の咲良へ目をやった。

 咲良も羽衣とジャンルは違えど、小説というプロの世界に足を踏み入れている。

 すると途端に昔から何でも知っているはずの幼馴染が、ふらりと目の前からどこか行ってしまうような気がして、その存在を確かめようと自然と咲良へ手を伸ばし――その時、羽衣が切羽詰まった声を上げた。


「そ、相談っ」

「っ、……相談?」


 宏太はとっさに手を引っ込め、自分がしようとしたことを誤魔化すように聞き返す。

 羽衣は彼女らしからぬ勢いに任せ、言葉を続けた。


「セリフ、今ひとつ感情、乗ってないっ。この子の気持ち、掴めきれてない。期日近い……」


 最後の方はしょぼくれたように、羽衣の声が小さくなる。

 そして羽衣の言葉の意味を咀嚼した咲良が、確認するかのように問う。


「つまりその子の気持ちをうまく汲み取った演技ができず、焦ってるってことですか?」

「そう……」

「なるほど……」


 咲良はそう言って口元に手を当て、眉を顰めて逡巡し、ブツブツと「出番は少ない」「序盤は潜在的なライバル」「けどヒロインに与える影響は大きい」と自分の考えを零す。

 すると羽衣もまた咲良の独り言じみたそれに、「唯一、明確に、恋愛感情」「けど、臆病」「彼女の感情、実感ない」といった相槌を打っている。

 プロ二人におけるオーディションについての高度な意見の交換に、置いてけぼりをくらう宏太。その作品を知らないだけに、なおさら。

 疎外感と焦りに侵食される中、努めて平静を装いながら彼女たちを眺める。

 やがて互いの掲げる問題を見つけた咲良が、羽衣に代わって代弁した。


「つまり朝熊さんに恋愛経験がないから、彼女の気持ちを掴み切れないと」

「……かも」

「そういう感情の機微って実体験がモノをいうと言いますか……」

「うぅ……」


 解決策が見つからず、むむむと難しい顔を突き合わせる咲良と羽衣。

 しかしまるで蚊帳の外の宏太。拳を強く握りしめたその時、咲良が名案とばかりに弾んだ声を上げた。


「そうだ、宏太くんに協力してもらいましょう」

「は?」「っ⁉」


 咲良の言うことが今ひとつわからず、思わず怪訝な顔をする宏太。羽衣も驚きビクリと肩を震わせ、咲良と宏太の顔を交互に見やる。

 宏太は羽衣の視線を感じつつ、咲良に疑問を投げかけた。


「協力っていったって、一体何をどうするんだ?」


 すると咲良はピンと人差し指を立ててくるくる回しながら、胸を張る。


「台詞のシーンを再現するんですよ。宏太くんにはその相手役をお願いしようかと。こういうのって経験、、するとそういうことに対する解像度がグッと上がるんです!」

「はぁ……」


 それは咲良の小説を書く上での実体験でもあるのだろう。妙に説得力もあった。

 咲良がどうかなと窺うように目配せすると、羽衣は躊躇いを見せるも一瞬のこと。

 胸元でギュッと両手を握り締め顔を上げ、こちらに向けて強い意志が籠められた声を上げた。


「やりたい、です……っ」


 羽衣の視線を受け止め、咲良はパンッと手を合わせニコリと笑う。


「なら決まりです。さ、宏太くん?」

「はいよ。で、何をどうすればいいんだ?」


 宏太が訊ねると、咲良は羽衣から差し出されたプリントに目を落とし逡巡する。


「そうですね……このシーンにしましょうか。宏太くん、朝熊さんの頭を撫でてください」

「え゙っ」


 宏太は思わずギョッとした声を漏らす。

 頭を撫でる――そんなこと、よほど親密な間柄じゃないとやらないことだ。場合によってはセクハラにもなりかねないだろう。

 それを知り合って間もない羽衣にするというのは、心理的ハードルが高い。しかも羽衣は先日の一件の通り、入学してすぐさま噂が駆け巡るほどのとびきり可愛い女の子ときた。

 ちらりと視線を向けて羽衣よく見てみれば、髪だって一目で手間暇かけて手入れされているのがよくわかる。

 宏太が本当にいいのかとおそるおそる視線で問えば、羽衣は頬をほんのり赤く染めつつも、頭をこちらへ差し出してきた。


「だい、じょぶ、です……っ」

「そ、そうか。なら……」


 宏太はおっかなびっくり、羽衣の頭に手を乗せ優しく撫でるように動かす。手のひらから伝わる滑らかな感触はまるで生糸のようで、撫でていて心地いい。

 羽衣はといえば頭を弄られることが恥ずかしいのか、背を縮こまらせている。しかしそれでもされるがままの羽衣がいじらしくて、ドキリとしてしまう。

 するとその時、咲良が不満そうな声を上げた。


「宏太くん、そうじゃないです。頭ぽんぽんって感じじゃなく、わしわし~って感じで乱暴に掻き混ぜてください」

「いや、さすがにそれは……」



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