わたしで童貞捨てたくせに

第六話 秘密の特訓 ③

 そんなことをすれば、せっかくセットされている羽衣の髪がめちゃくちゃになってしまうだろう。さすがにそれは躊躇うというもの。

 しかし咲良はそんな宏太に「はぁ」と呆れたため息を吐き、こんこんと説明する。


「いいですか? ここで朝熊さんが演じるキャラなんですけど、自分を粗雑に扱う想い人に嬉しいけどいつまでも意識されないことにやきもきしちゃって、ついポロリと言っちゃうところなんですからっ」

「……ですっ!」


 咲良の言う通りだと、羽衣も続く。

 宏太は二人の視線を受けてたじろぐものの、一度手伝うといった手前、断るわけにもいかない。やがて観念したように「ふぅ」と小さく息を吐き、再び羽衣の頭に手を乗せ、申し訳ないと思いつつも今度は荒々しく彼女の頭を掻きまぜた。

 羽衣はまたも、されるがままにそれを受け入れている。

 せっかく整えられているというのに、どんどん無遠慮に乱されていく羽衣の髪を見ていると、申し訳ないという気落ちと共に、まるで彼女を征服していくような倒錯感に身を焦がす。

 いつまでやればいいのだろうか?

 宏太が騒めく心臓を必死に戒めていると、ふいに羽衣から拗ねたような抗議の声が飛び出した。


「『もぅ、妹扱いしないで下さいっ! 乱暴なんだから!』」

「っ⁉ ごめんっ」


 まるで自分のしていることを咎められたと思った宏太は、思わず手を離して謝る。

 すると羽衣は一瞬目を丸くした後、わたわたと手を振った。


「違っ、役、台詞……っ」

「あ、あぁ、そうか。うん、そうだった」


 あまりにものリアルな羽衣の物言いに、言われてからようやくこれが演技の練習だということを思い返す。

 そして咲良は口元に手を当て、うんうんと納得したように頷いた。


「いいですね! 彼女の気恥ずかしさと、自分を恋愛対象に見てくれていないという、歯痒い気持ちが伝わってきました。朝熊さん的にはどうでしたか?」

「まだ、朧気……けど、何か、掴めそう……っ」

「それなら、他のをやってみましょうか」

「んっ」

「それじゃ、次はどれがいいですかね……」

「……これ」


 咲良は呟くと、その隣にやって来た羽衣がプリントのとある箇所を指差す。


「なるほど……宏太くん、今度は朝熊さんと腕を組んでください」

「っ、腕って……マジか」


 次のオーダーに軽く息を呑む宏太。腕を組む。これも普通の男女の距離感ではまずしない。

 羽衣もそれをわかっているのだろう。緊張で身体を強張らせているがしかし、眦を釣り上げやる気を見せている。


「ほら、宏太くん?」

「……おぅ」


 咲良に促され、宏太はおずおずと左腕を差し出す。

 すると羽衣は一瞬小さく息を吐き出した後、勢いよく宏太の腕に抱きついてきた。


「……っ」

「っ!」


 宏太はびくりと身体を強張らせる。

 ちらりと視線を彼女の方へと向けると、自分の腕を両手で抱きかかえる羽衣の姿。

 完全な密着状態。当然ながら羽衣のささやかながらも、確かに存在する女子特有の膨らみも感じられた。左腕にダイレクトに伝わる羽衣の柔らかな感触と熱、それから目の前の少し乱れた髪から漂う甘いミルクのような香り。咲良とはまるで違う異性の情報に新鮮さを感じると共に、思考が掻き乱されくらくらしてしまう。

 頭の中が、羽衣という女の子に侵食されていくような感覚。

 宏太が思わずごくりと喉を鳴らしたその時、隣から揶揄うような声を掛けられた。


「『あれあれ~もしかして緊張してますか、先・輩♪』」

「っ! あ、いやそういう……」

「『ふふっ、顔真っ赤ですよ?』」

「こ、これはその……っ」


 図星を指され、あたふたする宏太。すぐさま羽衣に掴まれていた腕を解き、慌てて距離を取る。

 すると咲良が呆れたように特大のため息を吐いた。


「宏太くん、演技ですよ、演技」

「アッ」

「もぅ、慌てふためいちゃって……まぁ朝熊さんくらい可愛い女の子に密着されたら、わからなくもないですけどね」

「うぐっ」


 先ほどの自分を思い返すと完全に羽衣を意識してしまい、挙動不審になっていた自覚があるだけに、宏太は何も言い返せず口を噤む。

 一方羽衣はといえば、手ごたえを感じたのか胸元でギュッと握りしめた拳を眺めながら、小さく頷いている。


「朝熊さん、何か掴めましたか?」

「ん、いい感じ、かも……っ!」

「なら、それを確認するためもう一回くらいやってみます?」

「するっ」


 即答する羽衣に、宏太は頬を引き攣らせ身構える。

 先ほどから少々過激な接触に心臓がもたないというのに、次はどんなものが飛び出すやら。

 やがて、咲良は難しい顔をして「これはさすがに」「大丈夫ですか?」と問いかける。

 羽衣は完全に顔を真っ赤にしつつも「んっ」と小さく頷く。

 そして一呼吸置いた後、咲良は神妙な顔を宏太へ向けた。


「宏太くん、朝熊さんを抱きとめてください」

「えっ、抱きとめ⁉」

「変な気を起こしちゃダメですからね? ほら、朝熊さんっ」

「んっ」


 咲良が羽衣の背中を両手で押せば、羽衣は勢いよく宏太の胸へと飛び込んできた。


「ちょ――っ⁉」


 咄嗟に羽衣を抱きとめる宏太。

 軽い衝撃を感じたのも一瞬のこと。腕の中にすっぽり収まる羽衣の小ささ、抱きしめたら折れてしまいそうな華奢さ、そして伝わってくる女の子の柔らかさと熱は先ほどの腕組みの比ではない。あっという間に頭の中が真っ白になってしまう。代わりにそこが朝熊羽衣という女の子で埋め尽くされる。

 心臓は痛いくらいに暴れ出し、今にも口から飛び出してしまいそうなほど。

 腕の中で羽衣が小さく身じろぐ度に、宏太の理性が揺さぶられる。

 そこへ少し甘えを含む、切羽詰まった声を浴びせられた。


「『私じゃ、女の子に見られませんか?』」


 ――そんなわけないだろう!

 宏太は今すぐ口から飛び出しそうな言葉を必死に呑み込む。

 さすがに三度目、演技だというのもわかってる。

 しかしそれでも、羽衣は魅力的過ぎた。

 意志に反して、彼女を抱きしめようとする腕が彷徨ってしまう。

 自分でもどうすればいいいのかわからない。

 ただ、彼女を雄として手に入れたいという欲望が胸に渦巻く。

 一体どれだけ唇を噛みしめ、堪えただろうか。

 もしくはほんの僅かな間のことかもしれない。

 とにかく、理性を総動員していた。それが今にも決壊しそうになった時、ふいに羽衣がこちらを突き放すようにして身を離したかと思えば、勢いよく頭を下げた。


「ありがっ、ござっ、ました……っ!」


 たどたどしいお礼を告げ、羽衣はそのままこの空き教室を脱兎のごとく飛び出していく。最後にちらりと見えた羽衣の顔は、耳の先まで真っ赤だった。

 羽衣としても恥ずかしかったのだろう。

 咲良はそんな羽衣を微笑ましそうに手を振って見送った後、おかしそうに笑いだした。


「あはっ、宏太ってば緊張しすぎ。ウケる。女の子慣れしてないというか、童貞丸出しって感じで。そのくせ鼻の下を伸ばしてるし」

「うっせーよ!」


 先ほどの醜態を指摘され、即座に赤面したまま吼える宏太。

 確かに先ほどは完全に羽衣にドギマギしてしまっていた。

 しかしそれを取り繕うように、すぐさま言葉を続ける。


「いきなりのことでちょっとびっくりしただけ。アレくらい、何でもない。役得だ、役得」


 しかし幼馴染相手には明らかに強がりとわかる言い訳に、咲良はさもおかしそうな声を上げた。


「あはっ、そうだね! うん、そう――」


 そこで咲良は言葉を区切り、ニヤニヤとした顔で宏太の鼻先を突く。


「――なにせ、私で童貞捨ててるもんね」


 宏太は「うぐっ」と声を詰まらせ、顔を真っ赤に染めてそっぽを向いた。


 


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