わたしで童貞捨てたくせに
第七話 気付いたこと ①
「ふぅ…………」
ゴールデンウィークが近付くある日の放課後、宏太の部屋に悩ましいため息が響く。
宏太と咲良は大型連休にむけて、ちらほら出され始めた課題に取り組んでいた。
大きな休みの前は、咲良主導で早めに課題を片付けるのが習慣になっている。
おかげでこれまで夏休みなどの長期休暇で、最後の方になって慌てたこともない。
それに宏太たちの高校は進学校だ。成績には響かないものの、ゴールデンウィーク明けには実力テストが控えている。早めに課題を片付け、そちらの対策をするのも重要だ。
少し古びたローテーブルで肩を寄せ合い、教材を広げ黙々と問題を解く。
「はぁ……」
そしてまたも今日何度目かの咲良のため息が漏れ、宏太は顔を顰めて指摘した。
「咲良、そこ計算ミスってるぞ。前の式の解、別のとこに代入しちゃってる」
「えっ……ほんとだ」
「さっき英語でも綴り間違えてたし、集中力切れてきたか?」
「かも。ちょっと休憩しよっか」
「んじゃ俺、飲み物でも取ってくるわ。いつものでいい?」
「うん、お願い」
宏太は隣でぐぐーっと大きく伸びをする咲良を横目に、部屋を出て階段を降りキッチンへ。
慣れた動作でいつものこと砂糖なし牛乳多めのミルクティーを二人分用意しつつ、ここ最近の咲良について思いを巡らす。
今日だけでなくこの二日ほど、咲良はやけにため息を吐くことが多い。特に、こうして二人きりの時は顕著だ。一応、学校にいる間は気を張っているからか周囲にバレていないものの、今日も人気のない場所でボーっとしていたのか扉におでこをぶつけていた。
大方、小説に関して何か悩みでもあるのだろう。
だけど、何が咲良にため息を吐かせているかはわからない。
もっとも小説のことなんて何もわからないので、打ち明けられても答えようがないのだが。
そう思うと暗澹たる気持ちがどこからともなく押し寄せてくるので、宏太はそれらを追い払うように
宏太ができあがった飲み物を持って自分の部屋へと戻ると、咲良は行儀悪くローテーブルに上半身を投げ出し、スマホを両手で持ってぽちぽちと弄っていた。
咲良の隣にマグカップを置きその場に座り、牛乳のおかげでほどよくぬるくなったミルクティーで唇を湿らせつつ、ちらりと彼女を見やる。すると咲良は人様にはお見せできないだらけモードな姿を晒しつつも、その目がやけに真剣なことに気付く。
宏太は一瞬、小説関連の何かと思うものの、そのことで遠慮するのも癪だったので、なんてことないふうを装い咲良に訊ねた。
「何見てんだ、咲良?」
「ん~、コスメとその使い方」
「コスメ? えっと、化粧品のことか?」
「そそ。ちょっと本格的にメイクの仕方を覚えてみようかと思って」
「……ふぅん」
興味ありませんというように鼻を鳴らしつつも、少しばかり眉根を寄せる宏太。
宏太と咲良の学校には建て前として、校則には化粧禁止という項目はない。だから華美過ぎなければ、メイクに関しては割と緩い方だ。それに思い返せば、羽衣も派手にまではいかないくらいの、絶妙なラインでメイクをしていた。
優等生である咲良は学校ではせいぜい保湿用の薬用リップか、下地も兼ねる日焼け止めクリームを使用する程度。家でもスキンケアのために化粧水や乳液といった基礎化粧品を使っているらしいが、本格的なメイクをしたところを見た記憶はない。
一体、どういう心境の変化があったというのだろうか? 宏太が釈然としない空気を醸していると、咲良はスマホに目を向けたまま、どこか硬い声で呟いた。
「あのさー、……編集さんとの顔合わせ兼打ち合わせの日が決まったんだ。五月初めというか、ゴールデンウィーク初日。もう新幹線のチケットも手配してくれてるんだって」
「――………」
咲良の言葉が、宏太の胸をざらりと撫で上げる。
新幹線で行くような遠いところへ、編集に会いに行く。自分の書いた小説が受賞したのだ、当然のことだろう。その必要があるのもわかる。
しかし、そこへ行くのは咲良一人だ。
その隣に宏太はいないし、資格もない。
いつもすぐ傍にいる咲良が、本格的に別の世界へと遠ざかっていくような錯覚。
宏太は胸の動揺を悟られまいと、同じく硬い声色で確認するかのように言葉を絞り出した。
「てことは出版社……東京に行くのか?」
「うん、そう。なんていうか、地方住みの私ってばお上りさんになるわけで。だから、ちょっとは見栄えが都会の人たちに負けないようにしなきゃ~って思って、それでメイクをね」
「そっ、か……」
咲良は少しばかりの照れを見せながらはにかむ。宏太は良く知るはずの幼馴染が変わっていく様を特等席で見せられ、そっぽを向いてぶっきらぼうな返事をする。
しかし咲良はそんな宏太の胸の内などいざ知らず、いつもの調子で頼みごとをした。
「そうだ今度の祝日、買い物に付き合ってよ。その辺り、色々買いたくてさ」
「…………あぁ」
咲良が
人によってはゴールデンウィーク初日にもなる、四月二十九日の昭和の日。
宏太は咲良と朝から、いつも訪れている隣府県の繁華街へ繰り出した。
目的はいわゆるプチプラといわれる、高校生でも手が出しやすい価格帯のコスメ。
買うだけなら近所のドラッグストアでもよかったのだが、何せ咲良は初心者だ。
やはり何か気になる点があれば、話を聞ける店員が居る方がいいだろうということで、駅と都市公園が併設された複合施設内にある専門店へと、一直線に足を向ける。
店に着いた咲良は、最初こそおっかなびっくりキョロキョロと周囲を窺いながら所在無げに彷徨っていたものの、一回りほど年の離れた女性店員に声を掛けられてからは、ずっと彼女と話し込んでいた。
咲良は事前にネットで調べて疑問に思っていたことを質問したり、店員からコスメの使い方を、試供品を使って丁寧に説明してもらう。付き添いの宏太はただ、女性ばかりの店内で男一人肩身を狭くしながら、隣でその会話を聞くだけ。
完全に蚊帳の外になること一時間半。咲良は一番のお勧めかつ売れ筋の初心者用コスメセットを購入し、店を後にした。
その後、昼時だということで、割引クーポンを持っているハンバーガーショップに入り、それぞれカウンターで注文した商品を受け取り、入り口にほど近い二人掛けの席に座る。
祝日の繁華街は多くの人たちでいっぱいだ。
周囲から聞こえる同世代の若者たちの、これから遊びに繰り出す算段をしている会話をBGMにしながらテリヤキバーガーを齧っていると、ふいに咲良が礼を述べた。
「宏太、今日は付いてきてくれてありがと」
「俺は何もしてないけどな。咲良たちの話を横で聞いてただけだし」
「あはっ、店員さんにカレシと間違われたくらいだね」
「……まぁ、それはいつものことだからいいけど」
いつも通りの軽口。カレシと間違われるのも、今日が初めてでない。だけど今日に限っては思いっきり顔を顰めてしまった自覚があっただけに、どうにも決まりが悪い。
しかし咲良はさして気にした様子もなく、ちょっとした秘密を打ち明けるように小声で、少し照れながら小声で囁いた。
「ホント、助かったんだから。あんな店って初めてでさ、私けっこう緊張してたし。宏太が傍にいてくれなきゃ、考えてきた質問とか頭真っ白で何も言えなかったと思う」
「……さいで」
素っ気ない相槌を打ち、顔を窓の方へと向けてコーラを啜る。
咲良はこちらに感謝してくれていると言うものの、本当に自分は何もしていないのだ。
宏太は窓ガラスに映る不機嫌とも拗ねたとも受け取れる自分の顔を見て、そんな己を誤魔化すように問いかけた。
「で、これからどうする?」



