天才失格 -堕ちた魔王、探偵となる-

第一章 人生を決めるもの ①

『二〇四二年現在、人類は肉体の檻を破っています』


 聞き慣れた声が耳に届く。

 ここは、とある街の大講堂。広いステージの前に弧を描くようにして赤い座席が並んでいる。その大半を埋める人々は、一様にステージの上に立つ少女を見ていた。

 視線をステージの端に移す。

 そこには、壇上に立つ幼馴染の姿がある。

 桃色をしたボブカットの髪と、光が灯っているようなキラキラした瞳。口角の上がった顔立ちも相まって、快活な印象を強く受ける少女だ。

 セーラー服に身を包んでいる少女は、室内だというのに、ピョコンと耳のような部位があるキャスケット帽を被っている。しかし、それを気にする人間など今の時代誰もいない。

 なぜなら、座席に座る人々もまた、それぞれ多種多様な帽子を被っているのだから。

 少女はその背に大きな箱のようなもの背負っている。リュックのようにも見えるが、その箱の表面は金属質で、物が収容できるようには見えない。


Human人間 Augmentation拡張 Technology技術……略してHATと呼ばれるこの技術により、人々は脳の眠っていた潜在機能を発揮できるようになりました。発明初期には巨大なカプセルのような機械を用いる必要がありましたが……』


 県の個人研究コンテスト。その発表会だというのに、少女の顔に全く緊張は見えない。

 猫耳帽子の少女の発表を、自分は舞台の端で見ていた。

 もうすぐ自分の番だ。

 少女が空中に手を掲げると、彼女の上空に巨大なキャップ帽が出現した。


『ご存じの通り、今ではこのような帽子型のデバイスを用いることで、脳の潜在機能を引き出すことができるようになりました。今ではHATと言えばこの帽子型デバイスのことを指すのが一般的ですよね』


 今空中に浮かび上がっている巨大なキャップ帽も、視覚拡張によってこの場にいる全員の脳が『見えている』と錯覚しているだけの拡張映像ARだ。


『一秒間に大量の思考をすることも、記憶力を上げることも、動体視力を上げることも、高度な計算や予測も一瞬でできるようになり、そして……、』


 少女が僅かに前かがみになると、背負っていたリュックのようなものが低い駆動音をあげる。すると、瞬く間にそれは変形していき、彼女の背に新たな体の一部が増える。それは、天使のような一対の翼だ。

 その羽は、少女の体の一部であるかのように、滑らかな動きで軽く羽ばたく。いや、実際これは彼女の意志によって自由に動かせるのだ。


『このように、身体拡張で体に新しい部位、『拡張肢』を生やして、文字通り手足のように使うこともできます。……まぁ、これらができるようになるには、を持っている必要はありますが』


 少し冗談めかしてそう言うと、会場の各所にも軽い笑い声があがる。


『これらの拡張肢は、そのさえあれば、基本的には誰でも問題なく使えます。一方であまりに複雑だったり、数が多い場合は、使えたとしても扱いきれないという問題があります。現状はこの問題に対し、モデルベースの制御アプリケーションで、脳に制御処理をしやすくさせるアプローチが主流ですが、この方法では、せっかくの複雑な拡張肢の動きが単純化してしまうという問題があります。これに対し、私は新しいアプローチのシステムを提案します。私たちはこれに、『百手の巨人センティマニシステム』と名付けました。このシステムは、思考加速、並列処理、高度計算の脳機能拡張を用い、非線形システムの最適化をリアルタイムで実行することで――』


 と、幼馴染の説明を聞きながら、何気なく会場の天井へ視線を向ける。

 そこでふと、何か動く影を見た。

 その場所に目を凝らす。

 影を見た場所は、座席側の天井付近。両側から張り出すようになっているデザインの壁の上に、何かが動いた気がしたのだ。

 人型の、何かが。

 座席側が暗く、こちらに向けて降り注いでいる照明のせいで見づらい。

 見間違いかと思った矢先、やはり壁の出っ張りの上で何かが動いたのが見えた。それは人型ではあるが、その腰から羽のようなものが生えているようにも見える。

 自分の軍帽型のHATを被りなおす。

 HATの輝度調節機能と視力調節機能を使い、もっと良く見ようとしたところで……、


『玖全?』


 視線を戻すと、壇上の少女がこちらを不思議そうに見ていた。

 自分が話す番になっていたのだ。

 少女と交代する形で舞台の中心へ足を運ぼうとしたとき――、


「なーに見てんのっ? 玖全っ」


 と、誰もいないはずの真左から、そんな声をかけられた。

 それと同時に、左側から軽い衝撃と抱き着かれるような感覚。

 思わず体勢を崩しそうになる。

 玖全、と呼ばれた青年は、軽くため息をついて、頭の中でをオフにした。

 途端に講堂内の景色が揺らぎ、空気へと溶けていく。その向こうから現れたのは、夜空と立ち並ぶ摩天楼。そして……、


「また、あの映像見てたの?」


 自らに抱き着く、猫耳帽子型のHATを被った少女だ。桃色のボブヘアから、柑橘系の香りが漂い、ふわりと鼻孔をくすぐる。

 先ほど記憶再生の中で見た少女だった。あの映像の中で見たときと違い、少女は、水色を基調とした動きやすそうなスポーツウェアを着ており、その上にジャケットを羽織っている。スパッツの上に短いスカートを穿くようなファッションに、彼女の拘りが滲んでいる。


「ハッ! ……もしかして、えっちな動画見てた?」

「うるせぇ、そんなわけねぇだろ」

「でも最近、玖全のアタシを見る目が少し……」

「なっ! 見てねぇよ!」

「えぇ~? ホントにぃ?」


 玖全と呼ばれた青年は、面倒くさそうに自分に抱き着く少女を引きはがす。

 ここは、とあるビルの屋上。文明の輝きが満ちた夜の都会の街の一角だ。眼下に煌びやかな都会の景色が一望できるこの屋上に、青年と少女はいた。

 玖全と呼ばれた青年が、軍帽型のHATを被りなおす。黒地に赤のラインが入ったものだ。

 彼の目つきは鋭く、人を寄せ付けない雰囲気を纏っている。彼も、声をかけて来た少女と同様に、黒のスポーツウェアに身を包んでおり、金属製のリュックを背負っている。

 逢満 玖全。それが彼の名前だった。

 尖った空気を纏う玖全だが、少女はそれを全く気にした様子はない。


「もうみんな始めちゃってるよ? マイペースだなぁ、もう」

「うるせぇな。なんで俺があいつらに合わせなきゃいけねぇ」

「出た出た、俺様理論。さすが、

「それやめろ」

「ニヒヒ」


 茶化す少女に、玖全は睨みを返すが、少女がニヤついた笑みを返してくるだけだった。

 空代そらしろ 天音。玖全の幼馴染だ。付き合いは小学校からになるか。


「それにな、お前にだけはマイペースなんて言われたく――」

「あーっ 見てあれ!」


 と、玖全の言葉を大きな声が遮る。

 少女は、遠方にあるビルの上空を指さした。

 そこには、摩天楼の中でもさらに高いタワーが建っている。この街を象徴するセントラルタワーだ。

 そのタワーの上部がピンク色に染まりつつあったのだ。ピンクの花弁がタワー上方の空間に次々と咲き誇り、瞬く間にタワーは、一本の桜の木のようになっていた。

 タワー自体を桜の木に見立てた演出だろう。もちろん、これも拡張映像ARだ。

 セントラルタワーが定期的に実施している催し物だろう。

 周囲のビルより巨大な桜から、淡いピンクの花びらが舞い、街に降り注いでは消えていく。


「めっちゃ綺麗ーっ! もうすぐ春だし、ぴったりだね。あっ、桜咲いたらさ、今度リアルでも見に行こうよ! 花見花見!」

「行かねぇよ」

「えぇ、なんでよ、行こ行こ行こー」

「一人で行け」