天才失格 -堕ちた魔王、探偵となる-
第一章 人生を決めるもの ⑥
と思って、彼はオフにしていた
すると、鼻が触れるほどの目の前に、先ほどの化け物の姿が映し出された。
「うわあぁっ!」
不気味なほど綺麗に咲いた青い花が、舐めるように玖全の頬を撫でる。化け物は、太い腕で玖全の体を押さえつけていた。彼の体が動かせないのはそのためだったのだ。
(なんでだよ……!
見れば自身の右肩口から先はなく、激痛とともに右腕の切断面からは止めどなく鮮血が溢れ出ている。
破裂するように散ってしまった自らの腕の肉片に目を向けようとして、玖全はさらなる異常事態に気づく。
そこには、先ほどはいなかった新たな化け物がそこにいたのだ。
(もう一匹……⁉ なんなんだよ……!)
混乱のあまり頭が爆発してしまいそうだった。
新たに現れた化け物は、姿形こそ青い化け物と似た花の頭を持った姿だが、一部違うところがある。まず、その体は、青い化け物と違って翼などはない、普通の人型をしている。そして、その体は、鮮血を浴びたように真っ赤な色をしている。……いや、実際その真っ赤な姿は、べっとりと血に濡れている。
腕を千切ったのはこいつだ、と、玖全の直感がそう告げる。
真紅の化け物の頭が玖全に向けられる。ただ、咲いた花がこちらに向けられているだけなのに、こちらを凝視しているようにしか思えない。
「くっ……!」
殺される。
何も理解できないこの状況の中で、本能がその情報を教えてくる。
玖全を押さえつけていた青い化け物は、その腕を乱暴に振るい、玖全を床に転がした。
「ぐぅっ……!」
玖全が即座に立ち上がって、背中のリュックを起動、展開させることができたのは、
しかし、その経験も今は裏切られる。
背中で展開した三対の翼と二本の尾は、展開されただけで全く動かせなかったのだ。
HATには拡張肢を使用している際、使用者がその重さに引っ張られないようにする自重制御機能がある。運動エネルギーで拡張肢を動かす仕組みを応用し、重力に対して反対方向の運動エネルギーを発生させ、拡張肢の重量を軽減しているのだ。だが、自動で発動するはずのその機能さえ効かず、玖全は背の拡張肢に引っ張られるままに背中から倒れ込んだ。
彼の目の前に赤い文字が表示される。
《ERROR:本拡張を実行する脳機能がありません》
「な、なんでだよ……!」
焦りと、痛み。
迫る青と赤の異形。
玖全の脳裏に『死』の文字が黒く刻み込まれる。
しかし、その時だった。
ガシャアン! と激しい破砕音を立てて、窓を砕きながら部屋に侵入してきた影があった。
月明かりに煌めくガラス片に彩られるは、麦藁帽子と、裾を翻す真っ白なサマードレス。
飛び込んできたのは、浜辺でも散策していそうな格好をした白い髪の少女だった。その腰からは、閉じたクジャクの尾羽のような、幅広の拡張肢が伸びている。
麦藁帽子……いやその形のHATを被った少女は、一瞬で状況を全て察したようだった。飛び込んできた勢いのままに青い化け物を、太い尾で打ち据え、壁へと叩きつけた。
「ギイィイ!」
赤い化け物の方が、不快な叫び声をあげて乱入者へと飛び掛かる。その化け物の大きさは、少女よりも一回りも大きい。少女を轢殺せんとばかりに突っ込んでくるその巨体は、到底少女が受け止められるものではない。
ガキィッという轟音が空気を震わせた。
「
声がした。やや苛立ちの含んだ少女の声が。
少女は、赤い化け物の突進を防ぎきっていた。その腕で……いや違う。
「……!」
玖全は目を見開いた。
少女の両腕が変形している。肘から先がまるで傘のように変形し、自らの体の半分を覆うように広がっていたのだ。赤い化け物の突進は、それで完全に防がれていた。
彼女の腕は生身ではない。義手だったのだ。それも高度な技術が内包された。
「んじゃ、お返し!」
少女は右腕の傘を開いたまま身を翻し、強烈な蹴りを赤い化け物に打ち込む。空気を切り裂くその一撃は、彼女の細い足から放たれたとは思えないほど鋭く、防御に掲げた化け物の腕が無残に砕けて千切れ飛んだ。
月の光に、腕の破片が煌めいたのは、ほんの一瞬。次の瞬間には、彼女の足元に、千切れた化け物の腕が転がった。
「ギィイィ!」
赤い化け物は、砕けた腕の切断面を押さえて地面にのたうち回る。
麦藁帽子型のHATを被った少女は、そんな化け物に注意を向けつつ、玖全のもとへ駆け寄ってきた。腕を傘から普通の腕の形に戻し、玖全の体を支える。
「あなた、大丈夫⁉ 立てる⁉」
「うるせぇ……。なんだお前……。ぐっ……」
玖全の顔が歪む。
止めどなく血を溢れさせているその腕を見て、少女は顔を青ざめさせた。
「待ってて! すぐ終わらせるから!」
と、少女は玖全を背にして振り返る。彼女が睨む先にいるのは、先ほど尾で打ち飛ばした青い方の化け物。翼を持ったその異形は、怒りに任せるように頭の花弁を震わせている。
その化け物に対し、彼女は迷うことなく駆け出した。
再び始まる少女と化け物の戦闘。玖全から見たその光景は、
「なんなんだよ……この状況……」
と、ようやく一握の冷静さを取り戻した玖全は、自分の右肩口に目を向ける。
止めどなく出血している切断面。そのすぐ下を左手で強く握りこみ、とにかく止血を図る。しかし、その程度のことでは、出血は完全には止まらない。
玖全の呼吸も思考も乱れたままだ。
あの化け物はなんなのか。右腕を失った衝撃。あの少女は何者か。そして、なぜ今自分は、拡張肢が使えないのか。
化け物と戦う少女へと目を向ける。彼女は不気味な異形に全く臆することなく立ち向かっている。尾で薙ぎ払い、時に守り、時には自らの腕を変形させて化け物を圧倒する。
一方、腕を千切られた紅い化け物の方は、未だに地にうずくまっていた。
「……?」
玖全は眉を顰める。
紅い化け物の体がグネグネと波打ち、その形を変え始めたのだ。失われた腕はそのままに、背や腰から木が生えるように体の一部が伸びていく。一本、二本、と生えるのは、翼や尾だ。そうして化け物は新たな姿を得ていく。
玖全の拡張肢と全く同じ、三対の翼と二本の尾を持った姿に。
「……!」
稲妻のような思考が玖全の頭を駆け巡る。
動揺の中に落ちたその稲妻の終着点は、普段の彼なら一蹴する飛躍した論理であった。それにも関わらず、彼はこれ以上ないほどにその結論に確信があった。
突如使えなくなった自分の拡張肢。失われた自分の一部。腕と替わるようにして現れた化け物が、今自分と全く同じ翼と尾を持っている。つまり……、
「俺の才能を……奪ったのか……?」
そんなわけがない。頭ではそう否定する。
人体拡張の才能は減りも増やせもしない。何十年も研究されてもなお、破れない摂理なのだ。人に咲くその花は、生涯枯れも栄えもしない、と。
(ダメだダメだダメだ……! そんなわけない!
そんなわけが……)
彼の体には、凍り付いたかと思うほどの寒気が襲っていた。
ふと、ここに来て今更ながら彼はとあることに気づいた。
視界が暗い。
意識を失う寸前というわけでもないのに、単純に月光と街明かりでしか、この廃墟内が見えていない。……先ほどまで、視覚拡張で夜目が利いていたはずなのに。
「くっ……!」
玖全はHATの暗視拡張を起動しようとする。しかし、
《ERROR:本拡張を実行する脳機能がありません》
「……!」



