天才失格 -堕ちた魔王、探偵となる-

第二章 仮想妖魔《オルト》 ①

「それじゃあ、よろしくおねがいしますっ」

『いいよ。こちらにも十二分に理はあるからね』


 霞がかった意識の中で聞こえてきたのは、一組の男女の声だ。

 そのうちの一つは聞き覚えがあった。もう十年来、毎日のように聞いてきた声だ。

 そこまで認識したところで、玖全の意識は一気に浮上する。

 まず見えたのは、クルクルと回るシーリングファンだった。木製のシックなデザインで、白い天井によく映えている。

 ただ、その天井に見覚えはない。ここはどこなのか、いや、そもそも、自分は何をしていたのか……。

 軽く頭を叩くが、それでも頭がボーっとしていて上手く思考ができない。

 とりあえず、体を起こす。……が、


「うっ……」


 グラリ、と視界が揺らぎ、体が傾く。


「ちょっと、大丈夫⁉」


 と、その体を誰かに支えられた。

 見れば、そこには、麦藁帽子型のHATを被った少女がいた。


「お、お前は……」

「とりあえず、気分はどう? 気持ち悪かったり、ひどく痛むところはない?」

「は? それは……」

「あ、待って。先に何か飲んだほうがいいわね。待ってて、お茶持ってくるから」

「え、いや……」


 全然状況が飲みこめない。

 戸惑っている間に、少女は玖全の上体を起こす。玖全はソファの上に寝かせられていたようで、そのまま、ソファの背もたれに優しく体を預けさせられた。

 麦藁帽子の少女は「お茶、お茶」と言いながら、慌ただしく玖全から離れていく。

 一体どういうことなのか、とズレた軍帽型のHATを被りなおしながら周囲を見渡す。

 これでもか、という程のテンプレートな探偵事務所らしき場所だった。

 シックな壁紙に、部屋の中央にある大きなローテーブル。そして、それを挟むように配置された革張りのソファ。玖全はそのソファの一つに身を沈めていた。

 天井の高さや、壁の一面に並ぶ窓ガラスの多さから、どこかのビルの一室のようだ。

 いまだにボーっとしている頭で、そんなことを思っていると、


「玖全っ」


 と、自分の前に見知った少女が回り込んで来た。それは、猫耳帽子型のHATを被った幼馴染、空代

 天音だった。


「よかった! 気が付いて……!」

「天音……」

「大丈夫? 気分とか悪くない?」


 そう言われて初めて、玖全は自分の体がひどく重いことに気づいた。まるで鉛の服でも着込んでいるかのようだ。


「いや、ちょっとダルいが……別に……」

「そう……。ホントに……ホントに良かったよ玖全……」


 と、幼馴染は、涙を浮かべて俯いた。

 そこに、先ほど玖全を支えた麦藁帽子の少女が来た。


「はい、これ飲んで」


 彼女は、玖全の前にあるローテーブルにペットボトルのお茶を置くと、彼の対面にあるソファに腰を下ろした。

 不思議な恰好の少女だ。まだ肌寒い季節だというのに、手足が大きく露出したサマードレスを着ている。惜しみなく晒されている手足は、モデルのようにスラリと長く、座っていてもかなりの高身長であることが伺える。麦藁帽子から流れる髪は長く、透き通るように白い。切れ長の吊り目や大人びた顔立ち含め、あらゆる点で天音とは正反対の少女だ。

 その彼女は今、困ったような微笑ましいような微妙な表情をしている。……玖全の前で祈るように涙ぐむ天音を見て。


「おい、天音。とりあえず、どいてくれ……」

「あ、ごめん……」


 パッと少女は玖全から離れる。彼女は、やや頬を赤くしながら、そのまま玖全の隣に腰を下ろした。


「あら、続けてても良かったのに」

「うるせぇな。誰だおま――」


 と、そのとき、彼の頭に廃墟での凄惨な一幕が、一気にフラッシュバックする。

 自分を襲った拡張映像AR上の化け物と……千切られた自らの腕。

 バッ、と彼は自らの右腕を見る。

 右腕は健在……とは言えない状態になっていた。五指もあり、腕の形はしているが、この機械機構が剥き出しのそれは……、


「義手よ。悪いけど、勝手に付けさせてもらったわ」

「……この貼られてるのはなんだ」


 義手には、奇怪な文字が書かれたお札が、大量に張り付けられていた。


「それは、おいおい説明するわ。まず、その腕は痛くない? 特につなぎ目のところ」


 キビキビとハッキリとした口調で話す少女だった。大人びた顔立ちと相まって、有無を言わせぬ迫力がある。

 玖全は、軽く義手を動かしてみる。玖全の腕より一回り大きく、サイズも合っていない義手だが、普通に右腕を動かす要領と同じように動かせる。


「……問題ねぇ。不気味なくらいなんともねぇよ」


 玖全の言葉を聞いた途端、麦藁帽子の少女の目つきが少し鋭くなる。

 不思議に思えど、その意味は玖全にはわからない。


「じゃあ……何か一つでも拡張機能は使える?」

「……!」


 玖全は顔を青ざめさせた。その言葉が意味するところを察したからだ。

 祈るような思いで思考を走らせ、マルチタスク拡張を実行しようとする。

 ビビッ、という機械的な警告音とともに、目の前に拡張映像ARディスプレイが表示された。

 《ERROR:本拡張を実行する脳機能がありません》


「……!」


 ゾッとするようなメッセージだった。全身の血が凍り付いたのかと錯覚するほどだ。

 あの廃墟で自分の拡張肢を使おうとしたときと同じメッセージ。今日までこんなメッセージは見たことがない。いや、一度だけある。自分の潜在脳機能では使えないアプリを間違って使おうとしたときだ。

 彼は次々にHATに入れておいた脳拡張機能を実行していく。

 記憶拡張。

 《ERROR:本拡張を実行する脳機能がありません》


 空間把握拡張、高度演算拡張。

 《ERROR:本拡張を実行する脳機能がありません》


 動作予測拡張、暗視拡張、動体視力拡張……。

 《ERROR:本拡張を実行する脳機能がありません》


「くっ……」


 玖全は拳を握りしめた。


「何も……使えねぇ……。こんなことが……」


 痺れるような感覚が広がりつつある頭に、自身のこれまでの道筋が浮かんでいた。

 思考加速や記憶拡張で大人顔負けの知識を有し、学校の成績が良好なのはもちろん、高校生にして独自の拡張システムの研究と発表までできるようになった。持っていること自体が珍しい浮遊拡張で暴械族ギア・バグズに入って一躍エース扱いだ。大学の推薦入試も明るい。この天賦の才があればどんな就職先でも大成できる……はずだったのに。

 湧き上がる焦燥感のままに、玖全は目の前の少女の肩を掴んでいた。


「どういうことなんだこれはっ? どうやったら、取り戻せる⁉」

『まあまあ、落ち着きたまえ』


 そのとき、横合いから緊張感のない男の声がした。

 声がしたのは、窓際のデスクから。

 そこには、玖全より少し年下に見える青年が座っていた。ただ、いろいろと妙な点がある。

 青年が被っているHATは、探偵帽と呼称したくなるような、ベージュのチェック柄のもの。室内だというのに、HATを被っているのは玖全も含め今時珍しいことではない。ただ、いかにも探偵らしいコートまで着込んでいることといい、絵に描いたような探偵風の恰好をしているのはどういうわけか。

 おかしなところは他にもある。

 声は青年の方からしたのだが、青年の目は閉じており、安らかに眠っているように見える。


『初めまして玖全君』


 そう声が続くが、青年の口は動いてない。正真正銘、彼は寝ているようだ。音声は、どこか近くにあるスピーカーから出しているのだろう。


『僕はネム。見ての通り探偵さ』

「……そんな恰好してる探偵が今時いるか。しかも俺と大して歳も違わない子供で」

『いやいや、これでも成人してるんだよ僕。そうやってみんな疑うから、こうして形から探偵らしくしてるわけさ。本当の本当に探偵だよ。ちゃんと自社のウェブサイトまである』



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