天才失格 -堕ちた魔王、探偵となる-
第二章 仮想妖魔《オルト》 ④
玖全の頬に冷や汗が流れる。その顔は強張っている。先ほどこの場から去ろうとしていたはずの足が、根を張ったようにその場から動かせなくなっていた。
小刻みに動く視線は、駆け巡る数多の思考の残滓か。
その視線が、幼馴染とぶつかった。彼女はなぜか、嬉しそうな顔さえしている。
「どうしたの、玖全? 帰るんじゃなかった?」
「ぐっ……」
呻く玖全の瞳には、いくつもの逡巡の色が見えては消えて、それは水禍奔流のごとし。
眉根を寄せて天井を仰ぎ……。唇を噛んで床へ俯き……。……そして、突如、玖全はグッと唇を引き締めると、ソファに戻り、ドカリと腰を下ろした。
「気が変わった。あんたらのモルモットになってやる」
ほう、とネムが言う。その声はどこか楽しそうだ。
「幼馴染のためかな?」
「誰が。自分のためだ。それに、ただのモルモットになる気はねぇ」
玖全はネムへと身を乗り出す。
「取引だ。あんたらのモルモットになる代わりに、俺は枯椿鬼の情報をもらう。その情報で、自分の才能は自分で取り戻させてもらう」
頼るのではなく、お互いに利用し合う協力関係。これが玖全の妥協だった。
もちろん、こんな要求、突然言っても通るとは――、
『OK。じゃあ、そういう感じで行こう』
「なっ……。そんなあっさり……」
『だって、君ならそう言うだろうって、天音君とその話で進めてたし』
バッ、と隣の幼馴染を見ると、彼女は両手でブイサインを作って笑って見せる。
「事前に根回ししておきましたー。アタシたち二人をここの探偵にしてくださいって」
「なっ、それはちょっと話がちげぇだろ!」
「一緒一緒。雇用関係なら頼る頼らないもないじゃん。ただのお仕事なんだから」
玖全は口を噤む。それは、きっちり玖全の妥協の範囲内の理屈だった。
この幼馴染は、完全に玖全の行動を読んだうえで話を進めていたようだ。
「クソ……。わかったよ。それでいい」
『うん。じゃあ、これで取引成立だ。君たちをうちの事務所の一員として歓迎しよう』
よろしくお願いしまーす、と言って天音は笑う。いつも通りの好奇心に輝いている顔で。
「そんじゃ玖全。今度は一緒に探偵をやるってことで」
「そんな、いつものノリで言うんじゃねぇ。お前、ホントに状況分かってんのか?」
「わかってるってー」
先刻化け物に襲われ、才能を奪われ、怪しげな探偵の仲間になることになった少女の反応とは思えない。もちろん、彼女が普通の少女であったならば、だが。
幼馴染は楽しくて仕方がないと言った具合に笑みを深める。
「この非日常感、めっちゃワクワクするー!」
玖全は頭を抱えそうになる。
この幼馴染はいつもそうなのだ。
もちろん、玖全も興味がないわけではない話なのだが、如何せんこの幼馴染の行動力がありすぎて、なんだかんだ、いっつも引っ張られる構図になってしまっている。
「大丈夫だって。アタシたち二人なら、なんとかなるよ。いつもそうじゃん」
「そこの心配してたわけじゃねぇ。大体、『なんとかなる』って、いつもお前が考えなしに動くのを俺がなんとかしてんだろうが」
「でも、玖全がめちゃくちゃするのを、いっつもアタシがフォローしてんじゃん」
「頼んでねぇ。今回だって、勝手に助けやがって」
「だってそうしなきゃ玖全死んじゃってたよ」
「それでもだ。助けられるくらいなら、死んだ方がマシだった」
「またそういうこと言ってぇ……」
呆れた顔を見せる天音。
対して玖全は眉間に皺を寄せて腕を組む。彼は無意識のうちに足を小刻みに揺すっていた。
天音にしてやられたこともそうだが、何より、形はどうあれ、結局人を頼ることになってしまったことに対して、どうしても苛立ちが湧いてきてしまう。
先ほどの交渉は、それらしい条件は提示したものの、結局はネムの善意を前提とした話だった。それは、施しを受けているのと変わらない。口を開けて餌を希う雛のように。
天才ではなく、ただの凡夫。才能もなく、仮想妖魔に関する知識のない玖全は、まさに雛のような弱者であると、そんな事実が痛いほどに実感できる。
彼の中に溜まるフラストレーションは、いつの間にか爆発しそうなほどに膨らんでいた。
そのときだった。
ガクン、と玖全の右腕が突然大きく動いたかと思うと、玖全意思に反して暴れ出した。
「なっ……!」
玖全は目を剥いた。
お札まみれの義手が、自らの意志とは関係なく動いている。
手を上げ、前に出し、そう思ったら自分の顔を殴りそうなほど勢いよく縮み、動きを止めようにも全く制御が効かない。まるで別の生き物のようだ。
義手の故障か、と思いながらもなんとかその腕を御そうとしていたとき……、
その右腕が、天音の胸を思いっきり鷲掴みにした。
「「「「「……‼」」」」」
その場にいる全員が凍り付く。……右腕の持ち主である玖全さえも。
天音の小柄な体格の割に、玖全の指は以外と深く沈む。その指先の感覚が義手を通じて玖全に鮮烈な感覚を伝えてくる。
「ふあっ……」
と、艶のある声を天音が上げ、冷えた空気がさらに絶対零度にまで近づいたとき……、
「なにしてんの、あなたっ!」
と、いち早く我に返った紫衣が、玖全と天音の間に割って入ってくる。玖全の右手がようやく天音の胸から離れる。
「ち、違う! この義手が勝手に!」
顔を赤くしながらそう言う玖全のセリフは、あまりに説得力のない言い訳にしか聞こえない。なにせ、そう言った瞬間、義手の異常は収まっていたのだから。しかし、本当の本当に、天地神明に誓って今のは玖全の意志ではないのだ。
誤解だ、義手の故障か何かだと玖全の頭の中に思考が走るが、どれも信じてもらえる気がしない。が、玖全の言葉を聞いた全員が、「あー……」と何か察したような表情をした。
「な、なんだよ……」
『あー、玖全くん。実を言うと、君には一番大事なことを言ってない』
「は?」
『まあ、見せたほうが早いか。……解』
ネムがそう言ったその瞬間、玖全の義手に張られていたお札が、青い炎を上げて消失した。
その瞬間、玖全の義手から爆発したように、幾本もの紅い木が生え始めた。
「な、んだこれ……!」
目を見開く玖全の前で、紅い木たちは、メキメキと音を立てながら、彼の右腕に巻き付き、一つの形を成していく。
できあがったのは、紅い木が寄り集まってできた巨大な腕。真っ赤なその腕の表面は、節くれだっており禍々しい。その肩口でバクリと開花したのは、椿の花そのものだ。
あまりのことに玖全は二の句が継げられなくなる。
しかも異常は、それで終わらない。
樹木のようなその腕は、再び玖全の意思とは無関係に暴れだしたのだ。
その腕は目の前のローテーブルを容易く破壊し、食らいつくようにネムの方へと――、
『というわけでね』
ビタリ、と異形の腕の動きが止まる。
唖然とする玖全が見たのは、ネムの探偵服のあちこちから伸びる、細い紐のようなものだった。いや、紐ではない。あまりにも細い拡張肢だ。小指ほどの太さのそれが、ネムの探偵服の袖や襟元などから一〇本以上も飛び出し、異形の腕に巻き付くことで動きを止めたのだ。
異常の連続でめまいを起こしそうになっている玖全へ、落ち着いたネムの声が降る。
『すごく簡単に説明すると、どうやら君は枯椿鬼に取り憑かれているみたいなんだ』
「は、はぁ⁉」
玖全の頭に、廃墟で意識を失う前の記憶が浮上してくる。既に失神しかけていたあのとき、霞がかった記憶の中で見たもの。自分の腕が床に転がった枯椿鬼の頭と融合した光景を。
改めて見れば、今の玖全の腕は、その時の腕そのままだ。
「これっ、どういうことだ!」



