天才失格 -堕ちた魔王、探偵となる-
閑話 優しき呪い ①
何度でも思い出す。この日の記憶を。
アタシの中では軽く過ぎ去っただけのもの。
一度は忘れていたのに。手探りで伸ばす指先に次々と記憶の欠片が触れていく。
小学校四年生のときの夏。
その日は強い台風が日本列島に上陸していた。
教室の外で唸る風。激しく揺れる校庭の木々。外が見えなくなるほど窓に叩きつけられる雨。今思えば、それが全部不吉な予兆に思えた。
教室に生徒はいたけれど、喧騒は思い出の中では廃されて、曖昧な風景になっている。
台風が予報よりずっと早く接近したため、その日は午後から途中下校することになった。
もちろん生徒たちは大喜び。
アタシも、いつもと違うことにワクワクしながらも、小さな不安で喜びきれずにいた。
「ミーちゃん大丈夫かなぁ」
給食を食べ終え、みんなが帰り始めたとき、アタシはその時の友達にそう漏らした。
「ミーちゃんって、前言ってた野良猫の?」
「うん……。ボロボロの家にいるから……」
ミーちゃんは、その時のアタシが、こっそり世話をしていた野良の子猫だ。世話って言っても、ミルクとかお菓子とかをあげたり、猫じゃらしで遊んだりしてただけなんだけど。
通学路から少し離れたところにある廃屋の中に住み着いてるから、こんな台風の雨風を、あんなボロボロの場所でしのげるか心配していた。
と、そんな話を教室の扉近くで話してたら……、
「邪魔」
一人の男の子がアタシたちの隣にいた。
トゲトゲとした黒髪と、いつも怒ってるみたいな目つき。玖全だ。
HATは被ってない。小学校どころか、高校でも校内では着用禁止……のうえ、脳の負担の問題でHATの着用は、そもそも一三歳からが推奨年齢となっているから。
といっても、HATはあまりにも便利だし、記憶拡張の才能とかでもあれば、子供の学習効率も段違いになるから、こっそり使わせてる親も多いらしいんだけど。
玖全はアタシたちが退くのを待たずに、押しのけるように教室を出ていった。
その様子を見た友達が、頬を膨らませる。
「なにあれ。私、玖全くん嫌い」
「うん……アタシも苦手……」
当時から玖全は、王様気質で、悪い言い方をすると協調性が全然なかった。それでも勉強もスポーツも一番できるから、嫉妬する子もいるし、憧れる子もいるし……まあとにかく、よくも悪くも人からいろんな感情を向けられてる子だった。まあでも、総合的に見れば、苦手、って子が多かった。当の本人は全く気にしてないみたいだけど。
その後、結局ミーちゃんが心配になったアタシは、通学路から外れ、ミーちゃんがいる廃墟に足を運んでいた。
台風はかなり接近してきているようで、殴りつけるような雨風に、傘を差していても全身がずぶ濡れになるほどだった。
やっとの思いで付いた廃屋は、強い風に煽られてその全体が揺れていた。すごく古い木造の一軒家で、打ち捨てられて何年経ったのかも見当がつかないほどボロボロだ。家の周りに生えた雑草が家自体を飲み込もうとしているようにさえ見える。
そんな廃屋に、子猫のミーちゃんは住み着いていた。
親猫は見たことはないけど、ミーちゃん自体がすごく痩せてたから、親からも捨てられた猫なんじゃないかって思ってた。
そんな心配も相まって、アタシは台風の中、廃屋に来てしまった。
「ミーちゃーん」
いつもミーちゃんがいる廃屋の端に行っても、ミーちゃんはいなかった。
風が強く吹き、廃屋の瓦も木の壁も、ガタガタと音を立てる。
こんな場所にいたら大変だ。一度お母さんに飼っていいか訊いたとき、「お父さんが猫アレルギーだからダメ」と言われててたけど、今日くらい、家に連れて帰ってもいいのでは、なんてことをアタシは思っていた。
そのとき、ミー、ミー、と、廃屋の奥から小さな声が聞こえた。ミーちゃんの声だ。
「ミーちゃん!」
廃墟の崩れた壁の奥をしゃがんでみると、そこには小さな目が二つキラリと光っていた。
「そんなところにいたら危ないよ。おいで」
と、言うもミーちゃんが出てくるはずもない。
アタシは廃屋の周囲を回ると、一番大きく崩れた壁から中に入った。
廃屋の中は、思った以上に荒れていた。家具類は一切なく、崩れた屋根材と、わずかな雑草が床を埋めてしまっている。今思えば、あの場所は家というより、元々倉庫や小屋のような場所だったのかもしれない。
廃屋の中は暗く、建物自体の軋みが悲鳴のように何重にも響いてて、アタシは怖くなった。でも、それを堪えてミーちゃんがいた場所に足を運ぶ。
ミーちゃんは、崩れた屋根材の隙間に身を隠していた。
片目がパンダみたいに黒い模様がかかっている黒ぶち猫だ。
入り込んだ雨が滝のようにあちこちから入りこんでいるせいで、ミーちゃんも含めて中はびしょ濡れだった。
風への怯えと寒さで震えるミーちゃんに手を伸ばす。
「おいで。もっと大丈夫なとこ行こ?」
ミー、とかわいい鳴き声を上げて小さな体がアタシの方に歩いてきた時だった。
バキッ、と大きな音がして、近くの屋根が崩れ落ちてきた。
「きゃあぁっ!」
思わず頭を守ったけど、幸いにも崩れた屋根はアタシのすぐ横に落ちてきただけで、当たりはしなかった。けど全く安心はできない。
一度崩れ始めた廃屋は、さらに悲鳴のように大きく軋み始める。入り込んできた風雨が、中からも廃屋を荒らして、壁や柱に亀裂が入る。
「いやっ……」
怖くて足が動かなくなる。
今から走っても、もう外に出るには間に合わない。子供心にそう思った瞬間、お化けが絶叫するような音を立てて、潰れるように廃屋が崩れた。
迫りくる瓦礫の勢いに、強い衝撃と痛みを覚悟して、アタシは強く目を閉じた。
けど……いつまで経っても衝撃も痛みも来ない。
「こんな日に来るとか馬鹿だろ!」
声がした。
目を開けると、そこには、黒髪の子供……玖全の姿があった。玖全は、青いキャップ型の帽子を被っていて、その肩口からは、蛇みたいに関節の多い機械の触手……拡張肢が二つ伸びている。その大きさは、玖全の体の三倍以上はあった。
その拡張肢を蛇がとぐろを巻くみたいな形にして上に掲げ、玖全は落ちてきた屋根を受け止めていた。細かく降ってくる木片に体を叩かれながらも、ちょうど潰されないだけの空間をアタシたちの周りに作っている。
「えっ、く、玖全くん⁉」
「驚いてる暇あったら出ろ! そう持たねぇぞ!」
「で、でも、ミーちゃんが……」
目を向ければ、恐怖で完全に動けなくなっているミーちゃんの姿がある。
「あー、もう! めんどくせぇなぁ!」
玖全はそう言うと、屋根を支える二本の拡張肢を動かす。木片を落としながら、機械の触手の位置を器用に入れ替えて、そのうちの一本を自由にする。
自由になった拡張肢は、その先端でミーちゃんを巻き取り、その勢いのままアタシの腰にも巻き付いた。
玖全の視線が落ちて来た屋根の一部に走る。そこは、最初に崩れた箇所だ。大穴が空いていて雨風がそこから吹き込んできている。今思うと、玖全はこの穴から家の中に飛び込んできたんだと思う。
「であああぁ!」
声を上げながら玖全は、屋根を支える拡張肢を少しずつずらしていく。そうして、屋根の穴にアタシたちが収まるようになったころ、大きな音を立てて、玖全は屋根を地面に落とした。
ズンッ、とすごい音が鳴って、アタシたちの周りにだけ屋根が落ちた。
「はぁ……はぁ……」
玖全の荒い息が激しい雨と風の中でもよく聞こえた。アタシ自身も、あまりの緊張と恐怖で息が上がってしまっていた。
玖全が厳しい顔でアタシに顔を向ける。
「何考えてんだ! こんな日にこんなとこ来るって、ちょっと考えれば分かるだろ! 考えなし過ぎんだよ!」
「だって……だって……ミーちゃんが心配で……」



