天才失格 -堕ちた魔王、探偵となる-

第三章 奪われたもの ①

 翌日は、よく晴れた日となった。

 玖全は、目を覚ますと早々に身支度を調え、ネムの事務所に向かうことにした。この腕の調査と探偵の仕事をするために。

 義手は生身ほど正確というわけにはいかなかったが、身支度を調える程度のことは、問題なくできた。今は、長袖と手袋でその義手は隠している。サイズが合っていないうえ、機械機構丸出しなそれは、現代でも悪目立ちしてしまうからだ。

 それに、玖全のプライドが、自分がハンデを負った人間に見られることを許さない。

 部屋を出る彼の目の下には薄いクマができてしまっている。

 昨日はあの後仮想妖魔オルトに関する情報がないかとネットで漁っていたのだが、朝日が昇りかけるまえにそのまま眠ってしまったのだ。

 腕、および大量の血液を失ったせいもあり、体も重く感じている。義手をつけられたとはいえ、腕一本を失う大怪我をしたのだ。失血量的にも胆力でどうにかなるものではない。

 エレベーターに乗ったところで、ふと彼の視界の端にメッセージ通知が表示される。思考操作でそれを開くと、そのメッセージは、知り合いの大学教授からのものだった。先日の研究発表から懇意にしてもらっている相手だ。

 メッセージは映像と音声付きのものだった。目の前に白髪交じりの男性が表示される。


『この間の軌道予測アプリはいかがだったかな? 君たちの百手の巨人センティマニシステムは、リアルタイム予測の方向性のほうが良いことがよく分かってもらえたと思う。HATの脳機能拡張を用いたリアルタイム予測モデルの分野はまだ歴史が浅いのに、高校生にしてあそこまでのシステムを独力で構築するとは、この分野の未来は明るいとまで思ったよ。とにかく、君の才能は素晴らしい。是非うちの大学に――』


 玖全は舌打ちをしてそのメッセージを閉じた。

 頭の中でHATに格納してあるアプリ、百手の巨人センティマニシステムを起動しようとする。だが、

 《百手の巨人センティマニシステム起動――拡張チェック……ERROR:本拡張を実行する脳機能がありません》


「クソ……ッ!」


 ダンッ、と、青年は生身の腕をエレベーターの壁に叩きつけた。

 そうして足早に自宅マンションから出たところで、見知った少女がひょっこり現れた。


「やほ、玖全。ネムさんのとこ、行くんでしょ? 一緒に行こっ」


 それは、昨日ぶりに会う幼馴染、天音だった。どうやら待たれていたらしい。


「なんだよ。来るなら連絡しろよ」

「いやぁ、アタシ、その辺の機能もうまく使えなくなっててさ」

「は? それは才能関係なく使えるHAT側の機能だろ? なんでだよ?」


 HAT側にある機能は、その操作の入出力を人の脳波を介して実現しているだけだ。あくまで才能を奪われて使えないのは、HATにおける脳の潜在機能を引き出す機能だけのはずだ。


「い、いやー、なんでだろうね? 不思議だなぁ」


 しかし、幼馴染は、なんだか変なリアクションをするだけだった。

 そんな幼馴染を玖全は、じっくりと観察していた。スカートや半そでから覗く肢体には、擦り傷なども見られず、体の動かし方も、どこか痛めているような素振りは――、


「アタシに怪我がないか確認中ですかー?」

「は? 何言ってんだ。そんなわけねぇだろ」

「えー? じゃあ、なんで、そんなじっくりアタシのこと見てたのー? ……ハッ、もしかして、そういう目で見てた?」


 ぎゅっ、と抱えるように胸元を隠す天音。そのうえで「今日は揉ませてあげないからねー」とかまで言う始末。


「な、馬鹿。そんなわけねぇだろ。いいから行くぞ」


 そのまま駅に向かう道へと足を運ぼうとするのだが、「やば」という声が天音から漏れた。


「あのさー、玖全、やっぱ歩いて行かない?」

「はぁ? そこそこ距離あるだろ。拡張肢で飛んでくならともかく……」

「いいじゃん! たまには! ほらっ! ダイエットにもなるし!」

「ダイエットしてねぇよ」


 と、半ば強引に徒歩でネムの事務所へ向かうことになった。

 なんか変だぞコイツ、と玖全は思うが、他人への興味を殺すことにしている彼は、すぐにその感覚を手放した。

 穏やかな風に吹かれながら、二人は街を歩いて行く。大きな綿雲たちがゆっくりと動き、街路樹のせせらぎが穏やかな陽光に溶けている。その穏やかさにあてられたように、道を行きかう人々も、どこか足取りがゆっくりなように思える。

 二人は駅近くの大通りに出た。相変わらずの盛況がそこにはある。春休みなことも相まって、若者の姿も多い。もちろん、彼らはみな様々なデザインのHATを被っている。

 ある店の前では、雪だるまのようなキャラクターが、空中で踊りながら客引きをしている。当然、これは実体のない、脳に描画されているだけの拡張映像ARだ。

 道すがら、天音と話す玖全は、上の空だった。頭の中には暗い雲が渦巻いている。

 目が覚めても、昨日あったことは夢であってくれなかった。

 右腕は義手のまま。再度確認しても、脳機能拡張は一つも使えない。

 一歩歩くたびに、背中の軽さを意識してしまう。脳機能拡張が何も使えない今、拡張肢も使えない。それを否が応にも思い知らされている気がする。

 今までできたことがことごとくできなくなっている。自らの中に灯っていた才能という光は消え、これから紡ぐ未来さえも暗くしている。

 これまで掴み取れていたものは、指の隙間から落ちていき、これから掴めていたはずのものも、素通りしていくだけの未来。指から落ちた物は、ただ鬱積の山となるばかり。それは、全て玖全の中で怒りという火の薪にしかならない。


「玖全っ! 手!」

「は?」


 天音の声に反応した直後、玖全の義手が、突然動きだした。


「んなっ……!」


 意志のないはずの義手は、近くの物をガシリと掴んで玖全の足を止めさせる。

 玖全は目を丸くした。義手が掴んだのは、近くにあった象のようなデザインのキャラクターの鼻だったのだ。

 拡張映像ARは、HATが脳に直接作用して、そこにあるように見せているだけの映像だ。実体はない。なのに、この義手は、確かに拡張映像ARを掴み、物理的な抵抗を発生させている。


「えぇ、ちょっと玖全何してんの⁉ てか、なんで拡張映像掴めてんの⁉」

「知らねぇよ! この腕が勝手にやってんだよ!」


 踏ん張って離れようとするが、象のキャラクターは重く、義手は人間の倍近い出力を出せる。全くもってびくともしない。


「なんなんだよ、これ! 全然、封印しきれてねぇじゃねえか!」


 と、悪戦苦闘する玖全。もちろん、そんな姿、周囲から見れば……、


「何あれ、変なのー?」

「パントマイム? ちょっと上手くなーい?」


 ただの拡張映像ARに向かってパントマイムしているだけの人である。

 聞こえてきた声と周囲の視線に玖全の耳が赤くなる。


「大丈夫大丈夫っ。落ち着いて。多分それ、玖全の感情と連動してるんだよ。さっき玖全、怒ってたでしょ?

 それに反応したんじゃないかな?」

「あぁ⁉ なんでそんなことわかんだよっ」

「だって、さっき、その腕に巻き付いてる木がだんだん暴れてくのが見えた……じゃなくて、そんな感じな気がしたからさっ!」

「はぁ⁉ なんだその意味不明な理屈は!」


 しかし、そんなこと言っても、腕はまだ象のキャラの鼻を掴んだままだ。

 この腕に取り憑いている枯椿鬼を退治するのにも、結局才能を取り戻してからになる。


「あぁ、クッソォ! ぜってぇ、才能取り戻してやるからなぁ!」


 改めて、玖全は魂にそう誓うのであった。

 結局、天音の言う通り心を落ち着かせると、腕は再び制御可能になった。しかし、玖全は、なかなか自身の怒りを制御できず、なんとか象の拡張映像ARから腕を引きはがすまでに、五分近くの時間を要した。

 

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