天才失格 -堕ちた魔王、探偵となる-
第四章 なんのために ③
「私はね、全身の筋肉が徐々に動かなくなっていく病気なの。最初は手足とか末端部位が動かなくなって……そのうち心臓の筋肉も動かなくなる」
続けて彼女が言った病名は、特に傷病に明るくない玖全でも耳にしたことがあるものだった。現代の医療でも、完治の術は見つかっていない。
「生身の手足が動かなくなっても、HATの義肢にすれば関係ない。だから、私は一一歳のときに、この体にしたの。こうすれば、物を持ったり走ったり……他の子と同じように生活できるから。……でも、周りの子からしたらちょっと変なことには変わりないでしょ?
いじめられこそしなかったけど、避けられがちだったわね」
「……」
「でも、そんな中、雛美は普通に話しかけてきてくれたの。『一緒にバスケやろう』って」
紫衣は苦笑を零した。彼女の瞳には、遠い過去の暖かい記憶が映っている。
「私の体だと、コート半分からダンクシュート決められちゃうから、本当にめちゃくちゃなのよ。でも、雛美はそれを『すごいすごい!』って楽しんでくれてさ……。雛美が普通に接してくれるから、みんなとも普通に話せるようになってさ……。この娘は、私のヒーローなんだ」
だが、そのヒーローは今、意識のないまま眠り続けている。
あの寒い冬の日から……。
▼▼▼
肌を刺すような寒さの日だった。降っているものが、雪でないことが不思議なほどに。
「また試合あるんでしょ? 応援行くからね」
『えー、別に来なくても大丈夫だってー』
降りしきる小雨の中、傘を片手に紫衣は一人で話していた。いや、傍目にはそう見えるだけで、彼女はHATで通話をしていた。相手は、親友、一ノ瀬
雛美だ。
彼女の視界の端には、ややくせ毛気味のショートヘアの少女が楽しそうに笑っている。
これから雛美の家に遊びに行く途中なのだが、その道中でさえ二人は通話を繋いでいた。
「だめよ。応援されると頑張れるって、いっつも言うじゃない。それであなたが勝てるならお安い御用よ」
『それはそうだけどー、いっつも来てもらうの悪いよー』
「いいの。好きでやってるんだから。……そ・れ・に、忘れ物しまくるあなたのフォローも必要でしょ」
『うわー、それ言われると弱いー! こないだも、お弁当忘れたとき超助かったー』
でもさ……、と雛美は続ける。
『それでも、私、紫衣に助けてもらってばっかだし、ホントに悪いなって……。私、宿題とかもめっちゃ忘れるし……。体操着とか、何回紫衣の予備を使わせてもらったか……』
「いいのよ。そんなこと気にしなくて」
『でもさぁ……まあいいや。そのために用意したんだし……』
「……? 用意?」
『秘密っ! 家に来たら話してあげる。じゅーだいな話だから!』
「絶対、大したことない話じゃない」
『そんなことないってー。楽しみに――』
と、彼女が続けようとしたときだった。
「うぐっ……!」
突然、雛美は苦悶の表情を浮かべた。
「え? 雛美?」
『何……? めっちゃ胸が……痛い……』
「え、ちょっと、大丈夫⁉」
一瞬足を止めるが、紫衣はすぐに駆け出した。
雛美の家はすぐそこだ。すぐに駆け付けられる。
だが……、
『うあっ、がっ、がああああぁ!』
凄まじい絶叫が耳を劈いた。それは、生まれて初めて聞く、人間の本気の絶叫だった。
「雛美っ!」
紫衣も、悲鳴のような声で呼びかけるが、既に通話は切れていた。
明らかな異常事態に、冷たい雨が、体の芯にまで流れ込んだような錯覚を覚えた。通話が切れる直前に見えた、親友の死に迫るような苦痛の表情だけが頭にこびりついて離れない。
紫衣は傘をかなぐり捨て、一心不乱に親友の家へと向かった。
雛美の両親は海外で働いていて、AIの補助を受けながら実質一人暮らしをしている。
そんな彼女一人きりの家に、強盗や暴漢でも入ってきたのかと、紫衣は思った。
しかし、彼女の家の前に付いた紫衣が、彼女の部屋があるはずの場所を見た時……、
ガシャン! と彼女の部屋の窓ガラスが割れる音が響いた。
続いてそこから、真っ白な何かが飛び出した。
シルエットだけを見れば人に酷似しているが、それでも人間より一回りほど大きく、その腰付近から、巨大な手のひらが翼のように生えている。その体表は、まるで古木のように節くれだってゴツゴツしているものだった。
異様な外見だ。何より、それは、頭があるはずの場所に、真っ白な椿の花が生えている。
枯椿鬼。
それが、その名で呼ばれるものであることを、この時の紫衣はまだ知らなかった。
その怪物は、紫衣のことなど見向きもせずに屋根に上り、姿を消してしまった。
「何……あれ……」
ドクン、と心臓が強く脈打った。
(今の怪物……雛美の拡張肢を付けた姿と同じ姿だったような……)
それが何を意味するのか、この時の彼女には分からなかった。
飛び込むように雛美の家に入り、足を縺れさせながらも、紫衣は親友の部屋の扉を開く。
そこで紫衣が目にしたのは、荒らされた部屋と、血の海で倒れる親友だった。
そうして、親友は生死の淵を彷徨う人となった。
彼女が言いかけた、「重大な話」は聞けぬままに……。
▼▼▼
「安静にしろとか、そういうレベルの血の量じゃないって、一目でわかった。だから、血まみれの雛美を抱えて病院に走ったの。私も血まみれになりながら……」
それは壮絶な光景であっただろう。自らも血まみれになりながら、重症の親友を抱えて病院へと駆けこんだ少女の姿は。
「ものすごい早さで病院に着いて……生まれて初めてこの体に感謝したわ……」
紫衣の拳が硬く握られる。
「枯椿鬼のこと……警察に話しても、全然信じてもらえないし……。一瞬であんな怪我負わせられるのもおかしい。それに、この子の才能が使えなくなったことだって、普通そんなことありえない……。だから私は……ネムさんを頼ったの」
「自力で? よくたどり着けたな」
「エセ霊媒師に何回も騙された後でね。あとは、運が良かったのもあるわ」
紫衣は少しだけ沈黙したあと、玖全に視線を流す。
「……私がこの子の才能を取り戻そうとしてる一番の理由も、どうせ予想できてるんでしょ」
玖全は、紫衣の死入から伸びるチューブの一つに目を向ける。そのチューブがつながっている機械は、玖全の知識にあるものよりもずっと小型だが、それが何か一目見てわかる。なぜなら、白いはずのチューブに、中を通る真っ赤な液体の色が滲んでいたからだ。
循環補助装置。心臓のポンプ機能を補助する機械だ。
枯椿鬼に才能を奪われた人間は、
「
「……正解」
現代において、臓器移植のドナー不足問題はほとんど解決している。
物を見るという脳への入力機能を制御し、ないものを見せる視覚拡張機能。手足を動かすという脳の出力機能を義手へ正確に反映させる肉体補助機能。そして、脳に機能だけ存在するが、本来の人間の肉体ならば、出力方法がないゆえに使えなかった潜在能力を引き出す機能。
全てが、脳の作用を制御する機能だ。
この中で、元々ある人間の能力を補完する機能は、一次拡張と呼ばれ、欠損部位を補う際に用いられるのは、この機能だ。
例えば義手。例えば視力の補正。そして例えば……人工臓器。



