アトリウムの恋人

1 Sports & Simulation Society ③

 あさが呼び止めたが、前田はかまわず教室から出ていった。廊下に出た前田は一気に走りだした。すでに帰宅を始めている他クラスの生徒を避けながら階段をけ下りる。なんだか全体的に学校内のふんゆるんでいた。テストの重圧から解きはなたれ、うわついた物質が漂っているように思える。

 前田は一年生の教室がある廊下を走り、一年四組の教室のドアを乱暴に開け放った。しかし教室の中には誰もいない。しばらく探し回り、やっと一年四組が校庭にいるという情報を得る。校庭に出ると、はしのほうに生徒たちが集まっているのが見えた。セーラー服姿の女子たちがはしゃぐ横で、男子たちが火を起こしている。


「あれ、せんぱい。どうしました?」


 前田に声をかけてきたのはゆきむらという男子生徒だった。ちょうど裏庭からまきを持って戻ってきたようだった。


「なに校庭でバーベキューとかやってんだよ」


 前田は一年四組のイベントにあきれた。こうして校庭で火を使うことができるようになったのも生徒会の改革のひとつだった。


「テスト終了パーティをぱあっとやろうってことになりまして。それより、僕に用ですか?」

「そうなんだよ。ちょっと困ったことになった」


 前田は他の生徒から少し距離を置いて雪村に事情を説明した。


「……東京スフィアのチケットですか」


 雪村は複雑な表情をしている。


「それで、俺たちのサークルに入部したいとか言いだしてた」


 前田がかり登録しているサークルのもうひとりのメンバーは雪村だ。


「そういえば、遙花さんは部活もサークルにも所属してませんでしたね。でも、なんで先輩に相談したんですかね。オンラインゲームサークルだけのつながりにしてはちょっと薄いですよね」

「ああ、そうだ。あの遙花が、なんのつもりなんだろう」

「まあ、でもことわったんですよね。オンラインゲームサークルをさえておいてよかったじゃないですか。勝手に遙花さんがサークルを立ち上げるよりはマシですよ」


 前田はうなずいた。確かにそのとおりだ。かり登録でサークルを設立していたのはファインプレーとなった。基本的に同好会あつかいのサークルは、生徒たちでの立ち上げが認められている。ただし、それには以外に厳しい条件がある。

 基本的に五人以上のメンバーを集めてもんの教師も必要だ。メンバーの中に最低一人は成績優秀者が登録し、生徒会の承認もいる。適当にゆうれい部員を集めて部室を手に入れようとするケースが多かったので、厳しい条件が課せられたらしい。

 そして、同じ種類のサークルを複数設立してはいけないという規定もある。乱立を防ぐためとの処置だが、まえはそのためにオンラインゲームサークルをかり登録していたのだ。


「正式に活動していたらサークルで協力してくれた? とか聞いてたけど、仮登録じゃ無理だからな……」


 前田は自分で言ってからどきりとした。


「なあ、遙花はるかがメンバーを集めてサークルを正式登録しようとする可能性はあると思うか?」

「うーん、ちょっとそれは難しいと思いますよ。名義貸しを防ぐために立ち上げは五人で、三ヶ月のテスト運営期間をもうけます。そして設立条件として、最新のテストでの五人の合計平均点が八十点以上でなければいけません」

「あ、心配することまったくなかったか」


 前田はあんした。どう考えても今回の前田の中間テストの点数は、ぎりぎり追試をまぬがれる程度であり、平均八十点以上を作るのはほぼ不可能だ。


「でも、どうしてチケットを手に入れたんですかね」

「そうだよなあ。ちょっとこれからようを見ないと。それにしても、どきなのにすかっと晴れてて、バーベキューするのも悪くないよな」

「あっ、前田せんぱい、どうぞ」


 近寄ってきた女子生徒が、ぼうに刺したマシュマロを渡してくれた。


「サンキュー、火があるとやっぱりマシュマロ焼いちゃうよなあ」

「なんか平和な感じですねえ。今日は部活もなくて校庭ががらんとしてますし」

「そういやゆきむらは部活とか入んねえの? さそいがあるんだろ?」

「うーん、運動部の上下関係があまり好きじゃないんですよねえ」

「おっと、そろそろ表面がげていい感じに……」


 雪村と並んでマシュマロを焼いていた前田は、はっと動きを止めた。


「遙花さんですね」


 雪村も気づいたようだ。校舎の出入り口に彼女の姿があった。遙花は他クラスの女子生徒と立ち話をしている。眼鏡めがねをかけノートパソコンをわきにかかえた女子生徒だった。遙花は、うれしそうに笑ったあと走り去っていった。七組はしん宿じゆくぎよえんに向かったはずではなかったのか。

 遙花に話しかけられていた女子生徒は、じっと遙花の後ろ姿を見ている。その後、ちらりとこちらに視線を向けてから校門へ向かった。


「……なあ、まさか」


 前田と雪村は顔を見合わせた。遙花が話しかけていたのは二年生ナンバーワンの頭脳と評価される生徒なのだ。ちなみに前田がカンニングペーパーを買ったのも彼女からだ。例えば遙花がサークル正式設立のためのメンバーを探しているとするならばまずいことになる……。


「こうなったらあの人に相談しますか? あの人、生徒会の副会長もやってますし、直接言いに行きましょう」

「あの人か……」


 三年のゆうのことだ。確かに事情を知っており、相談するなら早いほうがいい。


「でも、あの人ちょっとこわいんだよな。それにあれ以来関係がぎくしゃくしてて、なんて話しかけていいかもわからない」

「このことをはっきりと言えばいいだけですよ。遙花はるかさんの件に関しては、あの人の責任が大きいんですから」

「そうだよな、ビシッと言うべきだよな……あっ」


 火にくべていたマシュマロはほとんど溶けてくろげになっていた。まえは首を振って持っていたぼうを火の中にほうり込んだ。その後、少しだけバーベキューの用意を手伝ってから、前田はゆきむらとともに校舎に入った。ふたりが目指したのは三年生の教室がある三階だった。


「確か、結城さんは三年一組ですね」

「三年は忙しいからもう帰ってるんじゃないか? なみんなは予備校とか図書館とか行って受験勉強をするよな」


 廊下はほとんどの生徒が帰宅しているため静かだった。前田は一組の教室の前に立つと、大きく深呼吸をした。


「せめてげんがいいといいんだけどな」

「機嫌のしは、僕には判断つきませんがね」

「なあ雪村、いきなりボコられることはないよな」

「そこまで不条理ではないでしょう」


 前田は扉を少しだけ開けてよううかがおうとした。


「失礼します」


 雪村ががらりと扉を開けたので、前田はつんのめるように教室の中に入ってしまった。


「……あ」


 前田は間抜けな声を出してしまった。放課後の教室はがらんとしていた。窓ぎわの一番後ろの席に一人の女子生徒が座っておりパソコンをたたいている。タイミングよく窓から風が吹き込み、彼女の長いかみが水の流れのようにらめいた。この空間は、まるで彼女を表現するためだけに存在しているかのように静かだった。


「結城さん」


 雪村が彼女の名前を呼んだ。彼女はしばらく反応せずにいたが、エンターキーをしてからゆっくりとこちらを向き、ガラスのようなひとみまたたいた。


「前田じゃないか。まさか、私に会いに来てくれたのか?」


 女子生徒は長い髪を払い微笑ほほえんでみせた。彼女が学年の女王と呼ばれ、せんぼうの視線を向けられるゆうまゆだった。


「受験勉強忙しくないんすか? こんな時間まで残ってて」

「受験のほうはすいせんが決まっていてね。だから、生徒会の仕事をやっていたのだよ」

「生徒会のホームページを作ってるとか? なんか今日はいい天気ですね」