アトリウムの恋人

2 東京スフィア ①

 放課後の活動というさいな日課があるだけで、まえの学校生活はがらりと変化したように思えた。ばくぜんとした流れの中に一本のくいを打ち込まれたかのような感覚だった。杭によってよどんだ流れは不安や恐れを表現していた。

 しかし、それでも放課後を待ち望んでいるような感情も少しだけあることに気づいた。授業が終わると淡々と帰宅していったへいたんな日常の変化だった。


「日直の作業があるから、先に行っててもらえるかな」


 五時間目の授業が終わると遙花はるかがこちらを向いた。彼女がとなりの席になってから三ヶ月、会話などはなかったのだが、こうして同じサークルに所属しているというだけで交流が始まった。

 同じものを共有するという形式は人間関係において多くのウエイトを占めているのだろう。心を通わせるには、同じ言語や人種などのわくみがまず必要となるのだ。同じくこの学校においても、クラスや部活、サークルなどの記号はとても重要なのだ。

 前田はかばんを持って教室を出た。今日は箱ではなく北校舎へと向かう。こうして3Sサークルの二日目が始まった。

 渡り廊下を歩いていると、前田を見つけたゆきむらが追いかけてきた。


「今日から活動開始って感じなんですかね」

「ていっても、何をしたいんだろうな、遙花は」


 前田と雪村は並んで歩き部室へと向かった。北校舎は前田たちのクラスのある新校舎ができると、サークルの部室や倉庫などに成り下がった。前田も本来ならば北校舎に用はなかったはずだ。静かな北校舎に足を踏み入れると不安がふくらんでいくのがわかる。


「大丈夫ですよ。僕もまゆさんもいることですしね」

「あの人はあんまり信用できないだろ」


 前田はため息をきながら、3Sとプレートのられた部室の扉をがらりと開ける。室内を見た前田はどきりとした。すでに先客がいたのだ。ひとりの女子生徒がパイプに座ってノートパソコンをたたいていた。


「本当に来たのか」

「……ええ、部員だから」


 彼女は小さな声で答えた。彼女はたかはし。このサークルの五人目のメンバーだ。


「昨日勝手に決めちゃいましたけど、悠羽美さんは会計になりましたから。まだ部費などは集めてませんけど、よろしくお願いします」

「会計? ……デリケートな仕事ね」


 雪村は平然と悠羽美に話しかけている。


「名義だけ貸して、サークルに来ないかと思ったよ」


 まえかばんを置きながら言った。は返答せずパソコン画面を見つめている。赤いふち眼鏡めがねをかけており、かみは後ろにわえている。ひざの上にせたパソコンは黒で、黒いストッキングをはいている。

 たとえるなら効率的な女子だった。身にまとう色はモノトーン系が多く、表情の起伏も声量もとても小さい。遙花はるかとは違い、悠羽美が放出する情報量は極めて少なかった。


「この前のカンニングペーパー助かったよ。おかげで追試をまぬがれた」


 赤点を取ったあさなどは、今日から一週間ほど、放課後に追試を受けることになっていた。前田は学年ナンバーワンといわれる彼女からカンニングペーパーを買ったのだ。


「で、なんでこんなへんぴなサークルに入る気になったんだ?」


 悠羽美はパタンとノートパソコンをたたんだ。


「本当に遙花からさそわれたのか?」


 悠羽美はぎようしなければわからないほど小さくうなずいた。


「なんでお前を誘ったんだろうな。基本的にコミュニケーションに難があって、決していつしよにサークルをやりたいタイプじゃないのにな」


 前田が考え込んでいる横で、悠羽美は少しだけむっとした表情を浮かべた。


「まあまあ、せっかくだから協力しましょうよ。みんなで対策を立てる必要が……」


 ゆきむらが言葉を止めた。扉ががらりと開き、「遅れてごめんなさい」と、遙花が入ってきた。


「悠羽美ちゃん来てくれたんだ。ごめんね強引に誘っちゃって」


 遙花はうれしそうに笑っている。


「あ、前田君は初対面だった?」

「大丈夫、仲良く会話もしていいふんになったから」

「そっか。でも紹介しておくね。二年一組のたかはし悠羽美ちゃん。一年生のとき私と同じクラスだったんだ。それで仲良くしてくれてたの」

「ふーん、高橋はオンラインゲームとかに興味があるんだ。趣味は? 好きなプロ野球チームとかあるのか? あれ、どうして黙ってんの?」


 前田が聞くと、悠羽美は聞こえないほどに小さく舌打ちをした。


「前田君、悠羽美ちゃんはずかしがり屋さんだから、強引に質問しちゃ駄目」

「……お、みんな早いな」


 会話をしていると最後にまゆが部室に入ってきた。これで初めてサークルの五人のメンバーが部室に集まったことになる。


「じゃあ、せっかく五人で集まったから、お菓子でも食べながら話そうか」


 遙花が言ったので前田はどきりとした。


「な、なんか作ってきてくれたとか?」

「あ、ごめんね、昨日は時間がなくて、買ってきただけなんだ」


 遙花はるかは机の上にチョコレートなどのお菓子を置いた。ゆきむらは紙コップを並べ、いつの間にか買ってきていたペットボトルのお茶を注いでいる。


「今度は何か作ってくるから」


 遙花がな笑顔を向けたので、まえは自然にうなずいてやり過ごした。

 五人は机を囲む形で座った。前田はアルフォートというチョコレートを食べてみたが、塩っ気のあるビスケットがチョコレートに合ってうまかった。見るとはちびちびとチョコレートをかじっている。まゆは静かにお茶を飲み、雪村は遙花の言葉に相づちを打っていた。

 気づくと遙花だけがしやべっていた。なんだか妙なテンションだった。何かきっかけをつかみたいような感じに見える。そのうちに遙花の言葉もれはじめ、部室に沈黙が流れた。開いた窓から運動部のかけ声がしおさいのように聞こえてくる。


「……よし、ではそろそろ始めようか」


 沈黙をやぶったのは繭子だった。繭子はじっと遙花に視線を向ける。


「何か相談したいことがあるのだろう」


 繭子の視線に遙花は小さくうなずき立ちあがり、たなに置いたかばんを取りに行く。その間に雪村がさっと机の上を片付けた。


「親にもクラスメイトにも相談できなくて。いろいろ考えた結果、限られた人たちに秘密を共有してもらいたかったんです」


 遙花は小さなスチールケースを机の上に置いた。シンプルな銀色のケースだった。


「このケース、私の部屋にあった百科事典の中に入っていたの。百科事典のページがくりぬかれていて、そこに入ってた」

「その百科事典は誰のなんだ?」

「私が中学生のときに、古本屋で買ったもの。そのときは当然普通の百科事典だったんだ」

「へえ、いつの間にかこれが入っていたってことか。それはこわいよな」


 前田はちらりと遙花のよううかがった。彼女のおびえをふくんだ表情は演技とは思えなかった。


かぎはこれ。鞄につけていたキーホルダーの人形の中で見つけたの。鍵のほうは結構前に見つけていたんだけど、どの鍵だか全然おぼえがなくて」


 遙花が見せたのは銀色の小さな鍵だった。それをケースに入れて回すと、カチリとロックのはずれる音がした。しばらく間を置いてから遙花は四人を見た。


「……このことはないしよにしてくれる? 他の人に話さないって」

「わかってる。部外者には口外しないよ」


 前田はうなずいた。他の三人も同意する。


「じゃあ、開けるね」


 遙花はケースに手をかけた。ぎこちない音を立ててケースが開く。


「入っていたのはこれなの」