神と奴隷の誕生構文

瀬戸際の策略 ③

 みどりがかった黒色のひとみが、真っ向からセレィのへきがんとらえた。ひざしたまでの三つ編みにわれたふたふさがみが、強い潮風にふわりとった。そこには、ダラィオンを相手取っていた時のような、皮肉ときよしよくの色はなかった。ただ、これだけは回り道なく伝えねばならないという、重い責任の気配があった。


「……すぐに信じろとは言わない。いずれにせよ、まずは目先の敵だ」


 せんきようを引っくり返してみせよう、と男は言い切った。その結果をもって、俺に信を置くかいなかを決めればいい、と。

 作り話にしても耳を疑うような大言の連続に、セレィはしかしちようしようでもふんげきでもなく、ただ静かに問いを投げた。


「──お前は何なのだ?」

「あんたたちが歴史書と夢物語に語りいできたもののけんぞくだ。ではないが」

「名は、何という」

おおくらしん


 セレィはまゆを寄せて、何度か口の中で、その名をはんすうした。


「……オオクルァ……偉大なるオオクルァシン、か。ふん、大層なことだな」


 きっとするどい視線を男に返して、セレィはぜんと言い切った、


「信については保留としておこう。お前の言うとおり、今日の功だけで判ずるには不足だ。

 だから──まだ偉大なるオオはつけん。真の器が知れるまで、お前はクルァシンだ」


 そう言って、あらあらしく差し出された右手に、男は微笑わらった。むしろそれぐらいが丁度いいにちがいないと──ちよう気味ににおわせて、その手をにぎり返したのだ。


 ──導神クルァシン。

 エナ・ガゼという名の世界をめぐる、神々と人の物語は──後年そう記されることになる若き神によって、今まさに序の幕を開かれたのだった。





 エナ・ガゼには大陸がひとつしかない。地図の中心をだいたんめるゴルォグンナ大陸がそれである。東方五国、中陸八国、西栄十二国の計二十五国を有するこの土地は、古代の地学者が図示したところ、丁度たくましい左うでを根元から切り落として置いたような形をしていたため、そこから想像を豊かにした詩人たちが数多あまたのネルマフカ神話群を作り上げた。

 ネルマフカ神話はかみまざりひとの三時代に分けて構成され、神代の終わりにおのが左腕を切り落として地を成した父神ネルマファを至高神とする。大陸全土においてこのしんこうは共通し、あおぐ神に大差はない。ただし、『左腕ゴルオグンナ大陸』のちょうどかたぐちから二の腕までにかけてを国土とする中陸・西栄諸国の人々は、左腕のなかでもという理由から、東方のたみべつするけいこうがある。

 ゴルォグンナ大陸に住まう民族はわたる。有翼種、有角種、牙種、盲種など、彼らはたいていが一見してそれと分かるとくちようを備えている。彼らは決まって父神ネルマファと母神メリェノスとの間にもうけられた八子神に起源を主張し、それゆえに父母両神にぐ信仰の対象にはちがいがある。必然、多くの場合は民族単位がそのまま国家単位となるが、二種以上の多民族をほうかつする国もある。

 有角種の統治するロケィラは、地図の上では最東方に位置する国のひとつである。まごうことなき沿岸国でありながら、りんごくオルワナとの軍事事情のために海との親しみはうすい。彼らは八子神の第三子『そうかく持つユルフィネク』を祖としてほうじ、隣国オルワナの有翼種らが奉ずる『八重羽のクロトァ』との対立は、神話をそのまま歴史と見るならば、神代の昔、母神メリェノスのぶさめぐって両子神が争ったことにたんを発する。兄弟げんの延長上に血で血を洗う大戦が起こっているとははたにも失笑の限りだが、当事者たちの間でそれをかいぎやくとする風潮は、今のところはない。


              *


 翌日の夕刻、へいしきったそくせき海軍を引き連れて、ロケィラおうセレィはけむりかおおうビンナスクにかんした。兵たちの足取りは一様に重い。ダラィオンひきいるオルワナ海軍にもたらされたがいは決して小さくなく、その対価としてあるはずの戦果はあまりにとぼしいものだったからである。


「諸君、本日はまことにたいであった! まずは湯にかってつかれを落とし、しかる後、肉とパンで腹を満たしてどろとなりねむるがいい。明日もまた、諸君の力をたのみとするところは大きいであろう。我らの額に一角つのさんぜんかがやく限り、ロケィラの勝利にるぎはない!」


 兵たちを宿舎にもどらせるセレィの声はろうを感じさせない。いくさしようぞくえぬままに宮中をかつし、引見の間まで来たところで、彼女は玉座にどっかとこしを下ろした。すかさずかたわらにじよがひざまずき、ふきと冷えたじゆうを供する。セレィはまず果汁を一気に飲み干すと、塩でざらざらする顔を手拭であらあらしくぬぐった。


「思ったより元気だな。慣れないふないくさはきつかっただろう」


 宮中、ましてやおうぜんにおいて、なんぴとにも許されぬ語調だった。ぎようてんした侍女が首をめぐらせると、玉座と三間ほどもへだたらない位置にその姿はあった。りこそ浅くもしく整った顔立ちに、底知れぬ理知を秘めたしつこくひとみべにシンに重ね着た、みどりカントウとのしきさいあざやかに──セレィらのには前例のない、独特のうるわしさを備えて、導神クルァシンはそこに立っていた。


「宮中の礼法を知らんのか。引見の下命を待て、たわけ」

「俺は別にあんたのしんではないからな。会うべき時に会いにくるさ」


 こつまゆを寄せる皇子の言を、クルァシンは軽く受け流した。事態に対応できず、侍女たちはあわれなほどおろおろしている。許可なしの入室自体がごんどうだんだし、皇子を前にひざまずくこともなく直立を保つなど、彼女らからすればそつとうもののそんであった。


「それに、れいをどうこう言っている場合じゃないのは、そっちも承知しているはずだろう。さっさと本題に入るぞ」


 机と地図をよこせ、とクルァシンは侍女に命じた。こんわくする彼女らの背中を、セレィの「用意してやれ」の一声が押す。

 ほどなく、七人がかりで運ばれてきた大机に東方地図を広げさせて、麗しきちようはつの神はいよいよ本題の口火を切った。


「ひとつ問うが、この戦の敗因はなんだと思う?」


 クルァシンの何気ない一言に、セレィのそうぼうがかっと見開いた。


けてはおらん!」

「……ああ、失言だった。ていせいしよう。現状のせんきよう的不利は何に由来すると思う?」


 げきこういつしゆんで収め、セレィはほとんど間を置かずに答えた。


「戦のじよばん、兵力を小出しにしたばかりに、ナバザとりでとしそこねたことだ」


 ご名答、とクルァシンは言い、こっそりあんの息をついた。大きな声では言えないが、これから導いていく相手がほうでは話にならない。


「ロケィラとオルワナの間にはしゆんけんなマガタ山脈が立ちはだかっている。海路を使えぬロケィラ軍がオルワナへと至る道は、ナバザきようこく辿たどるルートか、商国コーチアドを北からかいするルートしか存在しない」


 クルァシンは机のすみからぶんちんを取り上げ、それらを地図上のマガタ山脈に並べて置いた。ふたつのてつかいは間にわずかなすきを残し、その空間はそのままナバザきようこくの地形を表している。


「しかし中立をひようぼうするコーチアドは、両国が戦時下に入って以後、一部の通商を除いて国境をへいしている」


 縦にふたつ並んだ文鎮のさらに上、東方でもっとも小さな国土の全面に、クルァシンは地図上で×印を引いてみせた。


「こうなると必然、ロケィラ軍が選びうる道は、ナバザ峡谷しか存在しないわけだが……」


 クルァシンは文鎮の隙間を指でなぞった。もちろんオルワナがわもそれは心得ている。ナバザ峡谷には千金を費やしてがんきようきわまりないとりでを設営し、守り手に数倍する兵力をもってしても容易にはくつがえせない地の利をかくとくした。


「言うなれば、この砦のこうりやくは、このいくさの最大にしてゆいいつかなめ。ここを手早くとせばロケィラが勝つし、ここを最後まで守りきればオルワナが勝つ。つまるところ、リスクをおそれないだいたんな用兵が勝利への道筋だったわけだが……」

「ロケィラ軍は一枚岩とはほど遠かった。それは認めよう」