ぎり、と奥歯を嚙み締めて有角の皇子は答えた。とはいえ、それは彼女にはどうしようもないことだった。
ロケィラの前皇ギォロラは恋多き人物で、多くの妻を娶り、それに倍する子を成した。その数は、皇位を継ぐに値する資格に絞っても十四人に上った。彼らはみな皇子であり、担ぎ上げようとする人間を伴って、それぞれに派閥が生じた。それ自体は珍しいことではない。
が、この場合はさすがに絶対数が行きすぎていた。
前皇ギォロラは次なる皇の選出に頭を悩ませた。というのも、ほとんどの皇子たちには有力諸侯らがバランスよく配分され、細分化した勢力が危うい均衡を成してしまっていたからである。むろん皇には国内の兵力に対する統帥権があるが、それとは別に、諸侯には軍事会議における発言権も認められている。臨機応変に手を結び、離反する諸侯たちは、その兵力を背景に皇に対してさえ我意を押し通すだろうと容易に予想されたし、実際そうなった。結果として、ロケィラの兵力は皇子の数だけ分散してしまった。
そんな隙をオルワナが見逃すはずもなかった。ここぞとばかりに宣戦布告してきた敵国に対し、それでもロケィラは一致団結とはいかなかった。皇子たちは功を焦って互いに足を引っ張り合い、充分に集中の成されない戦力でナバザ砦に挑んでは玉砕していった。戦力はじりじりと減耗し、前皇と十三人の皇子たちが亡き者となった後、いよいよ皇位継承権にして最下位だったセレィにお鉢が回ってきたというわけだった。
「事ここに至って、ようやく諸侯らは互いに争っている場合ではないことに気がついたらしい。私は彼らの責任を厳しく追及し、兵力の提供の他には一切の干渉を許さず、各々の領地に下がらせた。開戦直後に比べれば半分以下になってしまった兵力は、ここでようやく統一をみた」
「大儀なことだ。しかし遅すぎたな」
「遅くなどない!」
「ほぅ。なら、どうして今からでも、ナバザ砦を攻めない?」
ぐ、とセレィは言葉を詰まらせる。クルァシンは容赦なく畳み掛けた。
「もう、それだけの戦力がないと分かっているからこそ、海軍への奇襲なんて苦肉の策を実行したのだろう。オルワナにしても承知の上だ。ナバザ砦には防衛に最低限必要なだけの人員を残し、あとはみな海に回した。オルワナの主力は海軍だからな。その判断もみな、ロケィラの戦力が脅威となりえないところまで磨り減った事実に由来するものだ」
セレィはいよいよ押し黙った。が、目は伏せていない。射抜くかのようにクルァシンを睨み据えて、次なる言を待ち構えている。
絶望的な状況下には即さないその眼が、クルァシンにはいたく気に入った。
「うん。意地悪はここまでにしておこう。それでは、いよいよ勝たせる話だ」
クルァシンの翠がかった黒い双眸が妖しく光った。人差し指が地図上を流れ、東域の中心にしてロケィラから北西の、ある一点で止まる。
「まず陥とすべきは、ここだ」
クルァシンの指し示すところに、セレィは眦をいっそう険しくした。
「コーチアドを攻める、というのか」
「急がば回れ、という至言はな、俺の言行録を作る際は筆頭に入れてくれていい」
「ふざけるな」
セレィは一蹴した。失望も露わな口調で反駁する。
「通商が生業とはいえ、あれは東方五国の中心で永らえてきたしたたかな国だ。コーチアドを攻めることは東方条約で固く禁じられ、それを破ればオルワナのみならずダマカスカ、ギリェ・イゼンの両国まで敵に回すことになる。でなくとも、コーチアドは防衛のために六千は下らぬ兵を備えているのだから、オルワナを後に控えた状況でぶつかって良い相手ではない」
なにより、と重々しくセレィは加えた。今までの理屈など、それに比べれば如何ほどの重みも持ち合わせないとでも言うように。
「開戦の直後、コーチアドは中立を表明している。──有角の民は、義のない戦はせん!」
びりびりと空気が震え、侍従たちが畏れのあまり肩を縮こまらせた。逆鱗に触れたことは明らかなのに、クルァシンは飄々と首を横に振ってみせるばかり。
「勘違いするな。陥とすといっても、武力で陥落させるって意味じゃない」
「──なんだと?」
ちょんちょん、とクルァシンは自分の唇をつついてみせる。
「口で陥とすのだ。こっちの兵を通してくれるようにな」
剣幕を引っ込めた代わりに、セレィは途端に胡散臭そうな表情になった。
「……ダラィオンをやり込めた時のように、か? いつもいつも、あんなやり口が上手くいくとは思えん」
「敗けが決まる寸前に助けてやったというのに、ずいぶんな言われようだな」
「ダラィオンは一旦退いただけだ。明日にでも再び攻めてこないとどうして言える」
「来ないさ。そうなるようにしておいた」
「……あの、呪いというやつか?」
クルァシンはくつくつと低く、悪戯っぽく笑った。
「あれは演出の一部さ。重要なのは、ダラィオンのなかじゃ、もうこの戦は半ば終わっているってことだ。勝ちが決まってるっていうのに、少しでも命を危険に晒すなんて馬鹿馬鹿しい。あいつはそう考える。だから、あの状況でも艦隊を退かせた」
「そして呪いを怖れて、これから十日を棒に振ると?」
「どのみち、あの海戦で消耗した装備を補給するには時間がかかる。天弓隊はやたらに矢を消費するからな。補給船団のいる海域まで戻って、今度こそ万全の態勢を整えているうちに、六日くらいはすぐに過ぎる。ならあと三日四日くらい、大事を取って遅らせるのもありかもな──そんな風に、ダラィオンは考えるのさ」
「ひとの心を見透かしきったような言い方だな」
「希望的推測だと思ってくれてもいい。どのみち、明日にでも攻められれば、ロケィラはそこでお終いだ」
クルァシンはなげやりに言い捨てた。無責任極まりないが、結局のところ、セレィにも反論の余地はなかった。
「……まぁ、いいだろう。こちらから攻めていけるでもない以上、そなたの舌鋒に賭けてみるのも面白いかもしれん」
「理解が早くて助かる。それじゃ、早速明日行ってみようか」
「いいだろう。兵はどれだけ連れていく?」
「さしあたり選りすぐった騎兵を三百ほど。あとは皇都で遠征の準備をさせておけ。コーチアドと話がつきしだい、すぐにでも発ってもらうからな」
その言に頷き、セレィは侍女に騎兵隊の千人長を呼ぶよう命じた。が、クルァシンはそこに一言付け加えて、
「言い忘れていた。選ぶ兵の基準は、優れた体力と、あとは声がデカいことだ」
そんな、よく分からないことを言った。
話を済ませ、これで用件は終わったとばかりに退室しようとしたクルァシンを、今度はセレィが呼び止めた。
「待て。そなたには湯殿と寝室を用意してある」
「む?」
「私を見くびっているのか。そなたは曲がりなりにも命の恩人だ。まして神々の眷属とくれば、このような状況下とはいえ、もてなさぬわけにもいくまい」
セレィの言い分に、クルァシンは途端に当惑した表情になる。
「気持ちはありがたいが、湯殿なんてものがあるなら兵士に使わせてやれ。疲れの具合が大分変わるだろうよ」
「兵の宿舎にも湯船はある。そなた、もしや、ロケィラは東方有数の温泉地であると知らなんだか?」
「そういえば湯煙が立っていたか……。しかし、正直なところあまり気が進まないんだが」
「私のもてなしを袖にするというのか」
セレィの瞼がすぅと細まった。クルァシンはげんなりした調子で首を横に振る。
「とんでもない。ありがたく頂こう」
それがよい、とセレィは満足げに頷いた。そのまま、侍女のひとりに声をかける。
「メリェ。今夜はお前がもてなして差し上げろ」
「う、承りました、セレィ皇子」
指名された年若い侍女はこわばった返事で引き受けると、クルァシンのもとに寄っていっておずおずと腕を取った。小さな額の中央では、セレィと比べると遥かに小ぶりな可愛らしい一角が、つつましく存在を主張していた。
「大切な客だ。誠心誠意奉仕しろ。導神クルァシンどのに、粗相のないように」
見送るセレィの言葉に、どうも厭味な響きがあるように思えてならず、クルァシンは少しだけ不安になった。
侍女メリェに手を引かれてクルァシンが宮中を歩くと、ほどなく、高まる湿気と共に清々しい香りが漂ってきた。彼が尋ねてみると、薬湯でございます、とメリェは説明した。