神と奴隷の誕生構文

瀬戸際の策略 ⑤

「十二種類の薬草・こうそうを干したものを湯にしずめてあります。だんおうしつの方々しかご利用になれませんし、お客様に供されることもまれです」

「ふむ。いちおうかんげいされてはいるわけか」

「も、もちろんでございます!」


 軽口のつもりだった一言に、侍女は飛びねんばかりに反応した。幸か不幸か、有角ユルフイネクたみのなかでも、神を前にしてセレィほどに我を通そうとする者は稀なようだ。

 そうして、くだんの湯殿を目の前にしてみると、クルァシンは感心とあきれのいきをいちどきにらした。やや高所に位置するだつ所から望む湯船は、湯気にかくされた全容こそうかがい知れないものの、二、三十人がゆうゆうと手足をばしてかれるだけの容積はかたい。空間にはむせ返るような香気が立ちこめ、めいていにも似た気分を入浴者にもたらすようになっている。


「お──おしのものを、お預かりいたします」

「ん? ああ──、」


 言われてすぐ、クルァシンは上着にしていたカントウに小さな手がかかるのを感じた。とつこばみかけたが、これもかんたいの形式なのだとあきらめて、されるがままになる。が、ふところに収めていた書物だけは自分でき取り、メリェに手わたした。メリェはしようさに比類なき宝石でもあつかうかのような手つきでそれを受け取った。


「ク、クク、ク、クルァシン様」

「ん?」

「こ、これは、もしかすると神書でございますか」


 あかじみた表紙をぎようして、メリェはふるえる声で言う。導神は苦笑いして首を横にった。


「そんなに大層なものじゃない。が、なるべく大切に扱ってくれ」

「も、もちろんでございます! 大切に扱わせていただきます……!」


 ていねいたたんだ貫頭衣といつしよに本をかごに納めると、メリェはあらかじめ用意されていたごろもをクルァシンに着せ込み、そうしてからシンと下着を取り去って、彼の身体からだうすぎぬ一枚へだてて一糸まとわぬものにした。


「ああ、ありがとう。楽しませてもらおう」


 わずかにほおを紅潮させたクルァシンが殿どのに入ろうとすると、もう少々お待ちくださいませ、とかたい声に追われる。まだ何か準備があるのか、と彼がり返ったところで──クルァシンはぎようてんのあまりどうこうかくだいさせた。じよメリェは、その場でいそいそと、おのれの衣服までもぎ始めていたのである。


「……ちと待て。それは全体どういうつもりだ」


 神に問われて、メリェはしゆうのあまり真っ赤になった顔をうつむかせる。


「ゆ、湯殿のなかでごほうさせていただくのに、わたしだけが着衣のままというわけには参りません」

「奉仕なんて、そんなことをだれたのんだ。ぐらいひとりでも入れるというに」


 どうようのあまり強い口調で言ってしまったクルァシンに、メリェはふぇ、と泣きそうな顔になった。クルァシンはあわてて取りつくろった。


「待て……泣くな! 何もおこったわけじゃない」


 玉のはだつゆにぐずり始めたメリェを、クルァシンは必死になだめすかす。この段になって、彼もようやく気づいたことだが、この侍女はまだ少女と言ってもよいほどに幼いのだ。


「怒ってないと言っているだろう! ええぃ、それにしても風呂が楽しみだ! お前のように愛らしいむすめに世話してもらうとなればなおさらな!」

「……ぇくっ……本当、ですか……?」

「本当だとも! ああ、早く湯船に入って塩を落としたいな!」


 必死のフォローが功を奏してか、メリェはようやく泣きやんでがおを取りもどした。さっきと同じようにクルァシンのうでを取るや、そのまま湯船へと案内していく。目のやり場がなかったので、クルァシンは思い切ってまぶたを閉ざした。


「おけくださいませ」


 うながされて、クルァシンはうすを開く。なるほど足元にこしかけが用意されており、彼はそこにゆっくりと腰掛けた。その際、視界のはしみずみずしいやわはだが映り込み、どうしようもなく彼のしんぱくをかき乱した。

 おけすくった湯をクルァシンに浴びせると、メリェは失礼いたします、とつぶやき、たおやかな手つきで彼のごろもの上半分をはだけさせた。ここがクルァシンにはどうしても理解しかねた。男の自分には衣が用意されているのに、どうして彼女は一糸纏わぬ姿でいるのか? まだしも立場が逆であるほうが彼の常識にそくしている。

 ともあれ、メリェの奉仕は実にていねいで、いざ身体からだを洗われる段になってからは、クルァシンもさいを忘れた。背中から指先までを、やわらかい指先がつたっていくかんしよくは、えも言われず官能的だった。クルァシンはくちびるをきつくんでれつじようを押し殺した。


「お美しい……」


 一方で、ほとんど無意識に、メリェの口からは賞賛の言がれていた。全容をさらしたクルァシンの肉体は、なるほど神体を名乗るに不足のないたくましさを備えていた。総身をよろう筋肉は力強く、かといって肥大しすぎることもなく、均整の取れた肉体美を成している。

 さらにもうひとつ、年若いじよとうぜんとさせる部位があった。それはひとみと同じく、しつこくの深きあまりにうっすらとみどりすらたたえた、クルァシンの長いかみだった。


「か、髪留めを、お取りいたします……」


 三つ編みにされたふたふさの下げ髪のせんたん、それぞれをまとめおくぼうすいけいの髪留めを手に取って、メリェはやや意表をかれた。おそろしく重いのである。はがねかがやきは外皮一枚のそうかと思いきや、どうやら総身がしやくない金属のかたまりらしい。ただでさえひざまでもびる下げ髪の先端に、こんなものを付けていたのでは、首がつかれないのだろうか──口には出さず、メリェは不思議に思った。


せつけんすべらせないように。足に落とせば、軽いでは済まん」


 クルァシンにも忠告されて、メリェはしんみように二つの髪留めを取り去った。するとどうだろう、いくにもわれていたちようはつおのずとほぐれてゆき、ほどなく一条の清流のごとき姿を取りもどした。メリェはすら覚えながら、そのひと房を手に取った。


「わ、わたしには、できません……」

「なに?」

「うかつに洗っては、このぐしいためてしまいそうで……」


 かたさえふるわせるメリェの態度に、クルァシンは小さくき出した。


「師と同じことを言うのだな、お前は」

「師? 導神さまの師と、申されると……いずれの神々のことでしょうか」


 その問いには答えず、クルァシンはぽつりぽつりとつぶやいた。


「おかしなものだ。俺としては、こんな髪に何のしゆうちやくもないのだがな、行く先々で宝石のようにあつかわれる。男の髪が美しかったところで、何に利するわけでもないだろうに」


 まったくその価値を解さない本人の発言に、メリェはたまらずくちびるとがらせた。


「クルァシン様……その言いようは、いくら何でも、凡百の女わたしたちがあまりにあわれでございます……」

「そういうものなのか。……なろうことなら、望むだけ分けてやりたいものだが」

「とんでもありません!」


 そらおそろしいことを平然と述べるクルァシンに、メリェはいよいよかくを決めてせんぱつを始めた。それはまさしく、彼女にとっては至高の体験となった。

 れた髪を手でたびに、かつて経験のない官能が少女のせきずいけた。そのさが正直にきわまりしクルァシンの毛髪は、どれほどもてあそぼうともからむということを知らなかった。至高のつやとしなやかさをね備えた彼のかみは、事実、如何いかなる宝石よりもと言えただろう。

 たっぷりと、かなり必要以上の時間をかけてぐしを洗い終えたメリェは、名残なごりしみながらも、それに湯を浴びせて別れを告げた。再会の時を切にいのりながら。


「お待たせいたしました。どうぞ、湯船にお入りくださいませ」


 うながされて立ち上がり、クルァシンはゆっくりと湯のなかに身体からだしずめていった。ぬくもりが全身にわたり、かぐわしいかおりがいくにもこうくした。彼はまったく忘我の心持ちでいきをついた。おうしつようたしみも伊達だてではない。

 が、ふと、湯船の外で立ち尽くすじよの姿が視界に入って、クルァシンは目をらしながら声をかけた。


「……お前も入ればいいだろう」

「と、とんでもございません! 導神さまと湯船を共にするなど、おそれ多くて……」