第一章 機械仕掛けの相棒 2 ①

目的地のユニオン・ケアセンターは、ゴシック・リバイバル建築の趣ある建物だった。エチカはつい見入ったのだが、そのせいで外壁のホロ広告が反応する。ユア・フォルマがマトリクスコードを自動で読み込み、購入ページのブラウザが展開──全く、邪魔くさい。

 どうにも疲れた気分で、運転手のアミクスとともにロビーに到着した。くたびれた外来患者があふれているものの、職業に電索補助官を掲げた人間は、どこにも見当たらない。


「新しい補助官はまだ来ていないみたいだね」


 エチカは鼻から息をらす。まあ、パートナーの遅刻には慣れているからいいが。


「やはり私から、彼のことを詳しくお話ししておいたほうがいいように思います」アミクスが今一度そう言い、「補助官は、名前をハロルド・ルークラフトと言いまして、最近市警から配属替えになったばかりです。髪はブロンドで、背は百八十センチほどの」

「だからいいって。パーソナルデータが見えるから会えば分か……」


 エチカはうんざりとしながらアミクスを見上げ──初めてまともに、その姿を認めた。ぜんとする。アミクスというだけで関心を捨てていたが、恐ろしく端正な外見モデリングだ。年齢設定は二十代後半くらいだろうか。ブロンドの髪はワックスでそつなくまとめられ、均一な眉、繊細なまつをあしらったもと、一切ゆがみのないりようと程良い厚さの唇──小さく跳ねた後ろ髪と右頰の薄いほくろが、絶妙な人間らしさを引き出している。

 どこをどう取っても、職人が魂を吹き込んだ芸術作品並みだ。明らかに量産型ではない、金のかかったカスタマイズモデルだった。


「ルークラフトの服装ですが、本日はタータンチェックのマフラーに、メルトンコートです」


 エチカはまばたきもできなくなる──目の前のアミクスが、そっくりそのままのちだったからだ。有り触れたデザインのコートですら、そのすらりとしたたいきわたせている。


「まさか……」にわかに口の中が渇いていく。「冗談でしょ?」


 アミクスは穏やかにほほんだ。胸焼けを起こしそうなほど、洗練された笑顔だった。


「先ほどは名乗らずに申し訳ありませんでした。私が、ハロルド・ルークラフトです」


 アミクスは──ハロルドはそう言い、気さくに手を差し出してくる。

 いや待てふざけるな。


「有り得ない。アミクスの補助官なんて聞いたことがない、きみたちの仕事はもっと雑用……」

「確かに捜査機関におけるアミクスの仕事は、証拠保管室の管理や現場の警備などで、事件捜査は人間や分析ロボットの担当です。私の肩書きも公式のものではありません」


 アミクスの仕事が雑務ばかりなのは、彼らが産業用ロボットのような効率や生産性ではなく、『人間らしさ』を追求して作られた汎用人工知能AGIだからだ──AGIが理論上の存在だった頃、これらは人間をりようする超知能だと恐れる学者もいた。しかし蓋を開けてみれば、彼らは『賢いけれど従順なロボット』のはんちゆうにとどまり、人間のよきパートナーとなっている。

 そんなアミクスの始まりは、パンデミックなか。英国企業ノワエ・ロボティクス社が開発した、一体のヒューマノイドだった。人工知能やロボット工学はユア・フォルマと同じく、パンデミックとともに発展を遂げた分野のひとつだ。人同士の接触を減らし、感染リスクを極限まで抑える観点から、人間に代わって働くロボットたちへの投資が進んだ。

 ノワエ社は英国政府によるばくだいな投資を資本に、ヒューマノイドを実用化へとけた。当初医療機関に提供されたそれは、人間と同じ容姿を持ち、表情豊かに振る舞った。単に与えられた仕事だけでなく、人間の求める反応──慰めや励まし、共感など──を返し、ウイルスに苦しむ患者や医療従事者の心をケアしてストレスを和らげたのだ。

 のちに『アミクス』として発売されてからは、家庭から企業まで幅広く社会に普及している。今や、アミクスの扱いを巡る『機械派』と『友人派』の対立が度々問題になるほどだ。

 しかし、周囲の状況を把握して柔軟に対応できるアミクスの『人間らしさ』は、一方で器用貧乏と言える。特定分野の学習深度では、産業用ロボットに到底劣るのだ。だから、専門職としての色合いが強い犯罪捜査は、アミクスよりも分析蟻ミール・ロボツトなどの領分だった。

 なのに今、目の前のアミクスは、自分を電索補助官だと主張している。


「本当にきみが補助官だというのなら、どうして最初に自己紹介をしなかった?」

「ああ」と、ハロルドがのんに手を引っ込める。「すみません。あなたがどんな方なのかを、しばらく観察したくて……もしや、飛行機の中では映画をご覧になっていましたか?」

「え?」確かに見ていたけれど。「それが何?」

「タイトルは、『三番目の地下室』でしょう?」


 エチカは思わず目をしばたたく──正解だった。何で分かった?


「まさか、誰かからいたの?」

「いいえ、誰からも。あなたはエトワールフランス航空を利用したはずです。公式サイトを見れば分かりますが、『三番目の地下室』は機内プログラムのピックアップ作品だ」

「……だから?」

「あなたのようにこだわりを持たない人ならば、もっとも目に付くピックアップ作品の中からタイトルを選ぶのが自然です。しかも職業柄、極度に刺激的な物語にしか引き込まれない。あなたの目は、まばたきの回数が減った影響で充血していますし、恐怖心をあおられて何度もめたせいで唇が荒れています。ですから映画のジャンルはサイコホラー、そしてサイコホラーのピックアップ作品は『三番目の地下室』だけです」


 エチカはあっけにとられるしかない。「一体何なんだ、きみは……」

「思うに電索官、無頓着なところがありますね? あなたからは、電子煙草たばこ特有のフレーバーの香りがします。失礼ですが、それなりに安物の。つまり喫煙に対して特別なこだわりはなく、ただ気を紛らわすことができればいいと考えている。そういう人は大抵、生活そのものに関心がない。ファッションや恋愛にもまるで興味がなく、仕事が恋人です」


 もはや言葉がなかった。絶句するエチカを前に、ハロルドは満足げな笑みを見せる。


「初歩的な人間観察です。私に捜査官としての適性があることを、ご理解いただけましたか?」


 冗談じゃない──何だは。

 確かにアミクスはコミュニケーションを取る上で、人間の感情などを把握できる。だが、ここまでの精度は異常だ。どうなっている?

 エチカが困惑を隠しきれずにいると、


「ヒエダ電索官」


 ハロルドが、柔らかいが有無を言わせぬほほみで、ささやきかけてくる。


「事件解決までの間、あなたのよきパートナーでいられるよう努力します」


 勘弁してくれ。補助官がアミクスで、しかもプライバシーを把握する能力があるなんて。


「その……、時間が欲しい」エチカはどうにか言った。「上司に電話をかけてくる」


〈ウイ・トトキにホロ電話〉


 ケアセンターの外に出たエチカは、迷わず上司のトトキ課長にコールした。気温は先ほどと大差ないのに、どういうわけか寒さを感じない。そのくらい動揺している──ホロ電話は、正しくはホログラフィック・テレプレゼンスと言う。ホロモデルを使用することで、直接相手と会っているかのような感覚で会話できる技術であり、ユア・フォルマの機能の一部だ。


『あらおはよう、ヒエダ』


 通話がつながり、トトキ課長の姿が目の前に。鋭い目鼻立ちは、女性でありながら厳格な印象を与える。結わえた黒髪は腰に届くほどで、グレースーツは一切のしわを許さない──彼女は三十代半ばにして、電索課を束ねる我らがチームリーダーだ。トトキの肩書きは上級捜査官であり、電索官や補助官とは異なる形でキャリアを積み上げてきたエリートだった。


が今何時か分かってる? 朝の八時よ、出勤時間』

「すみません」エチカはみつきたいのを堪える。冷静になれ。「ベンノとのパートナー解消を黙っていたのは、新しい補助官がアミクスだからですね?」

刊行シリーズ

ユア・フォルマVI 電索官エチカと破滅の盟約の書影
ユア・フォルマV 電索官エチカと閉ざされた研究都市の書影
ユア・フォルマIV 電索官エチカとペテルブルクの悪夢の書影
ユア・フォルマIII 電索官エチカと群衆の見た夢の書影
ユア・フォルマII 電索官エチカと女王の三つ子の書影
ユア・フォルマ 電索官エチカと機械仕掛けの相棒の書影