第一章 機械仕掛けの相棒 3 ①

 感染源のクラーラ・リーは、感染当日からバレエアカデミーを欠席していた。

 ユア・フォルマのユーザーデータベースによれば、リーはノルウェー人で、フィンマルク県チルケネス出身の十八歳だ。留学生としてペテルブルクのバレエアカデミーに入り、学生寮で生活していた。犯罪歴もなく、ワシントンやパリの感染源同様、善良な一般市民と思われる。

 だがどういうわけか、行方をくらましている。


「わたしの見立てでは、彼女はただの被害者だ。なのに、どうして逃げ出す必要がある?」

「友人を感染させたという罪悪感かも知れません。今、リーのSNSを調べていますよ」


 エチカとハロルドは現在、そろってニーヴァに揺られていた。ペテルブルクを出発してから、かれこれ二時間が経過する。そろそろフィンランドの国境検問所が見えてこようかという頃だ。

 アカデミーに問い合わせたところ、リーは祖父の葬式を理由に休みを取ったらしい。しかしデータベースいわく、彼女の祖父は数年前に死去している。つまり、リーはうそを吐いた。

 ペテルブルク市内の監視ドローンを調べたが、リーは学生寮から最も近いパーキングロットでシェアカーを借りていた。走行経路を確認した結果、車は、リーの故郷から五百キロほど離れたカウトケイノで彼女を降ろしている。理由が分からない。せめてリーの位置情報を特定できれば手っ取り早いのだが、感染したユア・フォルマは電波信号すらも途絶してしまう。

 そのためエチカたちはやむをえず、地道にリーの足取りを辿たどることになり、こうしてカウトケイノへと向かっていた。が、アミクスと狭苦しい車内で缶詰にされるのは、中々に気が重い。


「電索官、これを見て下さい。実に完璧な踊りです」


 ハロルドが、ずいとホロブラウザを差し出してくる。線の細いリーがチュチュをまとい、しなやかに舞っている動画が再生されていた。彼女のSNSにアップされていたものだろう。


「パリの炎のヴァリエーションですが、軸に全くぶれがありません。プロ顔負けの技術です」

「彼女が優秀だとしても、事件とは関係がない」


 エチカは寒さを紛らわそうと、自動運転中のステアリングに手を置く──助手席のハロルドは、先ほどから腕時計型のウェアラブル端末を使い、リーのSNSを眺めていた。アミクスはオンラインにこそつながってこそいるものの、その用途はIoT連携などに限られている。彼らがインターネットを使うには、端末が必要なのだ。


「では、こちらはどうです? 随分と変わった飲み方ですが」


 続いて彼が見せてきたのは、たっぷりとチーズを入れたコーヒーの画像だった。『私のお気に入り』というテキストが添えられている──先ほど、機憶でかいたものと同じだ。エチカはユア・フォルマに解析させ、ネットワーク上から答えを引き出す。


「コーヒーにヤギのチーズ……少数民族サーミの食文化か」更に、関連情報へと飛ぶ。「リーが訪れたカウトケイノは、サーミ人の住民が多いらしい」

「あのあたりは、が暮らす技術制限区域でしたね。それもサーミ人と言えば、トナカイ牧畜の裏で闇医者ぎように手を染めている人もいるはずです」

捜査局うちでは有名な話だね。ただ正確には闇医者じゃなくて、バイオハッカーだけれど」


 バイオハッカーは、バイオハッキングと呼ばれるサイボーグ技術によって、依頼者の肉体を改造することで報酬を得ている。その際、違法な薬剤や筋肉制御チップなどを用いることから、闇医者とも呼ばれるのだ。こうしたバイオハッカーは、裏社会組織に雇われた少数民族であることも多い。彼らは文化維持のために貧困に陥りやすく、高額な報酬と引き換えに仕事を引き受けるケースが散見されていた。当然だが、法に触れる行為だ。


「つまりリーは、感染したユア・フォルマを取り出すためにバイオハッカーを頼った……いやでも、それなら一般の病院で十分か。わざわざリスクを冒さなくてもいいはず」

「ええ」ハロルドがうなずく。「思うにリーは幻覚症状を、調のではないでしょうか?」

「どういう意味? データベースによれば彼女は健康体で、これといった持病もない。ユア・フォルマ以外の機械を、わざわざ埋め込む必要がないよ」

「ところで電索官、バレエをご覧になったことは?」


 エチカは目をしばたたく。何だ、やぶから棒に。


「あるように見える? わたしを無頓着だと言ったのはきみだ」


 彼は首をすくめた。「今更ですが申し訳ありません、女性に対して無礼な表現でした」

「いやそうじゃない」そもそも女扱いされたいなどとは、じんも思っていない。「それで、バレエが何なの?」

「いえ……」ハロルドはわずかにしゆんじゆんし、「やはり、のちほど説明しますよ」


 それきり、車内にはじっとりとした沈黙が落ちた。

 居心地が悪い。エチカはどうにも落ち着かず、ウィンドウを下げる。凍りつくような風が頰を切るが、構わず電子煙草たばこんで──ハロルドは、こちらがアミクス嫌いだと知っている。ベンノのように、感情を表にしてくれればいっそ気が楽なのに、彼はそうじゃない。冷静な分、何を考えているのか分からないのだ。

 エチカは煙を窓の外へと吐き出して、


「電索官、いつから煙草たばこを?」


 ハロルドが問いかけてくるので、どきりとした。放っておいて欲しい。


「プライベートな話はしないと言ったはずだ。迷惑なら消す」

「構いませんよ。ミントの香りは好きです」

「……フレーバーは煙草たばこじゃないっていう人もいるけれど」

「なるほど、ニコチンよりもずっと健康的だと教えて差し上げたほうがいい」


 彼らの敬愛規律はどうあっても、目の前の人間に対して好意的な態度を取ろうとする。こちらがどれほど心を閉ざしていても、それは変わらない。そうやって、人の胸の内に滑り込むのがいのだ──そんな手に乗せられるものか。


「仕事の話をしよう。本当に、わたしの補助官をになって何ともなかった?」

「ええ。私の能力は、あなたと対等であると証明されています。数字が信じられませんか?」


 信じられないのではなく、信じたくないだけだ。認めたくはないが、彼とエチカの処理能力は驚くほど釣り合っている──その証拠に、先ほどの電索ではが起こった。

 補助官との親和性が高いと、電索官は誤って自分の機憶を引き出すことがある。これまで釣り合う相手と潜ったことが一度もなかったので、経験したのは今回が初めてだ。


「さっき、逆流が起きた。……きみには何か見えた?」

「いいえ。補助官が共有するのは、電索官が潜った対象の機憶だけです。それも、早回しの映画を見ているような形で送り込まれてきます」

「それは知ってる」そして追いつけなくなると、ベンノのように頭が焼き切れるのだ。


「あなたがご自身の機憶を開いた時は、映像が途切れてノイズに変わります。つまり逆流が起きていることは分かりますが、あなたの機憶までは見えませんよ」

「そう……なるべく抑えられるように努力する」


 ハロルドに機憶をのぞき見られていなかっただけでも、正直ほっとした──だが、アミクスとの相性が優れているという事実に関しては、全くあんできない。むしろ最悪だ。


「そううんざりしないで下さい」

「別にしてない」

「カウトケイノまで、あと十三時間あります」ハロルドが優雅にほほむ。「あなたがアミクス嫌いを克服して、私と親しくなるには十分ですよ」


 エチカはつい、渋面になってしまう。何を考えているのかと思いきや。


「仲良しごっこはしないと言ったはずだ」

「私がアミクスだからでしょう?」

「誰とでもそうだよ、いちいち慣れ合う気はない」

「私は是非ともあなたを知りたいのですが」

「それはきみの勝手な希望だ、お断りする」


 何なんだ。人間が拒んでいるのだから、アミクスらしく尊重して身を引いて欲しい。最初から思っていたが、ハロルドはどうも図太い。いっそ、特有のがあるようにすら見える。


「そもそも親しくなって何の意味がある? 私情が挟まれば仕事がやりづらくなるだけだ」

「驚きました」彼がわざとらしく目をみはる。「まさか、そこまでの親しさをお望みとは」

「は?」何言ってる?


「仕事がやりづらくなるほどの私情といえば、相場が決まっています。そうでしょう?」

刊行シリーズ

ユア・フォルマVI 電索官エチカと破滅の盟約の書影
ユア・フォルマV 電索官エチカと閉ざされた研究都市の書影
ユア・フォルマIV 電索官エチカとペテルブルクの悪夢の書影
ユア・フォルマIII 電索官エチカと群衆の見た夢の書影
ユア・フォルマII 電索官エチカと女王の三つ子の書影
ユア・フォルマ 電索官エチカと機械仕掛けの相棒の書影