第一章 機械仕掛けの相棒 3 ②

 即座にこいつを張り倒さなかっただけ、自分を褒めてやりたい。


「ルークラフト補助官……わたしの脚にあるものが見える?」

「電子犯罪捜査局が標準採用している、自動拳銃フランマ15です」

「その通り。で、きみはアミクスだから武器所持を禁じられている。丸腰だ」

「ただのジョークです、怒らないで下さい」ハロルドは窓枠に手をかけ、余裕の笑顔だ。「あなたは面白い人ですね、きっと仲良くなれますよ」


 こいつ、本当に撃ってやろうか。できもしないことを思いながら、エチカは怒りに任せて煙草たばこの電源を切る。ウィンドウを閉めると、乱暴に暖房のスイッチを入れた。「五分った、今度はわたしがあたたまる番だ」

「ええ、では私は五分我慢します」


 寒いのが好きだというハロルドと、まともな体感温度を持っているエチカは、出発に際して暖房を五分ごとの交代制にしようと取り決めていた。機械の押しに負けるだなんて情けない。


「いい? あまり人間をからかわないで」

「からかってはいません。あなたと親しくなりたいだけです」

「今度きみが妙なことを言ったら、わたしが三時間暖房を使う権利を独占するから」

「気になっていたのですが、そこまで寒いのであればタイツよりも厚手のズボンを穿かれては?」

「これは発熱繊維だよ動きやすいし十分あったかい。ただ完璧とは言えないだけで……」

「つまり、単にあなた自身が寒がりだと」

「違うおかしいのはきみのほうなんだ、氷点下でも平気なんて人間じゃない」

「よくご存知ですね」

「……そういう意味じゃない」面倒臭いな!


 目的地のカウトケイノは、実に閑散とした田舎町だった。そもそも町と呼べるほど建物が密集していない。広大な雪原に横たわる幹線道路を中心に、ノスタルジーあふれる山小屋風の民家、教会、郵便局、学校などが点在している──技術制限区域には、パンデミック時代にスレッドデバイスを始めとするテクノロジー技術を拒んだ少数派が暮らしており、『』と呼ばれている。このような住み分けは、世界各地でおこなわれていた。

 極夜の今は、午前九時を回っても日が昇らない。申し訳程度に明るみを帯びた空の下、エチカたちを乗せたニーヴァは、町で唯一のスーパーマーケットの駐車場にまっていた。


「手詰まりだ」エチカは運転席で、ゼリーのパウチをくわえたままうめく。「監視ドローンがない以上、リーを探す手立てもない」


 ユア・フォルマで追えない捜索対象者の足取りをつかむには、街中に配置された監視カメラやドローンが最も頼りになる。これは今も昔も変わらない。しかし恐ろしきかな、ここにはそれらが一切存在していない。配達物すらも人力で配られている始末だ。制限区域の中には、治安維持の観点から監視カメラだけは導入している地域もあるのに、ここはあまりに悲惨だった。


「この町は、制限区域にとってあるべき姿を守っているだけですよ」と、ハロルドもパウチの封を切る。「折角なのですから、もう少しこののどかな風景を楽しんではいかがです?」

「この石器時代の景色のどこを楽しめって?」

「せいぜい青銅器時代では?」

「本音出てるよ」

「ここで張り込みましょう」ハロルドが、マーケットの建物をいちべつする。「この町でただひとつの食料庫ですよ。ドローンも飛ばないような地域で、まさかECサイトを使って買い物をするとは思えませんから、リーが現れる可能性は十二分にあります」


 そんなにくいくわけがない。そもそも、リーはカウトケイノでシェアカーを降りただけだ。今もここに留まり続けているのかどうかすら、さだかではないというのに。

 にしても、車で十五時間以上も移動するのはさすがに堪える。エチカは泥のような体をシートに押しつけて──ハロルドを見やると、ゼリーのパウチに口をつけていた。

 アミクスは人間同様、食品を経口摂取できる。とはいえ、彼らの動力源は循環液を利用した発電システムであり、食べ物からエネルギーを生成しているわけではない。あくまでも『人間らしさ』を体現する上でのオプションに過ぎず、口にした物は人工胃の中で分解消滅する。


「戻ったら、あたたかいボルシチが食べたいですね。このゼリーはまずすぎる」

「まずい? 五大栄養素が全部そろってるし、一瞬で食事が終わる。便利だよ」


 エチカがあっけらかんと言うと、ハロルドは分かりやすく眉をひそめた。


「電索官、ひょっとして充電ポートを隠していませんか? 初期型のアミクスのように」

「は? きみこそおいしいだのまずいだの、もう少し機械らしくして」


 ここまでの道のりで得られた確信が、ひとつだけある──彼とはどうあっても仲良くなれない。アミクスというのもそうだが、何より、あまりにも自分とは正反対過ぎる。

 ともかく、とエチカは気を取り直す。次の策を練らなくてはいけなかった。ユア・フォルマを使って、今回の事件のデータを展開する。何か手がかりを見落としていないか。

 ハロルドはといえば、マーケットを出入りする客をじっと観察している。リーが通りがかる確証でもあるのだろうか? いっそそうであって欲しいが、あまり期待できない。

 時間は刻々と流れ落ちていった。窓からじわじわとみ込んでくる冷気が、体の末端から熱を奪っていく。空はほの明るくなり、やがて徐々にしぼみ、町のがぽつぽつと目立ち始める。

 すっかりさじを投げたエチカが、こっくりこっくりと舟をぎ始めた頃。


「電索官、起きて下さい」

「んん、やだ……今日はもうぜったいベッドから出ない……むにゃ……」

「寝ぼけていますね? リーを見つけましたよ」


 何だって? 一瞬で目が覚める──フロントガラスの向こう。マーケットの入り口付近に駐車された青いジープが、視界に飛び込んできた。丁度、運転席のドアが閉じられたところだ。乗り込んだ人間の顔は見えなかった。


「あのジープです。正確にはリー本人ではなく、彼女をかくまっているサーミ人ですが」

「どういうこと?」わけがわからない。「リーがかくまわれているなんて情報はどこにも……」

「間違いありません。私のはご存知でしょう? 信じて下さい」


 信じられるわけがない。ただ単に観察しただけで人種を見抜き、その上、自宅にリーをかくまっているかどうかが分かるはずないだろう──だが論理的な否定を組み立てられるほど、頭が働いていない。そうこうしているうちに、ジープのテールランプが赤く光り、動き出す。


「尾けて下さい。それと、早急にそのよだれをお拭きになったほうがよろしいかと」

よだれじゃないそんなに熟睡してないし、いやそもそも熟睡してもよだれなんて垂らさないし」

「電索官、ジープが行ってしまいますよ」

「ああもう分かってるよ!」もしもこれで見当違いだったら、あとで文句を言ってやる!

 エチカはニーヴァを手動運転に切り替えて、アクセルを踏む。駐車場を後にしたジープを追いかけ、幹線道路へと滑り出す。だが自分たちの他に車はおらず、ついでに見通しがよすぎる。


「丸見えだ、これじゃ尾行にならない……」

「どうせ住民が使う道路は限られています、怪しまれることはありません」


 エチカはあきれた。「このロシア丸出しの車でよく言うよ」


 五キロほど走ったところで、不意にジープが減速する。まもなく、ウィンカーも出さずに左折していった。そのまま、一軒の民家のしきへと入っていき、停車する。

 エチカはえてジープが曲がった道を素通りし、数メートル先の路肩にニーヴァをめた。


「降りてきた」ハロルドがつぶやく。アミクスは視力がいいのだ。「ほら、気付かれていませんよ」


 エチカはダッシュボードの双眼鏡を手にし、ジープを眺める。暗視機能付きスコープのお陰で、はっきりと見て取れる──かなり若い娘だ、自分とそう変わらない。小柄で、くりいろの髪を可愛らしく三つ編みにしている。大きく膨れあがった紙袋を、懸命に抱え上げようとしていた。

 当然だが、ごく普通の女の子だ。リーをかくまっているかどうかなんて分からない。


「で、何であの子だと思った? リーのSNSに画像でも貼ってあったの?」

刊行シリーズ

ユア・フォルマVI 電索官エチカと破滅の盟約の書影
ユア・フォルマV 電索官エチカと閉ざされた研究都市の書影
ユア・フォルマIV 電索官エチカとペテルブルクの悪夢の書影
ユア・フォルマIII 電索官エチカと群衆の見た夢の書影
ユア・フォルマII 電索官エチカと女王の三つ子の書影
ユア・フォルマ 電索官エチカと機械仕掛けの相棒の書影