第一章 ありふれたヒモの日常 ④

 あくびをかみ殺しながら頭の中で明日の予定を練り始める。

 その時だ。

 三階建ての家の間にある路地の辺りからイヤな気配がした。

 腕っぷしはさっぱりだが、冒険者時代から残っているものもある。頑丈に出来たこの体と、勘働きだ。人の気配を察知するのは、散々鍛えられた。わずかに乱れた空気の流れだとか、かすかなきぬれ、筋肉のきしみ、まばたき、そういうものを肌で感じ取る。理屈じゃあない。こいつのおかげで何度も命拾いした。

 おかげでかくれんぼの鬼役には自信がある。特に、相手が殺意丸出しの場合は、だ。

 物取りか、えんこんか。あいにくどちらも心当たりがある。今朝、敬愛すべき姫騎士様より拝領した金子がまだふところに残っている。恨みの方もまあ、それなりだ。女を寝取ってやったやつとか、カードのイカサマを見抜いてやったとか。

 足は止めない。声も掛けない。相手にわざわざ気づいてますよ、と教えてやる必要はない。自殺行為だ。忘れ物を思い出した振りをしてゆっくりと手前でぐるりと方向転換する。

 これでうまく行ってくれればと思ったが、甘い考えだったようだ。

 道ばたに寝転がっていた物乞いがむくりと起き上がった。

 毛布を投げ捨てる。現れたのは三十歳らしき細面の男だった。まばらに生えたひげに青白い肌はえない風体のように見えるが、目つきだけは腐泥のように濁っていた。間違いなく、人を殺した経験のある目だ。革のよろいに手甲、何より手には短剣を握っている。

 続けて背後からも動く気配がした。

 視界の端に映ったのは、路地から背の低い男が身を乗り出すところだった。やはりかわよろいを着込んでいて、やはり手には何かしら武器を握っているようだ。こちらは顔を布で覆っているが、その目にはやはり粘り着くような殺意がこもっている。


「その格好じゃあ寝にくいんじゃないかね」


 俺は細面の男に視線を戻して言った。まだ事態がつかめていません、と精一杯アピールする。


「急ぎなんだ。早く帰らないと、かみさんにどやされちまう。用事なら早くしてくれないか」


 返事はなかった。無精ひげは視線だけを俺の腕やら足やらに注ぐ。俺の話を聞き流しながら隙をうかがっているようだ。


「わかったよ」俺はゆっくりとふところに手を突っ込むと、財布を放り投げた。男の足下にぽとりと落ちる。


「そいつが欲しいんだろう? やるよ。持っていくといい」


 無精ひげが動き出した。大股で近づくと腰をかがめて財布に手を伸ばす。

 その瞬間、背後の男が動き出した。振り返ると、小柄な体でのように飛び跳ねて、俺に短剣を振り下ろす。

 俺は横っ飛びになると自分から寝転がる。石畳の上を転がりながら石を削る刃先の音を聞いた。素早くかべぎわで立ち上がると、今度は無精ひげが襲いかかってきた。短剣を腰の辺りに構え、体ごとぶつかってくる。

 銀色の刃がぎらりと光る。蛇のようにみついてくるそいつを、俺はタイミングを見計らって横に体を滑らせる。鈍い音がした。避けながら横目で見ると、石を積んだ家の壁に短剣が根元まで突き刺さっているのが見えた。無精ひげはいらった様子で壁に足の裏を付け、一気に引っこ抜いた。

 互い違いに積んであった石壁の一部がごとりと落ちる。路上で寝ていた物乞いたちが、関わり合いはゴメンとばかりに逃げ出していく。


「火事だ! 火事だぞ!」


 俺は叫んだ。人を呼ぶにはこれが一番だ。強盗だ人殺しだと叫んでも引きこもって出てきやしない。テメエのケツに火でも付きやしない限りな。

 案の定、あちこちの家からざわつく気配がした。

 笛の音が聞こえた。短い音を繰り返し吹きながらこちらに近づいてきている。街の衛兵が使っている呼び笛だ。

 ちびの目にためらいが生まれた。その隙に二人と距離を取る。呼び笛の音が大きくなってきた。

 無精ひげが悔しそうに舌打ちすると、身をひるがえし、路地の奥へと走り込んでいく。ちびもその後を追いかける。遠ざかっていく足音を聞きながら俺は壁に背を預けて座り込み、ため息を吐いた。入れ違いに二人の衛兵が走ってきた。どちらも灰色のかぶとにプレートメイルを付けている。中にはチェインメイルを着込んでいるので動くと金属のこすれる音がする。

 四十男のちょびひげと、二十歳くらいの色黒だ。名前は知らないが、何度も見かけている。


「またお前か」


 ちょびひげの方が面倒くさそうに顔をしかめる。この前、酔っ払ってやっこさんの足にゲロぶちまけたのをまだ覚えているようだ。


「どうした? 何があった」


 色黒が聞いた。特徴のあるダミ声なので、記憶に残っている。


「たいしたことはないよ」


 俺は肩をすくめた。


「どうやら俺を大劇場の役者と勘違いしたらしくってね。金髪の女が腹を出しながらここにサインしてくれってせがんできたんだよ。今、誤解が解けておなかしまいながらあっち行ったところ。もし見かけたら伝えてくれる? 寝冷えしないように腹巻きした方がいいって」


 色黒が露骨に顔をしかめる。


「さっき火事だと叫んだのはお前か?」

「さてね」


 ちょびひげの質問に、白々しくすっとぼける。偽りの通報をしたと因縁をふっかけられてろうにぶち込まれたくはない。衛兵どもは街中の警備や防犯、犯罪の取り締まりなんかも手がけている。まあ、仕事ぶりはこの街の惨状を見ればお察しだ。


「さっきそこで路上の紳士方がお盛んのようだったからね。色々と燃えたんじゃないかな」


 ちょびひげ殿はそこで興味をなくしたように顔を背けた。酔っ払いのごととでも思ってくれたようだ。事実、酒も入っている。


「さっさと行け」

「はいよ」


 俺は立ち上がると背中のホコリを払い、石畳に落ちていた財布に手を伸ばした。


「いや、これ俺のだから。さっき落としたの。本当に」


 衛兵諸君からとがめるような視線を感じたので弁明する。突っ込まれる前にふところにしまい込むと、背を丸めて走った。


 俺たちの家は、北側の上流地区にある。ご近所さんは貴族の別邸やら大商人のしきばかりだ。当然、付き合いはない。

 家は石造りの二階建てだ。壁を白く塗っていて、年季は入っているがはたにはキレイに見える。門はない。背の低い石壁に囲われている。周囲の家に比べるとこぢんまりとしているが、居心地は悪くない。もちろん姫騎士様の地位と名誉と稼ぎがあっての話だ。俺じゃあ金があっても門前払いが関の山だ。彼女にとっては使用人の家みたいなものだろうが、不平不満を漏らしたことは一度もない。

 鍵を開ける。しよくだいのロウソクに火を付けると、ほのかな明かりが玄関を照らす。

 入ってすぐに二階へ上がる階段と奥へ続く通路が伸びている。脇の扉は離れの倉庫と便所へと続く。通路の先には台所と食堂。といっても姫騎士様は料理なんてなさらない。俺も一人だと外で済ませることが多い。南に行けば冒険者相手の飲食店が軒を連ねている。アルウィンは『迷宮』に潜ったばかりなので、当然今日は外で済ませてきた。

 料理をするのは彼女がいる時だ。特に『迷宮』から帰還した時なんかは手料理を振る舞うようにしている。予定外の運動に小腹は空いたが、パントリーをあさる気力もなく階段を上る。

 二階は三部屋。アルウィンの寝室と俺の寝床、そして物置部屋兼武器庫。『迷宮』では珍しい武器やら鉱石が見つかる。たいていは売りさばいてしまうが、その一部がここにおさめられている。鍵は姫騎士様が保管している。以前、知り合いの故買屋に横流ししたのがばれて以来、俺は立ち入り禁止だ。

 自分の部屋に入る。木窓のついた部屋にはベッドとイス。床には今朝脱いだばかりの服が落ちている。朝になれば洗濯屋が回ってくるからそいつに頼めばいい。イスの上にしよくだいを置くとベッドに倒れ込む。今日は疲れた。さっさと寝ちまうに限る。アルウィンもいないからご奉仕の必要もない。目を閉じるとすぐに眠気に包まれた。


 目を開けるとまだ真っ暗だった。外の空気や窓の隙間から差し込む光の具合から察するにまだ夜明け前だろう。昔から寝付きはいい方だ。特別なご奉仕でもなければ、朝までぐっすりなのだが、目が覚めたのは階下で物音がしたからだ。目を閉じ、耳を澄ませる。やはり家の前に誰かがいる。俺の知り合いはこの家には来ないし。そもそも来客って時間ではない。

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