地球篇
1-2 西暦3068年、滅亡の日(科学者は円環の夢を見るか)
西暦3068年。滅亡の日は静かに訪れた。
同僚のウィリアムと共に計器のスイッチをテキパキと入れていく。老人たちの前だというのに、ウィリアムは不満を隠さない。
「どうもバカバカしい事態になったな」
「ああ、まったくだ」
今、俺たちの目の前にはタイムマシンがあった。試験運転は既に済んでいる。
「なあ、オーサー。未来は変わると思うか?」
「変わらない。何度試しても変わらなかった。だからもうこうするしかない」
「何だっけ。ええと……」
「〈これで歴史は完成する〉」
「そうそう。お偉方の考えていることはわからんぜ」
おほん、とウィリアムの非礼をとがめるかのような咳払いが室内に響く。
やがて被験者が連れてこられる。ひとりは男、ひとりは女。女は半分正気を失っているようだ。
「私はゾンビよ。人間じゃないわ、放して」
と、金切り声で叫んでいる。
女の発言に係員が駆け寄り、検査用のペンライトで女の瞳を照らす。確認が終わると、係員は首を横に振った。
「オールグリーン。新人類化の傾向、ありません」
なおも暴れる彼女に老人のひとりが声をかけた。
「ミス・ウォーカー。申し訳ないが決定は変えられない。あなたは過去へ行く。そこにいるミスター・スコットと共にね。始めてくれ」
タイムマシンのエンジンがようやく暖まり、ウィーンと駆動音が部屋中に響く。
男はすでに抵抗する気力もないようで、タイムマシンの座席におとなしく乗り込んだ。
十分後、麻酔で眠らされた女が男の横に安置される。
「座標、設定しました。転送を開始します」
合図を機に、俺を含む職員全員がサングラスをかける。新人類の瞳は光に弱い。サングラスは必須だ。
やがてまばゆい光が部屋中に広がり、タイムマシンが機器ごと姿を消した。
座標は二百万年前のアフリカ。人類誕生の地である。
「やれやれ。これでアダムとイブは誕生せり、か」
ウィリアムは煙草に火をつけた。
ミス・ウォーカーとミスター・スコットは最後の人類である。
新人類(旧称ゾンビ)の人口率が九割を超え始めた頃から、旧人類はバタバタと死んでいった。新人類の発する
旧人類最後のふたりを死ぬ前に昔の地球に送り届けることは、新人類のせめてもの罪滅ぼしとも言える。
残念ながら俺たち新人類には繁殖能力はないから、土星まで生存圏を広げた新人類も、旧人類が死に絶えることで、あと百年かそこらで絶滅することになる。
これで全てが終わる。いや、終わりじゃない。口からこぼれ出たのは老人たちが好むあの言葉だ。
「永劫回帰だ」
「エイゴウカイキ?」
「古人の思想さ。世界は円環の如く回りゆく。故に終わりは来ない。お前がここで煙草をくゆらせるということも、あらかじめ決まっているのさ。タイムマシンを使っても過去を変えることはできなかった。世界は回り続けるんだ――永遠に」
「メリーゴーランドみたいに?」
「そう。メリーゴーランドみたいに」
右手を差し出し、ウィリアムに煙草をねだる。
「吸うのか? 珍しいな」
「……いや。やっぱりやめておく」
「疲れてるんだよお前。さっきから小難しいことばかり言いやがって。あとで一杯やろうぜ。あ、わかった。あの人間たちのことを気にしてるんだろ? 大丈夫、あいつらも今頃よろしくやっているだろうさ。新鮮な空気と新鮮な水に囲まれて」
新鮮な水? ああ、おそろしい。新鮮な水は新人類にとって劇薬に値する。半ば反射的に肩をすくめた。
気分転換に空を眺める。空はいつも通りそこにあって、体の強張りをほぐしてくれる。
地球。母なる星。俺たちの故郷。
「美しい空だ。火星の空もいいが、やはり地球の空が一番だな」
実験の成功を祝福するように、研究室の外は雲ひとつない紫色の空だった。
新人類の瘴気によって紫色に染まった空だ。
しかし、もう誰もそれを気にする者はいない。新人類の瞳は深紅色だ。地球が青い空だった頃から、俺たちの見る空の色は紫色なのだから。