地球篇

1-3 西暦2315年、滅亡まで753年(スクールカウンセラーは嘘をつく)


 西暦2315年6月。インターホンを鳴らし、反応を待つ。この仕事についてから何年も経つけれど、この瞬間にはいまだに慣れない。


「どちら様ですか」


 見知らぬ中年男性の姿を不審に思ったのか、インターホンから流れ出る声はとげとげしい。


「スクールカウンセラーの只野健ただのけんと申します。息子さんのはじめくんのことでお話が」


 

 音もなくドアが開く。中に入れということらしい。

 家に足を踏み入れると、独特の香りが鼻をついた。ビンゴ、と心の中でつぶやく。二十四世紀現在、青少年の不登校の原因のほとんどがゾンビ化あるいはゾンビ化に起因するいじめなのだ。


「他の家族は何ともないんです。どうして一だけが……」

「お母さん、あまり気を落とさないでください。一くんと話をしても?」


 一の母親が階段を指さした。こども部屋は二階にあるらしい。


「私は一階のリビングにいますので」


 それだけ言うとそそくさと母親は立ち去った。親の愛も、ゾンビの放つ腐臭の前には無力のようだ。


「一くん。私はスクールカウンセラーの只野といいます。入ってもいいかな」


 ドアの向こうで息をのむ気配がした。がさごそと物音がする。だが、ドアは開かれない。何度か呼びかけたが応答はなかった。今日も長丁場になるのだろうか。覚悟を決めようと深呼吸した時、蚊の鳴くような小さな声がした。一の声だ。


「……でも、僕、臭いよ?」

「大丈夫さ」


 身をのりだして階段の下をのぞきこみ、母親がいないことを確認し、会話を続けた。


「実はおじさんもゾンビなんだ」

「本当!?」


 一の声に希望の光が灯り、ドアが開かれる。


 一のゾンビ化は相当進んでいるようで、瞳はすでに深紅色に変わっており、鼻は腐敗して陥没していた。


「ひとりでよく頑張ったな。まだ十歳なのにエライぞ」


 一の目からぽろぽろと涙がこぼれる。こども部屋の中は荒れ果てており、壁紙がところどころはがれていた。おそらく一が食事代わりに食べたのだろう。異食はゾンビの能力のひとつだ。

 一を安心させるためにあえて口を大きく開けて笑った。ゾンビ特有の歯がぎらりと光る。次はコンタクトだ。一と同じ深紅色の瞳が現れる。


「僕と同じだ」


 人恋しかったのだろう。弾かれたように一が俺の胸に飛び込んできた。泣きじゃくる一を抱きしめながら、部屋の様子をさりげなく観察した。部屋の片隅に黄色い液体が入ったペットボトルを見つけてしまって胸が痛む。一がトイレ代わりに使用したものに違いなかった。


 一が泣き止むのを待ってから、慎重に尋ねる。


「お母さんは君が部屋の外に出るのを嫌がるかい?」


 ゾンビになった我が子の現実が認められずに部屋に閉じ込める親は多い。場合によっては通報しなければならなかった。

 例のペットボトルを指さすと、一は激しく首を横にふった。


「ううん! 違うよ。お母さんはそんなことしない。だけど、僕嫌なんだ……」

「嫌?」

「だって、トイレの側に鏡があるでしょ」

「ははあ。自分の姿が怖いんだな? わかるよ。おじさんもそうだった」


 一の額を軽く小突くと、一がくすりと笑った。こういう時、自分がゾンビでよかったと思える。

 銀色のアタッシュケースを開け、道具を取り出した。防腐処理用エンバーミングの道具だ。

 最悪の事態は免れそうで気分は軽い。

 シリコンでできた偽物の鼻を一に見せながら言った。


「今からおじさんは魔法を使うよ。しばらくの間、目を閉じていなさい」


 テキパキと防腐処理をほどこした。顔面の修復が終わったら、次は目だ。初めてのコンタクトに怯える一をなだめすかしながら、コンタクトをはめる。最後は消臭スプレーだ。医療用と異なり効果が薄いが、これは仕方ない。俺は医師じゃないから、できる処置に限りがあるのだ。


 一にまた目を閉じるよう促し、一をおんぶしながら階下の洗面台に向かった。


「さぁ、目を開けてご覧」


 一が恐る恐る目を開け、鏡に映った自分の姿を見て歓声をあげた。


「やった! 人間の頃の僕だ! おじさん、ありがとう!」


 一の元気な声を聞きつけ、母親が姿を現す。

 母親は一に駆け寄り、きつく一を抱きしめた。言葉にならない嗚咽が母親ののどから漏れる。


「おじさんがね、魔法を使ってくれたんだよ」


 一は嬉しそうに母親を抱きしめ返した。


「簡単な防腐処理を施しました。一時しのぎではありますが……あとできちんとした病院で診察してもらってください」


 鏡に映った自分を見てめまいがした。コンタクトを外したままだ。急いで二階にあがり、コンタクトをつける。


 一階に戻ってから己の正体を隠していたことを一の母親にわびたが、彼女は怒らなかった。


「一くん。おじさんはお母さんとお話があるから、ちょっと自分の部屋に戻っていてもらえるかい?」


 それから一時間、教本の〈はじめてのゾンビ生活〉を交えて、ゾンビ生活についての基本事項を母親にレクチャーした。

 


「以上です。質問等ございますか?」


 はっと母親が息を呑むのがわかったので、自分にかけた消臭スプレーの効果が消えたのではないかとヒヤヒヤした。だが、そうではなかった。母親は深呼吸をすると、期待と不安がないまぜになった目をして問うた。


「ゾンビとなった一に、この世を生きていくすべはあるのでしょうか」


 正直に言うならば答えは「ノー」だろう。

 ゾンビの人権擁護運動が盛んになりつつある現代でさえ、ゾンビの就職先を探すのは容易ではない。ホワイトカラーの仕事につける者は限られており、大半は工事現場やごみ処理施設での肉体労働に従事することになる。俺自身、今の就職先に決まるまでだいぶ苦労したのだ。


 けれど、俺は嘘をつく。こういう質問に対してはいつだってそうだ。

「私をご覧ください。大丈夫、ゾンビでも立派に生きていけますよ」、と。

 こどもたちが自ら命を絶たぬように。前を向いて歩けるように。


「そうですね……そうですよね」


 母親が己に言い聞かせるようにうなずいた。


「最後に、一くんにあいさつしてから帰りますね」


 一の部屋をノックすると、目をきらきらさせた一が飛び出して来た。少年の手には原稿用紙が一枚。どうやら宿題の作文をしながら、話が終わるのを待っていたようだ。


「見て、おじさん。やっと書けたよ」


 作文のタイトルは「将来の夢」。書き出しはこうだ。


 僕の将来の夢はスクールカウンセラーです。

 大きくなったら僕みたいにゾンビになって困っている人を助けるお仕事がしたいです、と。

刊行シリーズ

はじめてのゾンビ生活の書影