地球篇

1-8 西暦2319年、滅亡まで749年(被験者の平凡なる一日)


 西暦2319年、フロリダ州立ゾンビ感染症センター。

 被験者であるジョージは妻であり担当医でもあるクラリスの話に耳を傾けた。


「夢みたいよジョージ。あなたがゾンビになるなんて」

「夫がゾンビになって喜ぶのは君くらいだろうね、クラリス」

「だって思う存分研究できるもの。さぁ、口を開いて」


 

 時刻は朝の十時。実験開始だ。

 ジョージは腹筋に力を込め、今日の試練に立ち向かう覚悟を決めた。


「健康状態に変わりはないみたいね。じゃ、始めましょ」


 クラリスがテキパキとジョージをしていく。


 まずは目玉だ。

 医療用ゴム手袋をつけたクラリスが要領よく目玉を取り出す。

 ビチビチとはねる目玉をクラリスはそっとビーカーの中に入れた。机の上に置いておくと転がってしまい地面に落ちてしまうからだ。


 次は鼻だ。

 シリコンでできた偽物の鼻を取り除き、鼻周辺の腐敗具合を確認する。


「ちゃんと防腐剤が効いているみたいね。素晴らしいわ」


 新薬の効果が立証されクラリスは満足気だ。


 その次は腕だ。

 クラリスがジョージの腕の付け根をぐるぐる回すと、腕がすぽんと抜けた。血が噴き出ることはない。ゾンビの血の粘度は人間よりはるかに高い。外気にさらされるとすぐに凝固するため、出血で死ぬ心配はなかった。


「次は下半身を検査しましょう」


 クラリスがジョージのパンツを下着ごと引きずりおろす。目玉も腕もないジョージには抵抗する術がない。クラリスの息が彼の男性器のあったところにかかり、ジョージは恥ずかしかった。ゾンビには生殖機能がない。必要がなくなったあそこは真っ先に腐って体から抜け落ちてしまうのだった。


「男性器に再生の兆候なし、と」


 クラリスがペンを走らせる音が無情にも部屋に響いた。


「クラリス。目を戻してくれないか。限界が近い」


 ジョージの眼窩がんかが疼き、限界を彼に知らせた。クラリスが慌てて目玉を元の場所にはめ込む。


「目玉の分離は二十分が限度、と」

「……ついでに腕も戻してくれるとありがたいんだが、ハニー」

「そうね。そうしましょう」


 実験開始から一時間後、ジョージはようやく元のゾンビ姿に戻った。

 鏡で全身をくまなくチェックするジョージ。今回の実験も無事切り抜けることができ、ジョージは神に感謝した。


「あらヤダ、もうこんな時間? 私行かなきゃ。ジョージ、実験器具の片づけお願いしてもいいかしら」


 クラリスの外出はジョージにとっての休息を意味する。ジョージはホッとしながら答えた。


「もちろんだとも。学会かい?」

「違うわ。死刑に立ち会うのよ」

「……は?」

「なかなか死なないゾンビをあの手この手で殺すのよ。楽しみだわ」


 ついにこの時が来たか、とジョージは思った。

 近年、ゾンビによる凶悪犯罪が激増している。その中には死刑に処せられる者もいる。


 しかし、ゾンビをどうやって殺すか?これが問題なのである。


 ゾンビは酸素がいらない。絞首刑では殺せない。

 ゾンビの消化機能は強い。毒薬では殺せない。

 ゾンビは電流にも強い。電気椅子では殺せない。


「今日はギロチンを試すの。頭と胴体が分断されたゾンビが何分で死ぬのか楽しみだわ」


 花も恥じらう乙女のように頬を薔薇色に染めたクラリスが、ジョージにそっと秘密を打ち明ける。


「ええと……君は……そう、素晴らしいアメージング


 称賛とも皮肉ともつかない言葉をジョージは口にしてしまったが、クラリスは前者と解釈したようだ。


「ありがとう、そう言ってくれて。私恵まれているわ。だって、あなたという理解者が常に側にいてくれるのだもの。愛してるわジョージ」


 そう言うと、クラリスはジョージに抱き着いた。彼が人間だった頃と同じように。


「君はズルイな。僕も君を愛すよ。永遠にね」


 白衣を血まみれにして笑うクラリスをジョージは愛おしく思った。

 配偶者がゾンビになった途端離婚届を突きつける人間は多い。そう考えると自分は恵まれているのだ、とジョージは実験に伴う苦労を忘れ、幸せな気分に浸った。


「さぁハニー。白衣を着替えてから出かけるんだ。身だしなみは大切だからね」

「わかったわ。夕飯は一緒に食べましょう。約束よ」


 新しい白衣に身を包んだクラリスが颯爽と出かけるのを、ジョージは誇らしげな思いで見送ったのだった。

刊行シリーズ

はじめてのゾンビ生活の書影