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「……そ、そっちが来ちゃったら、意味ないダロ!」
 というのが、ログハウスで助けを求めていたプレイヤーの、第一声だった。
 約九十秒前──。
 小型竜巻に呑み込まれた俺とアスナと犬は、いったん空飛ぶログハウスの屋根の上まで飛ばされたあと、隅に口を開けていた煙突に一列になって吸い込まれた。狭く暗いトンネルを抜けた先は、白木の板で仕上げられた広いリビングルームで、お尻から着地した俺たちの前には、愕然とした表情の女性プレイヤーが一人立っていた。
 びっくり仰天な展開に停止した頭をどうにか再始動させ、俺は床に座ったまま、先客の顔をまじまじと見た。驚いたことにそれは大変よく見知った顔だったのだが、改めて驚愕を表現するほどの元気は残っていなかったので、とりあえず挨拶してみた。
「こんちわ。久しぶりだな」
 それに対する応答が、先の叫び声だった、というわけだ。

 何はともあれ、まずは情報交換を。
 という俺の提案に、女性プレイヤーは肩を落としつつ同意し、リビングの床に据え付けられた丸テーブルを右手で示した。俺と、犬を抱いたままのアスナが並んで腰を下ろしてから、彼女も大きく距離を取って反対側に座る。
 このへんで、アスナもようやく平常モードに復帰したようで、俺と共通の知人である女性プレイヤーに会釈した。
「ご無沙汰してます、アルゴさん」
「……ハロー、アーちゃん。ついでに、キー坊も」
 微妙な表情のままひらりと手を振るプレイヤーのほっぺたには、左右三本ずつのヒゲ模様がくっきりペイントされている。デスゲームが開始されてからの約二年、いやベータ時代を含めればプラス一ヶ月、このフェイスペイントを貫き通した彼女の名は《鼠のアルゴ》。アインクラッド最高の腕を持つ情報屋だ。
 俺やアスナとはゲーム初期からの付き合いで、数え切れないほどの回数、情報を売ったり買ったりしている。それ以外にも、なんだかんだ助けたり助けられたりこそすれど、明確に敵対した憶えはない。だから、今更こちらを警戒するようなアルゴの態度は腑に落ちないのだが、とりあえず今は脇に置いて、本題に入る。
「────で。アルゴ、これはいったい何なんだ?」
 これは、のところで右手をぐるりと動かし、現在も絶賛飛行中のログハウス全体を指し示しながら訊ねると、情報屋は金褐色の巻き毛の奥で両眼をぱちぱち瞬かせた。
「何って、ここまで来ちまったからにはキー坊も受けてるんダロ? クエだヨ、クエスト!」
「あ、ああ……まあ……」
 アスナの胸に抱かれてうとうとしているワン公をちらりと見ると、頭上の?マークはいまだ点灯中だ。それはつまり何らかのクエストが進行中である、ということなのだが──。
「でも、明確にクエを受けたって言うよりは、巻き込まれたって感じなんだよな……」
 俺が言うと、アスナもこくりと頷く。
「そうよね。わたしがこの子を抱き上げたら、それだけでこのお家まで飛ばされたんだもん。何ていうか……誰かがやりかけで放置してたクエストを拾っちゃった、みたい……な……」
 そこまで言ったところでぴたりと口を閉じ、俺と顔を見合わせる。彼女が何を考えたのかは、俺にも即座にピンと来た。
 《誰かがやりかけで放置したクエスト》が今の状況をもたらしているのならば、その誰かとは目の前にいる鼠のアルゴ以外には有り得ないではないか。
 同時にびゅんっと向けられた俺とアスナの視線に、アルゴは観念したように首を縮め、言った。
「…………最初っから、説明するヨ」

 ──最近、アインクラッドの低層フロアに、おかしな新規クエストが幾つか発生してるって情報をキャッチしたんダ。倒しても倒しても復活する覆面オーガとか、回転ジャンプしたり火ぃ吐いたりするトータスとか、呪いのメッセージウインドウから這いだしてくる白い服の女アンデッドとかナ。

 ──こちとら、《全クエスト必勝ガイドブック》を発行してる手前、新規クエストはすぐに情報取らなきゃならないんダ。だから一昨日、オレっちは新クエの噂があるこの二十二層南西エリアに調査に来て、首尾良くクエ開始ポイントを見つけたまではいいんだけど、クエの内容にちょっと問題があってナ。ストーリー進行に必須のキーキャラを連れずにこの家に飛び込んだら、家がいきなり竜巻に巻き上げられて、ビックリしたのなんのだヨ! それから二日、ずーっとこの空飛ぶ家の中で、誰かがクエをリセットしてくれるのを待ってたってわけなんだヨ。

 そこまで説明し、アルゴはやれやれとばかりに両手を広げた。
 《クエストのリセット》とは、進行中のまま長時間放置されたクエストを、メニュー操作によって初期状態に戻す操作のことだ。SAOでは、他のプレイヤーと同時には受けられないクエストも少なからず存在するので、そういう機能が用意されている。もちろん、クエストの開始点となるNPCに近接していなければならないが。
 つまり、あの杉の木の下で《トト》という名のワンコロを発見した時点で、頭上の?マークに気付いてメインメニューのクエストタブを開けば、そこにはリセットボタンが存在した──かもしれないのだ。しかしこうして進行中クエに乗っかってしまった今、俺にもアスナにももうリセットはできない。
「……まあ、状況は何となく理解したけど……まだあちこち謎だなぁ。アルゴ、さっき言ってた、『クエの内容に問題』って何のことだ?」
 俺が当然の疑問を口にすると、情報屋は再び例の微妙な表情を作り、アスナの……正確にはアスナの腕で眠る小型動的オブジェクトをちらちら見た。
「そ、それはだナ……オレっちにも得意なものとそーでないものがあるっていうかだナ……」
「ああ、そういうこと! アルゴさん、犬が苦手なのね!」
 途端、アスナが笑顔でばっさり看破したので、情報屋は両頬の三本ヒゲをきゅっとすぼめた。
「し、仕方ないダロ、こればっかりは初期ステータスなんだカラ! そういうアーちゃんだって、アストラル系Mobが苦手って情報聞いてるゾ!」
「あ、あれはオバケでしょ! オバケが怖いのは当たり前じゃない。でもワンちゃんは可愛いわよ? ほら、抱いてみれば?」
「や、ヤメロ! そのまま寝かせとケ!」
 ──などと非常に仲の良さそうなところを見せるアルゴとアスナを放っておいて、俺はしばし考えた。
 アルゴは(《鼠》のくせに)犬が苦手で、その犬の頭上に進行中クエマークが点灯しているということは……。
「ははぁ、なるほどね。アルゴ、あんたクエストを開始したはいいけど、キーキャラが犬だったもんだからAGI全開ダッシュで逃げて、この家に飛び込んだらクエが進んで空に飛び上がって、でも犬が家に入れなかったもんだからクエが進行停止しちゃって、空飛ぶ家に二日も閉じ込められてた……ってわけか。ハハハ、あんたも色々楽しい経験してるなあ。そのうち、経験談を『アルゴの大冒険』みたいな本にすれば儲かるぞ」
 俺が笑いながら言うと、鼠は一瞬「儲かるカナ?」みたいな顔をしてから叫んだ。
「笑い事じゃないゾ、キー坊! こうなっちまったからには、オマエとアーちゃんもこの家で当分スタックなんだからナ!」
「大げさだなぁ、いざとなったら転移結晶でどこの街でも飛べばいいじゃないか」
 そう切り返し、もう一度笑おうとしたところで──アルゴとアスナが、同時に妙な顔をした。ちらりと目配せしてから、代表してアスナが口を開く。
「……あのね、キリトくん。アルゴさんも、それを試してないわけがないと思うの」
「へっ?」
「クエストにもよるけど、こういう強制イベント中って、たいていテレポート禁止なのよね。でしょ、アルゴさん?」
「モチのロンだヨ!」
「…………マジで?」
 遅ればせながら冷や汗を滲ませる俺に、アルゴはやれやれという顔で頷き返した。
「ま、最後の手段として、窓から飛び降りて地面に激突する寸前にテレポートって手がなくもないケド……ちょっと試す気にはならないナー」
「お、俺もならないナ……」
 窓の外に広がる空を一瞥し、今更な思考を巡らせる。
 そもそも、このクエストはいったい何なのだ。森で犬からクエを受けて、そいつと一緒に家に入ったら、竜巻で家が飛ばされる? この時点で、ストーリーに脈絡がなさ過ぎる。SAOゲームサーバーの運営は、もう開発企業であるアーガスの手を離れているはずなので、クエストシナリオを書いたのはアーガスのスタッフではあるまい。ならばいったい、誰がこんな不条理な展開を考えたのか。そして、GMコールが機能しない今、どうやって俺たちはこのスタック状況から脱出すればいいのか……。
「…………って、いや、待てよ」
 俺の言葉に、トトの頭を撫でていたアスナと、そちらに警戒の視線を向けていたアルゴが同時に顔を動かした。
「このクエストがスタックした理由が、犬……トトを地上に置いて来ちゃったことなら、それはもう解消されたわけで……。──ってことは、クエスト、進行再開してるんじゃないのか……?」
「あっ……!」
 アルゴが指をぱちんと鳴らし、素早すぎる身のこなしで近くの窓に駆け寄った。地面を見下ろすや、叫ぶ。
「う、動いてるゾ! っていうか、もうすぐ着地しそうダ!」
「ほ、ほんと!? 良かった、暗くなる前に帰れそうね」
 アスナも窓に向かいながら、ほっとした顔でそう言ったが、俺はそこまで楽観的になれなかった。予感、と言ってもいい。
 家を丸ごと空に飛ばすなんて、クエストの導入としては相当に大掛かりだ。ここまで派手な始まりかたをしたストーリーが、そう簡単に終わるとは思えない。恐らく、あっちに行って何を探し、こっちに行って誰を助け……という展開がひたすら続いてしまうのではないか。だいいち、クエストを頑張ってクリアしたとして、このログハウスがもとの売り家に戻ってくれる保証はないのだ。となると、俺はアスナといったいいつ結婚でき…………
「ウッ」
 俺は低く呻き、アスナ(の腕の中の犬)から微妙に距離を取っているアルゴの小さな背中を見やった。
 彼女は古い友人だが、俺とアスナの結婚を事前に悟られるわけにはいかない。バレたが最後、新聞《ウイークリー・アルゴ》にドーンと記事を載せられ、俺はアスナファンクラブの面々に呪い殺されてしまう。
 となれば、長々とクエスト攻略に付き合うのは危険だ。速攻クリアして、《鼠》の嗅覚が何かを察知する前に「おつかれ!」と言わねばならない。
 俺が決意とともに腰を上げたのとほぼ同時に、ログハウスがずずーんと重々しい音を響かせて、どことも知れぬ場所に着地した。

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