キネマ探偵カレイドミステリー


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 嗄井戸高久(かれいどたかひさ)がいつぞや言ったことがある。

「一八九四年、最初の映画と言っても過言じゃない『キネトスコープ・エジソン』が開発された。これは小さな箱にレンズがついた奇妙な代物でね。万華鏡を想像して貰えるといいかな。その箱を覗き込むと、そこには人がくしゃみをする映像や、鍛冶屋が仕事をしているところの映像が映像が観られたんだよ。映像としては余りに短く、余りに淡泊なそれらは、連日長蛇の列を作り、人々の目を楽しませることになる。おかしいと思わないか? その小さな箱から目を離せば、フルカラーの世界が広がっていて、もっと複雑な動きをした人間たちが歩いているのに。どうして人はキネトスコープに夢中になったんだろうか?」                                                              

「物珍しかったんだろ」

「確かに最初はそうだったかもしれない。でも、これ以後も映画は発展を続け、今なお多くの人間を魅了してやまない」

 そのときの嗄井戸は妙に饒舌だった。

「偉大なるヒッチコックは言った。映画は人生のつまらない部分を切り取って、面白い部分だけを繋げたものだ、と。それじゃあ、現実は映画を超えられないんじゃないのか? 人生の喜びも悲しみも、本当は映画に敵わないんじゃないのか? 映画より鮮やかな人生なんて、存在しないんじゃないのか?」

 俺はその頃まだそんなに映画に入れ込んでいなかったので、嗄井戸の言葉も何となくでしか聞いていなかった。嗄井戸は随分映画が好きなんだな、と、感想なんてそのくらいである。

 嗄井戸はソファーで依然として何か考え込んでいる風だったので、こっそり冷蔵庫から嗄井戸のプリンを抜き取って食べようとしたのだが、それについては目敏く「ちょっと、何で勝手に食べようとしてんの?」と言われてしまった。

「なんか映画観てればそれで十分的なこと言ってたから、別にプリンくらい良いかと」

「曲解が過ぎるだろ、それ」

「そもそもこのプリン結構前から冷蔵庫にあったじゃん。要らないんだろ?」

「君に取られると思ったら今食べたくなったんだよ、今」

 そこから先はプリンを寄越すだの寄越さないだのでお互いにぎゃーぎゃー言うことになり、結局センチメンタルなムードなんて欠片も無くなってしまったのだが、意外なことに、俺はこの嗄井戸の言葉をたまに思い出す。

 現実より映画の方が素敵で素晴らしいなんてことは、本当にあるんだろうか? と。