「ねえ、ちょっといいかな?」
見ず知らずの女の子に声をかけられた。
駅前にある小さな本屋で、お気に入りの作家の新刊を探していた時のことだ。
緊張しているのか、どこか鋭く、それでいて硬い声だった。
「あの本を取って欲しいんだけど、お願い出来ない?」
彼女の細い指先が、本が詰め込められた棚の最上段に向けられる。けれど、いろんな色のカバーが神経質そうに並んでいて、指をさされただけではどれだか分からない。
「どの本?」
「背表紙が水色のやつなんだけど」
「あ」
見つけるのと同時に、声を上げていた。
それは僕が今まさに探していた本に他ならなかったからだ。彼女の言葉通り、水色の本がたった一冊だけ、新刊コーナーではなく棚の中に収まっている。
「台ならそこにあるから」
僕の様子に気付くことなく、女の子はさっき棚をさした指を端に置いてあった踏み台へと向けた。僕の視線も指を追いかけ、棚から踏み台へ移る。
それから再び女の子の方へ。
ショートの髪が耳に少しかかっている可愛い子だった。身長は僕と同じくらいだろうか。いや、もしかしたら僕よりも少しだけ高いかもしれない。取ろうと思えば、自分で出来るはずだ。
そうしない理由は、彼女の服装にあった。
ミニスカートをはいているのだ。
こんな恰好で高いところに上がれば、何かの拍子にスカートの中を覗かれることもあるだろう。なるほど。女の子はいろいろと気を付けないといけないことが多いらしい。
言われるがままに踏み台を移動させ、水色の本に手を伸ばす。少しだけ背が足りなくて、背伸びをする。そうしてようやく指先が、真新しいつるんとしたカバーに触れた。作者の二年ぶりの新刊だ。それが今、手の中にある。しかし。
いくらかの複雑な想いを胸に抱きながらも、ようやく手にした本を女の子に渡した。
「ありがとう」
彼女は受け取った本を大切そうに胸に抱きかかえた。
「どういたしまして。その作者の本、好きなの?」
「うん」
「実は僕もなんだ」
出来るだけ卑屈にならないように気をつけたつもりだったけれど、声に混じった若干の不純物に今度はどうやら気付かれてしまったらしい。女の子の顔が少しだけ曇った。
「もしかして、あなたもこの本を探していたの?」
「まさかあんなところにあるとは思わなかった」
「わたしも見つけられなくて店員さんに聞いたの。そうしたら一冊だけ残ってるはずだって」
「なるほどね。でも一冊だけなのか。残念。仕方ないから別の本屋で探すことにしよう」
僕は笑いながら嘘をついた。
ここにくる前にすでに他の本屋は全て確認済みだ。
全滅だった。
僕の住んでいるような田舎町では、なんとか賞受賞とか、映画化決定とか、何万部突破とかの箔がついたものでもない限り、たとえ新刊といえども、ほとんど入荷してくれない。発売日ならさすがに買えるだろうという甘い考えで予約を怠った僕が悪いのだけど。
諦めるしかないんだろうな。
肩を落とし、出口に向かう僕を、
「待って」
彼女がなぜだか呼び止めた。
「え?」
「もしよかったら、この本貸してあげようか? わたしが読んだ後でいいなら、だけど」
「どうして?」
「本が好きだから。少しでも早く読みたいっていう気持ち、分かるもの」
どう答えたらいいのか分からないでいる僕を見て、彼女は途端に恥ずかしそうに顔を伏せた。えっと、余計なお世話だったら、ごめんなさい。今にも消え入りそうに彼女の言葉に、僕を呼び止めるのにどれだけの勇気が必要だったのかが分かる。
不意に胸が熱くなり、自然と頭が下がっていた。
「いや、ありがとう。嬉しいよ。僕は瀬川春由。よろしく」
僕の言葉に彼女はほっと息を吐き、とびきりの笑顔を浮かべた。
「うん。よろしくね。瀬川くん。わたしは、椎名由希」
中学二年を終えたばかりの春のこと。
こうして僕は椎名由希と出会った。