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街の名前はシェリオロール。その国の首都から遠く離れた辺境に位置する開拓移民の街。人口は七〇五人。農業と金の採掘が主な産業で、移動手段は馬。遠からず蒸気機関が開発される技術水準にあり、最も殺傷力の高い武器は回転式拳銃。
ヨキは報告書に記載する内容を頭のなかでまとめながら、人通りの少ないメインストリートを歩く。両手は荷物でいっぱいだ。
翌日は旅の準備に費やされた。
日持ちのする干し肉と、山の寒暖差に対応するための衣料を、時間をかけて選んだ。アリスの体格を考え、荷物の総重量をコントロールする。背負った荷物の重さが一日に歩ける距離を決めるといっても過言ではない。
安宿に戻ると、シュカが、机の上に地図を広げていた。シェリオロールの人々が使う地図はユヒテル山脈以北が空白になっている。そのため、先住民が残したものを使っていた。縮尺の精度は低いが、ユヒテル山脈も存在しているし、特徴もとらえてある。
「いけそうですか」ヨキがきく。
「なんとかね」
シュカは鉛筆で地図に書きこみをしながら返事をする。今日のシュカは、髪を後ろで束ねている。作業をするときや、屋外で活動するときは長い髪が邪魔なのだ。ヨキは白いうなじをみながら、吸血鬼が本当に存在したとしたら、こういう首筋に好んで咬みつくのではないか、などと、とりとめのない想像をする。
「地理的要件にはそれほど問題がないように思えるね。木がほとんどなくて視界は良好。岩山ばかりだから落石に注意は必要だけど。あとはどのルートで山脈を抜けるか。最短距離は傾斜がきつい。湖をまわるルートは楽だけど、距離が長くなる。どっちにしようかな」
「ロホはどうします?」
ユヒテルに住むといわれる悪魔。その黒い瞳は生きとし生けるものを石にするという。
「ヨキはどう思う? いると思う?」
「石化の伝説は多くありますけど」
にらまれたら石になる。その手の話は各地に存在する。そして、毒をもつ生物が由来となっていることが多い。例えば、神経毒をもつトカゲが、獲物に噛みついて毒を流しこみ動けなくする。トカゲが獲物を何日かそのままにしておいて、お腹が減ったら食べるという習性をもっていたとする。その場合、獲物は動けないまま何日も生きることになる。知識をもたない人間がみると、獲物が逃げ出さない理由がわからない。まさかあのトカゲは、睨むだけで生物を動けないようにできるのではないだろうか。そんな想像から話がふくらみ、長い時間をかけて尾ひれがつき、石化の伝説ができあがる。
「しかし今回はこれがあるからねえ」
シュカが机の上に置かれた石像を手でなぞる。街の入口に置かれていたフクロウの石像だ。
生きているその瞬間を切り取って保存したかのような、躍動感のある姿。しかし、ヨキがあけた眼窩の空洞の暗闇からは、退廃的な死の香りが漂っていた。
街の人々は、黒い瞳の悪魔に睨まれ石化したのだという。
「まあ、作り物ではないと思うんだよね」
「そうですね、僕もそう思います。内部に腐敗した生体組織らしきものもありましたし」
机の上には、アリスの店からもってきたネズミの石像もおかれている。そちらは胴体のところで真っ二つに切断されている。内部を検証するため、シュカがのこぎりで切ったのだ。
ネズミは内側までしっかりと石だったのだが、驚いたことに、なかの石の明暗が臓器の形をしていた。人の手でつくれるとは思えず、生物が石にされたという仮説が現実味を帯びてくる。
「けれど、どういう原理なんだろうね。セントラルの研究機関に送って解析してもらおうか」
「費用はどうするんですか」
「経費で落とせばいいよ」
ヨキは首を横に振る。
「他の調査官に比べ、僕たちは倍以上の経費を使っているそうです。このあいだ、経理部の女の子からきつくいわれました。もう使うなって」
「研究費をケチるのはよくないなあ」
「使った経費のうち、八割以上は先輩の食費です。明細、出しましょうか?」
「よし、湖をまわるルートに決めた!」
シュカが地図に赤い線を引き、山脈を越えるルートが決まる。
「解析はいいさ。現地にいけば、きっとわかるよ」
「黒い瞳の悪魔に出会っちゃうかもしれませんね」
ヨキは脅かすようにいってみる。しかしシュカは物怖じするどころか、「いいね、面白いよ」と笑っている。
「とりあえずいってみようじゃないか」
「いってみましょう」