世界の果てのランダム・ウォーカー




 日が傾いたころ、街外れに集合する。

「どうして夜に山をのぼるの? 昼の方が安全じゃないの?」

 アリスの質問にシュカが答える。

「ユヒテルは特別なんだ。昼は普通だけど、夜には青白く輝く。そこが重要なんだ。あそこはさ、夜にしか越えられない山なんだよ」

 三人は夕暮れの荒野を歩く。アリスは緊張しているものの、瞳は希望に満ちていた。

 砂利を踏む音と、三人の息づかい。耳を澄ませば夜の気配を感じることができる。

 日が沈み、周囲に闇が満ちたころ、ちょうど山の麓にたどりつく。

「すごい」

 アリスが感嘆の声をあげる。

 山の至るところが輝いていた。青白い光。近くでみれば、赤い光や、まじりあって虹色になっている部分もある。輝く霧が、至るところで発生していた。

「これが悪魔の吐息なのね」

「街の人たちはそう表現しているね。この輝きはロホの吐く息だと」ヨキはいう。「けれど僕たちの考えではそうじゃない。本当に悪魔の吐息だったら、多分、僕たちはこの山を越えることはできない」

「じゃあ、この輝きは何なの?」

「歩きながら説明するよ。夜明けまでに抜けなきゃいけない。山脈のなかでも、特にこの輝きの強い一番手前の山はね」

 三人は異界とも呼べる空間に入っていく。

 至るところに極彩色の輝きがある。地面が光っているところもあれば、霧状の輝きが大気に広がっているところもある。

「悪魔の吐息っていうから怖く聞こえるけどさ、そういう話を知らなかったら、美しく感じるんじゃないかな」

 シュカがいうと、アリスが強く同意する。

「私もそう思ってたの! 幻想的で、本の世界にいるみたい」

「そうだね。魔法の山を大冒険ってところかな。でも、あまり近づいちゃだめだよ。危ないからさ」

「そうなの?」

「火山ガスだからね」

 それがヨキとシュカの見解だった。

 二人はユヒテルと同じように、青く燃える山をみたことがある。二酸化硫黄や硫化水素が溶岩と共に燃えることで青い炎を発生させていた。

 美しいが、何も知らずに近づけば命と引き換えになる輝き。

 ユヒテルも同じだ。青だけでなく極彩色にもなっているのは、噴出している化学物質の種類が多いからで、そのぶん致死性も高まっている。

「昼でもこのガスは出ているんだ。太陽の光が強くてみえないだけ。だから夜にきたんだ。目で視ることができるから避けることができるし、楽しむこともできる」

 ユヒテルに入って戻らなかった人たちのなかには、この火山ガスを吸ってしまい、覚めない眠りに落ちたものも多いとヨキは推測していた。

「青白い輝きは山脈の手前に集中してる。入口付近が活火山なんだよ。日が昇ってガスがみえなくなる前に、奥に入らなきゃいけない。安心して。アリスのペースでも大丈夫なよう、ヨキが計算したからさ」

 傾斜をのぼっていくうちに、やがて火口がみえてくる。青白く燃える溶岩をみながら、迂回して進む。溶岩が斜面を流れてきたり、強風が吹いて輝く霧が進路をふさぐこともあったが、なんとか、空が白んでくるころには火山地帯を抜けることができた。

 予定通りではあったが、疲労は想像以上だった。足場の悪さからくる負担はもちろん、荷物を背負っているため肩も痛む。

 頂上が平らになっている岩の丘をみつけ、そこで休むことにする。ヨキはテントを張り、なかに入って眠るようアリスをうながした。しかしまだ夜の冒険の余韻が残っているのか、アリスの青い目は、ぱっちりと開かれていた。

「全然、眠くない。まだ歩けるよ」

「うん、そうだと思う。けれど、それでも休んだほうがいい。知らないうちに疲れはたまっているんだ。今はいいかもしれないけど、いつかその疲れは必ず君をとらえる。そうならないように、眠れるときは眠っておくのさ。こういう旅ではね」

 ヨキはさとすようにいう。

「あなたはいいの?」アリスがきく。

「僕は見張りをしてる。先輩と交互に眠るから気にしなくていいよ。慣れてるし」

「わかった、がんばって寝るね」

 アリスはテントに入り、横になる。眠れないようで、しばらくは元気にごろんごろんと転がっていたが、やがて寝息をたてはじめた。やはりまだ体力のない少女なのだ。

 ヨキは岩棚の上をまわり、毒をもつ蛇や昆虫がいないかを確認する。そして、遠くの斜面に目をやったところで、肩にかついでいた猟銃を手にとった。

 なにかいる。こんなアナログな銃で追い払えるだろうか。かすかな不安を感じながら、銃をかまえる。しかし、すぐに力を抜き、銃をおろした。

「なにかいた?」シュカがたずねる。

「あそこです。街で飼われている家畜と同じ種類ですね。逃げ出して山に入ってきたというところでしょうか」

 ヨキは双眼鏡を手渡す。

 双眼鏡をのぞきこむシュカ。口元が笑う。

「でたね」

 牛がいる。しかし、まったく動かない。全身灰色になって、斜面を降りようとした姿勢のまま固まっている。

「さすがに人が造って置いたってことはなさそうだね」

「ええ。そんなもの好きいないでしょう」

 ヨキは遠くの石像をみつめる。

 山の青い輝きは、目にしたときから火山活動によるものだと推測がついていた。だから恐れはしなかった。しかし、動物の石化だけはヨキとシュカの知識をもってしても、何の推測も立てられない現象だった。山に入れば何らかの手がかりがつかめると思っていたが――。

「どういうことか、皆目見当もつかないな」

「今のところ、黒い瞳の悪魔を否定するものは何もありませんよ。ホントにいたら、どうします?」

「まずいよね。少し本気で考えておくよ」

 昼過ぎにはテントをたたみ、出発した。そこからは日が昇っているうちに歩き、夜になったら野営をするという、普通のサイクルに切り替えた。火山活動の盛んな地帯はもう抜けている。夜になってみえる青い輝きも、小さなものが、かがり火のように揺らめいている程度だった。

 吹きすさぶ風、昼夜の寒暖差に身をさらしながら山脈を進む。

 赤茶けた地層が堆積した渓谷を歩いた。何千年も昔は川が流れていたらしく、地面にある石は小さく、歩きやすい。かつて水の流れで削られたのだ。しかし、それでもアリスの足には厳しかったらしく、三夜を越えたところで捻挫してしまった。

「ヨキ、君のやることは一つだ」シュカが肩を叩いてくる。

「私は独立心のある大人の女性になりたいと思っています」

 アリスが真剣な顔でいう。

「けれど男の人の優しさに甘えることもやぶさかではありません」

 ヨキは深くうなずき、アリスをおぶった。「重い」と呟くと殴られた。

 旅は厳しさを増した。歩く速度が遅くなれば、日数がかかる。すると食料の問題も発生してくる。食用可能な草やキノコを調達するにも、岩山は不毛だった。三人は食事の量も減らさなくてはいけなくなった。

 山脈の奥に入っていくにつれ、石像を見かける回数も増えていく。鳥やねずみ、狼もいた。みな今にも動き出しそうなのだが、乾いた瞳には死の影がこびりついていた。

「不毛の地で、出会うものといったら、かつて生きものだった石像ですか。地獄の参道があったとしたらこんな感じでしょうね」

「そんなに悪い場所じゃないさ」

 シュカが渓谷を見渡しながらいう。小さく切り取られた青い空と、赤褐色の大地と岩山。

「みなよ。あそこの断崖に鳥がいっぱいいる。繁殖地にしてるんだ。こういう過酷な場所だからこそ、外敵が少なくて、ひな鳥を育てられる。公平で、いいところだよ」

「そうかもしれませんね」

 ヨキは前方を見上げながらいう。

 空にむかってのびるような傾斜の先、空と山のあいだに人工物がみえた。

「たしかに悪くありません。山小屋があります」

「しかも人が暮らしているみたいだ。休ませてもらえるんじゃないかな」

 双眼鏡でみれば、山小屋の前に女の人が立ち、こちらをみおろしている。布包みをかかえていて、どうやら赤ん坊を抱いているのだとわかる。

「それにしても、ずいぶんと怪しくないですか?」

 ヨキがいうと、シュカも片目をつむって苦笑いする。

「うん、私も思った」