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時間は昼下がりの午後って感じか。
場所は……絶対言いたくない。
「……、」
「何だ、ベッドは普通だな。つまらん。せっかくだから回るヤツを見てみたかったのに」
「―――。」
「でもシャワールームの壁が全面ガラス張りっていうのは新鮮だなあ。丸見えじゃないか」
何だか一人ではしゃいでいる白い魔女の背中を見ながら、俺の口は小さな三角形になっていた。
いや、身を守るために必要な事なんだ。
いやいや、だけどもさ!!
いったん零外係の艶美や妻田澪(つまだみお)さん辺りと連絡取って、無事を知らせたり外堀とかどうなったか聞きたかったし、何より増援がほしかったけど……これダメじゃん。こんなトコに民間出向の女子中学生軍団をまとめて呼びつけたーなんて話になったらその時点で俺の人生が終わってしまう!!
「悪いが先にシャワー使わせてくれ。実を言うと自衛隊に追われて結構運動した上、黒煙の中を走り回って汚れが気になる。風呂場を見たら我慢できなくなってきた。いやあ、私も意外と女の子だったんだなあ」
「うおい! 全面ガラス張りって自分で言っただろうが!?」
「ならガン見するか後ろを向いているかは君が選んでくれ。私はとにかく我慢がならーん」
本当にがばりとワンピース状の衣類を脱ぎ始めてしまったので、慌てて体を一八〇度回転させた。
が、何だかドアが開閉する音も、シャワーの水音も聞こえてこない。
そしていきなり背後から抱き着かれた。
首っ玉に回る細腕に背中一面に当たる柔らかい感触、そして耳元の吐息に背中一面から電気みたいなのが走る。
「ちょ、おま!?」
「少々不用心じゃないのか。『菱神の女』から視線を外すだなんて」
「……っ」
人様の耳たぶを好き放題甘噛みしながら、おそらく素っ裸の天はそのまま続けた。
「まあ、これが気の緩みか信頼の証かで評価はガラリと変わるんだが……今はまだ判断は保留って感じだな。頑張れ青年、私の心は『ここ』にあるぞ」
鼓動を聞かせて囁くと、背中のぬくもりの塊が離れた。今度こそガラスの扉を開閉してシャワールームに向かったらしい。相当壁が薄いのか、水音がそのまま聞こえてくる。
……『菱神の女』ってのはみんな露出狂で性に開放的なのか?
いや。
他人との付き合い方が分からないから、切り離したくない相手とは強引にでも繋がろうとしているのかもしれない。ああいう傾向は、艶美のヤツもたまに見え隠れする。
過剰な盛り方。
いらないスキンシップ。
見えない絆が見えないままだと不安だから、形のあるものに残したがるような、そんな感じ。
菱神天からは、俺はどんな風に扱われているんだろう。
どこの引き出しにしまうつもりなのか。
「お待たせ」
水音が消え、ガチャリとドアが開閉が響いた。ようやく一安心か。そう思って振り返ったら、天のヤツは濡れ髪にバスタオル一丁だった。
「ぶふっ!? お前なあ!!」
「すまんすまん、着替えの件を忘れていた。表に自販機コーナーと一緒にコインランドリーあったろ。君はシャワー使う前にそっちに立ち寄ってくれ、ほんとにすまん」
どうやら本当にイージーミスらしい。
過ぎた事に拘泥しても仕方がない。お風呂後に散々汗を吸ったジャージを着直したくない、という気持ちも分からなくもないし。
とにかく今は情報だ。
改めて聞いてみたい事ならいくらでもある。
「聞きたい事がある」
「何だ、適当な椅子に私を縛り付けて尋問ごっこでも始めるのか? 確かクローゼットにソッチ方面の荒縄があったかな。洋風趣味のためにベルトでサイズ調整できる革衣装もあった気がするが」
「……、」
「おいよせ無言になるなって。分かったよ! 真面目にやるからほんとに縄を取り出すな!」
菱神天は息を吐くと、大きなベッドにぼすりと勢い良く尻を置く。
「で、聞きたい事は?」
「全部だ。最初から順番に」
「はあ」
白い魔女はがしがしと片手で濡れ髪の頭を掻いて、
「信じるかどうかはそっちに任せる。ただし説明の途中で安易に『信じられるか』を連発するのは禁止だ、むくれるぞ。ひとまず最後まで聞いてから質問タイムに入る。それで良いか」
「話を聞けるなら何だって」
「ではまず大前提の話をしよう。私は自衛隊に追われていた。治安出動の要請も承認もないから違法行為だな。そして捕まる訳にはいかなかった。だから適当なパレードに飛び込んだんだ。混乱に乗じるためにな」
「でも本番は『菱神の女』同士の激突だろ。まさか彼女達が自衛隊に協力しているとでも?」
「つまり、本当の火種は別にある。『私達』が殺し合う理由が」
菱神天はベッドに腰掛けたまま、足を組んで、
「ちなみにお気に入り君は菱神の家についてはどれだけ知っている?」
「……日本最大規模、国際レベルでも屈指の企業集団。でもって同時に艶美のヤツの実家」
天は小さく笑った。
サンタクロースは本当にいるの? そんな質問を耳にした大人のように。
「『菱神の男』と『菱神の女』については?」
「チラリと耳にする程度だ、そこまで詳しくは」
「やれやれ、ではそこからか。にしても、そんなので良く艶美や舞と波長が合うものだ。いや、知らないからこそ気兼ねがないのかもしれないが」
バスタオルの胸元に掌で仰いで風を送り込みながら、白い魔女は先を続ける。
「『菱神の男』は静的な集合を表す。まあ、世間一般で言われる旧財閥系大企業、菱神グループのイメージそのものだな。連中は普通、平均、常識の枠から出ない代わりに、それらを味方につけて人脈を広げ、巨大組織を形成していく。私達から言わせてもらえば、『正常に狂っているモンスター』という感じなんだが」
「『菱神の女』ってのは……物騒な意味で使われる事が多いよな」
「舞や艶美を見ていれば分かると思うけどね」
くすりと笑って、天は足を組み直した。
「『菱神の女』は動的な離別を表す。つまり巨大組織に個人で亀裂を入れ、固まったシステムの破壊を促す因子なのさ。だから、巨人に守られて安定した日々を送る民衆からすれば、災厄の種のように見えてもおかしくない」
「……、」
「でも私達に善悪はない。時代の混乱期には『菱神の男』が人々をまとめて安定した巨大システムを作り、時代の退廃期には『菱神の女』が腐りきったシステムを破壊して風通しを良くする。それだけだ」
当然、『菱神の男』が面白い顔をしないのは承知だけど、と天は嘯いて、
「希望を破壊するとか金融を破壊するとか、私達『菱神の女』の特性についても、こう考えると分かりやすい。あらゆる事業に手を伸ばす、総従業員数二〇万人強の巨大組織を切り崩すには何が必要か。そいつを各々の嗅覚で掴んで極めたのが、『この時代の女達』だ。もしも時代が違って、男達の作ったシステムが戦国時代の武家屋敷なら、また違った女達になっただろうな。鍛冶を破壊するとか塩田を破壊するとか年貢を破壊するとかね」
ようは、菱神グループって塊を部門ごとに引きずり倒す専門家、って感じか。
そんなのを個人が起こす事件に差し向ければどうなるか。
事実だとすれば、彼女達が規格外な訳だ。
「健康を破壊する落、生産を破壊する顕、か」
「その辺はすごく分かりやすい企業ダメージだな。逆に倫理を破壊する夢や教育を破壊する失なんかはちょっと回り道だが、効果が表面化すればデカい。社員の技量やモラルなんかの『質』に直接関わるからな。生産ラインに異物混入なんて突発イベントよりもよっぽど根が深くなる」
「……、」
夢。
倫理を破壊する夢。
「何だー、倫理を破壊する、なんて謳い文句でえっちな事でも想像しちゃったかー?」
「いっ、いや! 別にそんな……」
「あいつはそんなに甘くないよ。そりゃ企業モラルや社会モラルを破壊するために必要なら何でもやるけど、効率悪いからな」
「……『菱神の女』については分かってきた。現実に可能かどうかはさておいて、思想の話ではな。じゃあ最初の質問に戻ろうか。お前が市ヶ谷で自衛隊から逃げて、他の『菱神の女』から命を狙われる理由については?」
「そうだな、下拵えは十分か」
天は濡れ髪を軽く指先でいじってから、
「平たく言えば、『菱神の男』と『菱神の女』は常時いがみ合っている。そして菱神夢を中心としたグループは、一つの大きなブレイクスルーに達しようとしている」
「……ブレイク、スルーだって?」
「『菱神の男』を打倒する、つまりこの国を支える旧財閥系企業集団を根絶やしにする方法。バブル以上の金融崩壊で一億五〇〇〇万人総破産の時代がやってくる、と言い換えても構わない」
言葉も出なかった。
口をパクパク開閉する俺を見て、バスタオルの魔女はくすりと笑う。
「だが私は異を唱えたい。来るべき時代が来れば、『菱神の女』は自然と全てを破壊する。風通しのためにな。しかし今はまだその時ではない。菱神グループは、必要とされているよ。無理な破壊は蝶のサナギを外からこじ開けるようなものだ。夢達のやり方は『菱神の女』の方向性からも外れつつある」
「……確度はどれくらいなんだ? 連中は本当に菱神グループを引きずり倒すほどの力や方法を持っているのか!?」
「今はまだ。だが放っておけば確実に」
「どうやってだ!? アンタ達が規格外の力を持っているのは認めるが、所詮は個人の力だろう? 世界に根を張る巨大企業の倒し方なんて、イメージが湧かない!」
「ああ、そこはもう少し菱神って一族に踏み込んでもらいたかったかな。問題をシンプルに考えて欲しい。国家や世界経済はいったん脇に置け。ようは、『菱神の男』と『菱神の女』のいがみ合い、これだけを軸にすれば簡単なんだ」
「?」
なお怪訝な顔をする俺に、菱神天はため息をついた。
「いいか、単純化してみよう。この盤面には二種類の陣営しかない。『菱神の男』と『菱神の女』だ。このボードゲームの根幹を破壊するにはどこをいじくれば良い?」
「答えを言ってくれ」
「こらえ性のない男め。……簡単だろう、男と女の陣営をごっちゃにしてしまえば良いんだ」
その時だった。
コンコンコン、とドアが控え目にノックされた。
思わず身構え、懐の拳銃に意識が向くが、対して菱神天は気軽にベッドから降りた。
「良いんだ、味方だよ」
バスタオル一枚の彼女がロックを外してドアを開けると、顔を出したのは髪の長い女性だった。明治時代の女学生とか大学の卒業式みたいな袴を穿いた、グラマラスな女性。目元に舞や艶美と似た面影があるが、ずっとおっとりしている。
お上品な風呂敷で包んで片手で下げた大きな箱は……お重のお弁当かな。
一足遅い昼飯かと思ったら、ベッドサイドのステレオにあるデジタル表示を見ると、もう時間帯は夕暮れから夜に差し掛かっていた。窓がないから分かりにくいが、あれから随分話し込んでいたみたいだ。
「まったく、なんて格好をしているんですか、もう。あら、殿方もいらっしゃったのですか!? なのにそんなあられもない……!」
口元に片手を当てて驚くおっとりさんを、天はこんな風に紹介した。
「私と同じ『菱神の女』だ。『信頼を破壊する籤(くじ)』」
「は、はあ」
「でもって実は元『菱神の男』なんだが、性転換して無理矢理私達の仲間入りを果たしている変わり種でもある」
ぶふっ!? と思わず噴き出してしまう。
天はこっちの反応を楽しむような顔で、
「人魚(にんぎょ)という妖怪を知っているか。あれは時代の流れに合わせて描かれ方が大きく変わった種族でな。最初はオオサンショウウオみたいだったのが、やがて人の頭を持つ魚になり、江戸時代の終わりには美しい娘の上半身と魚の下半身を持つ例のアレになった訳だ。その変遷を手術に組み込んでいるんだと。ま、オオサンショウウオを美しい娘にできるのならば大抵の無理は通せるだろう。……そもそも元がオオサンショウウオだとするとド派手な上半身だけじゃなくて、下半身もこっそり変遷しているしな」
一方で、菱神籤は菱神籤で顔を真っ赤にしていた。
「もっ、もう、ノーマルで受け入れ準備もできていない殿方の前でいきなりなんてカミングアウトしているんですかっ、下半身とか! もうもうもう!!」
両手でグーを握ってポカポカやっている風だが、実際にはあの天からバキゴクシャと鈍い音が連続している。あの和装、袖の中に何か仕込んでいるのか? 袋に瓶だの缶だの入れて殴りかかるっていうか、モーニングスター的な例のアレが……!?
「う、うごふえ。そろそろ許してはくれないか、籤。人体を直接改造している舞じゃあるまいし、そう何度も鈍器で殴られたら普通に死ぬ……。まあ、味方の手で殺されるなんていかにも『菱神の女』らしい死に様だが……」
「ハッ!? すみません私ったら、殿方の前ではしたない!」
コンプライアンスのないコントで人死にが発生しかけた訳だが、どうやら軌道は元に戻ってくれたらしい。
「さっき何か言いかけていたよな。『菱神の男』と『菱神の女』の所属を入れ替えるとか何とか。それが菱神夢の計画とどう関わるっていうんだ」
「そこに生き証人がいるだろう。男から女へ」
「もうっ」
頬を膨らませる袴姿の籤に、天は割と本気で両手を広げて制しつつ、
「なら逆にはできないものか。つまり、『菱神の女』から『菱神の男』への転換だ」
「……、」
「これが成功すれば、そいつは菱神グループって巨大企業にノーガードで入り込んで自由に汚染できる。どころか、静的な集合、という根本的な部分まで取得した場合、前代未聞の菱神が生まれる。突然変異で一代限りの『菱神の女』じゃない。永遠に自己増殖を繰り返す、安定して増えていく『菱神の女』だ。この脅威は、『希望を破壊する天』や『倫理を破壊する夢』どころの話じゃない。下手をすれば艶美や鏖(おう)をも凌ぐ、最悪の個体になりかねない。いいや、それはもう個の範囲に収まるのかも分からないな」
現実感がない。
ふわふわしている。
でも、もしも本当にそんな事が可能なら。
例えば菱神天や菱神夢が一〇〇人一〇〇〇人と大挙して攻め込んできたら……東京はどうなる?
二〇万人の大企業の中にひっそりと入り込まれて破壊工作を仕掛けられたら、立て直しなんてチャンスはあるのか?
「何としても夢のグループを止めなくてはならない」
菱神天はそう断言した。
「そのためには、サンプルである籤は絶対死守だ。彼女の行方は私しか知らなかったのに、間抜けな防衛省が噛み付いてきた。こんなイージーミスでご破算にする訳にはいかなかったんだ。……ではここで問題といこう。自衛隊は頭が堅くて話にならない、あの調子じゃ警視庁だと他の『菱神の女』を押さえきれない。後は米系の基地だの潜水艦だのか? でもCIAは別の意味で怖い。ならどこをゴールに定めるべきかね」