8
真夜中。少しでも体力を回復しようと、仮眠を取っていた時だ。
何がきっかけだったか分からない。
ぴくん、と女性達が身じろぎすると、菱神天と菱神籤、二人が同時にベッドから起き上がった。
二人掛けのソファに何とか体を収めていた俺には意味が分からない。
「何が、何だ……?」
「伏せてっ!!」
肉食獣みたいに飛びかかってきた袴姿の籤に押され、ソファごとばたりと後ろにひっくり返る。
直後の出来事だった。
ドスッ!! と。
籤の肩越しに、異変が見えた。
ホテルの壁に握り拳大の風穴が空く。
一瞬何なのかイメージが湧かなかったが、じわじわと遅れて実感が追いついてくる。
菱神由の、対戦車ライフル!?
籤が押し倒してくれなかったらどうなっていた!?
「もがもが」
「んっ……。感謝の気持ちを伝えたいのは分かりますが、あまり胸元に息を吹きかけないでくださいませ」
「もががー!?」
しかも狙撃は一発で終わらなかった。
続けて、等間隔で壁に穴が空いていく。親指よりも大きな鉛の塊が室内を蹂躙している。マシンガンの連射ほどではないが、そもそも威力が規格外過ぎて足がすくむ。まともに動けなかった。懐には拳銃があるが、こんなのお守り代わりにもならない。這いつくばって破壊の嵐が過ぎ去るのを祈り続けるしかない。
でもこれは自然災害じゃない。
目的と利害を備えた人為的事件だ。
だから、祈っていたって終わるはずもなかった。同じく伏せたまま、天が言った。
「一九四一の役割が変わっている。牽制で動きを封じられている間に他のメンバーが配置を終えるぞ。チェックメイト前に仕掛けたい!」
「了解。ひとまず床を抜きましょう」
一息であっさり決まったため、思わず見送ってしまった。
直後の出来事だった。
ゴガッ!! と。
宣言通り、ホテルの床がごっそり抜けた。
天と籤が具体的に何をしたのかも想像がつかなかった。
見た目には、軽く拳を押し当てたくらいにしか。
とにかく俺達全員は引きずられるように階下へ。
「えっ、うええ、なん、ええ、何なの!?」
お楽しみ中だった誰かさんがベッドの上でうろたえていたが、いちいち説明している時間はない。
まだ由は上の階を狙い続けている。
その間に籤は下階のドアを蹴破り外へ。三人で非常階段を目指す。相変わらず、天は鉄球付きなのに俺より素早い。
バギン!! と金属の破壊音が響いた。
行く手を阻むようにひしゃげたエレベーターの扉が廊下に投げ込まれた。そしてゆっくりと出てくる影が一つ。ショートカットに丈の短い改造着物を纏う、
「『伝統を破壊する新(あらた)』ですか!」
「昨日までのセオリーは明日には通用しない。それはあなた達の寿命であっても同じ事!!」
叫びながら、新と呼ばれる少女の袖から何かが飛び出した。まるで手品師のステッキのように伸びる金属パイプの下端には、小型のガスボンベみたいなものが繋がっていた。
「くたばれバーカ! 材料費一万五〇〇〇円の大特価で死ね!! これがキサマの積み重ねた(笑)人生の値段だぐわはははー!!」
袴姿の籤はバズーカみたいに構える謎の金属パイプを見て、
「まずいっ!!」
近くのドアを蹴破って、三人いっしょくたに飛び込む。
だが。
ゴッキイイイイイ――――――――ン!! と。
耳をつんざく爆音は構わず襲いかかってきた。音の塊が頭の中で爆発し、真っ直ぐ立っている事さえできない。感覚的にはバットで後頭部を殴られて腹から吐き気が込み上げるような、まずい感じだ……!!
「……、―――!?」
間近で菱神天が何か叫びながら俺の腕を取ったが、何を言われているのか分からなかった。
ぐらぐら揺れる頭を振って、今の凶器について考える。
指向性のショックウェーブキャノン、か?
確か、警察庁でも非殺傷制圧装備として導入が検討されていたものだ。家庭用のガスボンベの爆発を利用し、特殊な溝を刻んだ円筒内部を通す事で連続的な爆轟を生み出し、音の塊を叩きつけて五〇メートル先の暴漢を無力化させるとか何とか。
着物のくせに中身は夢兵器で満載か。インテリビレッジで甥とイチャイチャしているゲーマー座敷童(ざしきわらし)もびっくりだ!
「音の―――怪。やまび、こ……でブーストして……か!?」
「新の……は、これだけじゃ―――。立ってください!」
ようやく耳が回復してきた。
袴姿の籤にゆっくりと手を振る。
「どうする、新が連絡すれば由の対戦車ライフルがこの階を襲うぞ」
「なら殺られる前に逃げれば良い」
また手を掴まれた。
あろう事か、天と籤は先ほど弾丸が飛んできた面の壁に自ら突っ込んだ。
生身の体当たりで外壁をぶち破り、俺に何の断りも入れずに巻き込んでいく。
つまり全員で落ちる。
ガスン!! と夜の一角が瞬き、すぐ近くを鋭い風が抜けた。あと数秒遅れていれば頭か心臓をなくしていたはずだ。
「うわああ!?」
切り裂くような真冬の夜の風。
下までは三階くらいの高さだった。
歩道を飛び越し、真下を走っていたトレーラーの細長いコンテナの上に落ちる。
正直、天と籤にサポートしてもらわなければ足首くらい折っていたと思う。
「はあ、はあ!」
「一安心、ですかね……」
等間隔で流れていく街灯の下、袴姿の籤が流れていく後方の景色に目をやり、騒ぎのあったラブホテルから遠ざかるのを確認していた。
天は呑気なものだ。
コンテナに腰を下ろし、ワンピース状の衣服の胸元を掴んでばさばさ。内部に夜風を送りながら彼女はこんな事を言ってくる。
「ちなみに、追加の増援に心当たりはあるか? できれば菱神クラスだとありがたいんだが」
「冗談じゃない、うちの零外係は頭のおかしい美島(みしま)のバカヤローのせいで民間の女子中学生だらけになっているんだ。こんな修羅場になんか絶対呼べるか!」
「それが君の主義かね」
「だったらどうした」
しばし睨み合うが、こればかりは譲れない。
彼女達は味方であっても戦力じゃない。
そんな風に勘定したくない。
そうこうしている間にも、トレーラーはひた走る。
9
おかしい。
そう思ったのは、足元のトレーラーが大通りを外れて高速道路の入り口に向かった辺りだった。
「おい、このまま長距離ドライバーに付き合うのか。深夜ラジオの演歌に乗せて北は北海道から南は沖縄までどこに向かうか分からないぞ」
「そうですね、ではインターで一時停止するタイミングで飛び降りま……きゃっ!?」
がしゃあ! という破壊音と共にETCの無人ゲートがへし折られる。袴姿の籤が小さく身をすくめた。トレーラーはそのままの勢いで本線に合流してしまう。さらにぐんぐん上がっていく。深夜の闇の中、等間隔で流れる街灯の速度が急激に増していった。
暴風にざらついた白髪をたなびかせながら、天が舌打ちした。
「まずいな、このトレーラー」
「何が!?」
「偶然のタイミングじゃなかった。『菱神の女』が合わせてキャッチしたって事!」
速度はおそらく時速一二〇キロ超。高速道路でも危険を感じる領域。これでは走る檻だ。速度を維持し続ける限り、飛び降りて逃げる選択は封じられる。
「民間のドライブレコーダーも速度違反チェッカーもお構いなしですか。配慮ってものを知らないようですね」
「サイバー戦争専門の顕辺りがフォローしていると私は信じるぞ。……ほんとに無策だったらあいつらの皮を剥いで床に敷く」
ぎしっ! という軋んだ音が響いた。
運転席側だった。
ホラー映画の怪物のように、両手両足で張り付く格好で窓から屋根へ這い出てくるのは、
「夢……」
「ふふ」
「倫理を破壊する夢……!!」
「うふふ、ふふふふ。あははははは!!」
一〇歳くらいの女の子だった。今までこんな子が大型トレーラーのハンドルを握っていた事、そのハンドルを手放してドライバーが屋根に上ってきた事。何もかもがモラルハザードの極みで頭がくらくらするが、現実を投げてもいられない。
そんな怪物が、こちらをロックオンしている。
自分達の乗るトレーラーの行方なんぞ前座だ。人生の山場はここからだ。
「ひどいんだ。天ちゃんも籤ちゃんも、こーんなに手こずらせて」
取り出したのは、スマホの自撮り棒? いいや、ずしりと重たい感覚からするに、特殊警棒の方が近いか。
夢は小さな手を使って、さらに先端のジョイントに金属塊を取り付ける。
あれじゃあもう工事現場のスレッジハンマーだ。
「でもここでおしまい。二人とも、せめて夢のような時間を見せてあげるね?」
対して、菱神天は自分の頭に手をやった。ざらつく長い白髪を一本引き抜く。
かつて言っていたか。
髪の毛一本あれば虎くらい殺せるものだろう、と。
「君の思い通りにはいかない」
そして宣言があった。
「私は『希望を破壊する天』だ。聖域だの安全地帯だの、高みの見物決めているヤツほど射程内だぞ」
「というか」
ちらりと小さな少女は袴姿の籤の方を見た。
「天ちゃんはともかく、どうして籤ちゃんまで?」
対する答えは、にこやかな笑顔と共にあった。
どすりと不自然に重たい和装の袖を揺らし、
「『信頼を破壊する籤』」
「にゃるほど」
「というか、実際問題こっちはそれほど不利って訳でもない。夢、君は個人よりも集団に向いているはずだ。二対一とか舐めているのか?」
「だ・れ・が、私一人なんて言ったかなあ?」
一瞬。
他にも、トレーラーのコンテナの中に『菱神の女』が何人か隠れているのかと思った。
だが違った。
脅威はトレーラーの外から来た。
くの字というか、ブーメラン型というか。
有人飛行機として必要な安全項目を削り取った、軽量小型の軍用機。
ギョッと目を剥いてしまう。
「UAV!? どこの航空基地から持ってきた!?」
「にっひっひ、サイバー戦争専門の顕ちゃん様々。ついでに言えばインテリビレッジ系の作物管理用ドローンが豊富になったおかげで軍用機もバリエーションが増えたんだって」
詳しくは分からないが、地上攻撃用の爆弾なりミサイルなりを積んでいるのは確実だ。
しかも一機じゃない。
『相手は人間じゃない』という意識も働いたのか、思わず懐の拳銃を取り出していたが、そこで固まってしまった。
様々な方角から合流したUAVの数は一〇機以上に膨らんでいる。
一斉に空爆されたら逃げられない。
しかも機械任せだけでは済ませない。爆弾の雨の隙間を縫って変幻自在の『菱神の女』、菱神夢が喰らい付いてくると宣言している!
「冗談じゃ……それじゃアンタも……!」
呆然と呟く俺に、夢は『にひっ☆』と笑って、自分の薄い胸を指差した。
「『倫理を破壊する夢』。安全神話のセオリーに守られてぬくぬくしてるトコは、逆にみーんな私のフィールドだよ?」
くそっ、仲間に攻撃されて喜ぶタチなのか!? モラルハザードの起爆剤に自分自身を捧げて楽しむなんて尋常じゃないぞ!
「何にせよやる事は変わらない」
長い髪を一本手にした菱神天が薄く笑う。
「こっちはもう大詰めなんだ。ここまで来て引っくり返せるとは思うなよ」
「こっちの台詞。私達にとって一番厄介なパターンは、天ちゃんが自衛隊に捕まって市ヶ谷の地下で身を固めてしまう事だった。こうして表を逃げ回っている時点で術中にはまっているっての、忘れないでよね」
合図はいらなかった。
あるいは、止める暇もなかった。
菱神天と菱神籤。
菱神夢と菱神顕のUAV。
両陣営がどうしようもない勢いで、激突していく!!