「流石にあれはやりすぎじゃね」
黒塗りの高級車の助手席で、リザが溜息混じりに零した。
「もしオルテガが昇格でもしていったら、私らは真っ先に狙われる。まあ私的には強敵と闘えてラッキー、って感じだけど」
リザの言葉を聞きながら、俺は項垂れていた。金に目が眩んで、要らぬ恨みを買ってしまった。悪い癖だと自覚はしているが、金の魔力と、圧し掛かる借金の重みには耐えられない。
「ああクソッ、アホか俺は。何も考えてなかった」
「小銭が主食の貧乏人が、札束を前に冷静じゃいられなかったってことね」
「ああそうだ、今だけはてめえに何も言い返せねえよ」
カイの情報料は毎回ながら法外だし、仕事によっては他の業者にも頼らなければならなくなる。おまけに俺の能力は少し特殊で、維持するためには莫大な金を必要とする。しかも他の銀使いと違って驚異的な回復力や薬物への耐性を持たないため、仕事の度に闇医者のお世話にならなければならない。さらに、借金の利息は笑えないジョークのように高いときてる。
イレッダ地区西部にあるスラム街の近くまでやって来た。
ここから先は車で通るには狭すぎるほど路地が入り組んでいるため、ここに停めておくことにした。この辺りはもともとはリゾートで働く労働者たちのために作られた区画だったらしいが、開発が失敗に終わった今となっては、低所得者層や不法滞在中の移民などが集まっているのが現状だ。とはいえ、粗末な仮設住宅がひしめく雑多な空間は、多すぎる敵から身を隠しておきたい者にとっては都合がいい。
「てか私、あのチャラい上にイカレてる変人に会いに行くなんて嫌なんだけど」
「あれでも有能な情報屋にして数少ない共犯者(パートナー)だ。仲良くしとけよ」
「まじ無理。生理的に受け付けない」
「お前に好意があるかもしれない、数少ない人間だ。素直になれよ、応援してやるから」
「は? あんな万年発情男になんて、全く興味ないし」
軽くからかってみただけのつもりだったが、予想以上にリザが不機嫌になってしまった。そういえば、俺はリザの過去やプライベートについての情報をほとんど知らない。
組んでから一年以上が経っても、ロックが好きでイレッダ地区の外に住んでいること以外はリザの口から聞いたことが無い。まさか経験が全くないなんてことは無いだろうが、色恋に現を抜かす暇があれば殺し合いに全力を注ぐようなタイプという印象なのも事実だ。いや、どんなタイプだよ。
「リザ、お前は銀使いになる前は何をやってたんだ? 普通に学校に行ってる姿なんて全く想像できないけど」
「答える必要ある?」
「仕事仲間として、共犯者(パートナー)の人となりをある程度理解しておくは義務だろ」本当は面白半分でしかないが、俺の口からはそれっぽい言い訳が淀みなく出てくる。「ほら、本人の性格が連携にも影響してくるかもしれないだろ?」
「……普通の、クソつまんない人生を送ってたよ。貧乏なくせに過保護で教育熱心な両親に、しょーもない習い事を飽きるほどやらされてた。音楽教室に、水泳に、ダンス・スクールに」
「本当のことを言えよ」今のリザの姿からは全く想像できない少女時代だ。俺は疑いの目を向ける。「からかってんのか?」
「あ? 嘘ついて何になんの。まあ確かに、親の過保護っぷりがウザくて、習い事なんてほぼサボって遊びまわってたけど」
「……意外だな。お前にもそんなほのぼのとした過去があるなんて。そんな可愛らしい女の子が、どうして成れの果ての街に?」
「事業に失敗して借金地獄になった親が、いつの間にか夜逃げしてたの。過保護の反動で夜まで暴れまわってた私を置いてね」
リザの両親は、くだらない世間体とやらのために習い事をさせておき、自分たちが苦しくなれば娘を簡単に切り捨ててしまうような薄情な連中だったということか。恐ろしいほど平然と過去を語るリザに、俺は素直に謝罪することにした。
「……辛いことを思い出させて悪かった。そうか、お前は一人で生きるためにしかたなく」
「まあ、イレッダを拠点にしてる強盗団にスカウトされてたから、どのみち家は出ようと思ってたんだけど」
「待て待て待て待て」感情の行き場がどこかに消えた。「なんでいきなりそうなる。俺はもしかして十分くらい寝てたのか? だから話が進んだことに気付いてねえのか?」
「お人形みたいに扱われるつまんない生活がとにかく嫌だったから、親がいないとこでは楽しそうなことだけやるようにしてたの。ギャングの車をパンクさせたり、ギャングの下っ端の財布を掏(ス)ったり、ギャングの事務所に石を投げこんだりね。まあ、スリルを求めて色々やってるうちに、いつの間にかそういう奴らに目をつけられてたって感じ」
「なんでそんな執拗にギャングばかりを狙うんだ? こんな感情は生まれて初めてだけど、連中に心から同情するよ。……まあとにかく、昔から悪党の素質があったことだけはわかった」
「あんたも大学辞めてから、運び屋紛いのことやってたんでしょ? 十分悪党じゃん、ショボいけど。てかそもそも、この街に関わってる時点でまともな人生なんて送ってる訳がなくね」
そう呟くリザの目には、僅かに暗い色が混じっていた。リザが昔からスリル渇望症だったとはいえ、イレッダに来るほどに道を踏み外し、しかも銀使いにまでなってしまうのにはもっと重大な理由があるのかもしれない。だが仕事仲間(パートナー)への最低限の配慮として、その寂しげな表情が意味するものを深堀りするのはやめにした。
なおも下らない話を続けながら、薄暗い路地を進んでいく。やがて辿り着いた簡易的な集合住宅の前で、俺たちは足を止めた。やけに古ぼけた二階建ての建物の階段を昇っていく。
ドアをノックすると、何重に掛かっていたのかもわからないほどのロックが、けたたましい音を立てて解除されていくのが分かる。粗末な木板にしか見えない外観からは想像もつかないほどに重厚な、合金製の扉がゆっくりと開いていった。中は薄暗く、様々な機器が放つ光が妖しく点滅していた。廊下の左右にある金属製のラックには正体不明の電子機器が所狭しと並んでおり、機械の過熱を防ぐためか夏でもないのに冷房がガンガンに効いている。
「ようカイ、まだ孤独死してないか?」
< 前へ|・・・|8|9|10|11|12|13|14|・・・|次へ >