「それは皮肉のつもりか? ジョークの腕も随分と落ちたな」
「そう怒んなよ。ちょっとからかってみただけだ」
イレッダ署で課長の役職についているグラノフ・ギルヴィッチは、店内を満たす騒音に耳を傾けながらグラスを呷る。二十五歳の若造でしかない俺に、たまに裏口で仕事を回してくれたりもするこの男は、イレッダ地区における数少ない協力者の一人だ。
「仮にも警官が、こんな無法地帯で飲んでるなんて知られたら大変だな」
「成れの果ての街の警察が正義の味方じゃないことぐらい、今どきガキでも知ってるさ」
グラノフが言う通り、この街では警察なんてのは置物に過ぎない。そうでなければ、動く募金箱か何かだ。よほどの大事件でもやらかさない限り、たいていの犯罪は署に賄賂を贈れば揉み消せる。そして銀の弾丸が絡むような危険な仕事は、中央の〈猟犬部隊〉や俺たちのようなフリーの銀使いに丸投げしている有様だ。
本来、政府に登録されていない銀使いはそれだけでブラックリスト行きなのだが、実は俺たちのような協力的な化け物を何人か手元に置き、その存在を黙認しているのが現状。グラノフは俺とリザにとっての警察へのパイプ役という事になる。
馬鹿でかい口へ酒を流し込むグラノフの瞳には、悪戯めいた気配が混じっていた。
「そういえば、リザはどこだ?」
「車で寝てるよ。あのガキは酒が嫌いらしいからな」
言いながら煙草を箱から取り出す。差し出されたライターの火を拝借していると、髭面の男は優しく微笑んでいた。
「あの戦闘狂にも、可愛らしいところがあったってことか。ほのぼのするよ」
「その台詞を寝起きのあいつの前で言ってみろ。次の日の新聞にお前の訃報が載る」
以前そのことを指摘して笑った俺を、リザが本気で殺そうとしたことがある。よっぽど恥ずかしいのか知らないが、照れ隠しの一環で殺される俺の身にもなってほしいもんだ。
「しかし、お前らがエリック・フォスターを殺ったとはね。確か、政府も軽くマークしてるくらいには危険人物だったはずだけど。あれからもう、一週間くらい経つか?」
「リザが同等以上の化け物じゃなかったら、ぶっ殺されてたのはこっちの方だったよ」
「お前の証言をもとにレイルロッジ協会の学者どもに調べさせたが、奴の銀の弾丸の悪魔は〈ザガン〉というものらしい。単純な序列で言えばリザの〈アムドゥスキアス〉以上とのことだが、お前らが死んでないって事は、能力を上手く引き出せてなかったんだろう」
銀使いである俺ですらよく知らないことも多いが、銀の弾丸に封じられているとされている悪魔の能力を引き出すには、ある程度の才能というか素質が必要らしい。いくら強力な怪物を飼っていようと、その資質とやらが足りなければ意味がない。
そもそも、銀の弾丸の移植手術自体にもかなりの危険性がある。四分の一は拒絶反応を起こして死ぬか廃人になると聞くし、仮に生き残っても化物を身体に宿していれば精神に悪影響が及んでしまう。それは、エリックやリザを見ても明らかだ。
「前にも話したが、銀使いとして強力ってのはつまり、それだけ人間から遠ざかっていってるってことだ。しっかり手綱を握っとけよ。飼い犬に手を噛まれる程度じゃ済まなくなる」
「あいつが雇い主の命令をおすわりして訊くような忠犬に見えるか? それにまあ、何というか、あいつにそんな心配は要らねえよ。銀の弾丸の悪魔に喰われたりはしない」
「やっと他人を信用できるようになったか。昔のことはもう吹っ切れたのか?」
「……死ね。下らねえこと言ってんじゃねえよ。そんなに脳天で呼吸したいのか?」
グラノフは困ったように笑いながら、肩を竦めて見せた。今の俺はどんな顔をしているのだろう。考えたくもないが、動揺しているのは確かだった。
「悪かった、素直に謝るよ。ただ、苦い過去を忘れないってのはいい事だと思うぜ。空っぽのまま生きていくよりは遥かに救いようがある。苦悩することもまた、生きている証明だ」
「はっ、せいぜい肝に銘じとくとするよ」酒杯を一気に仰ぎ、感情をリセットする。「ところで、事務所から消えた銀の弾丸の行方はどうなってる?」
「この街の警察の無能っぷりを舐めない方がいい。恐らく流通経路は何重にも偽装されているだろうし、すぐに探し出すのは無理だ」
「予想通りの返答だな。それと、疑問はまだある」
エリックにやられた右肩がまだ少し痛む。苦い記憶を吐き出すように続けた。
「バラドー商会は零細の武器商人どもが創った、生まれて間もない弱小組織だ。武器の流通に一枚噛んで細々とやってはいたが、大組織の後ろ盾も満足に得られていない連中でしかない。そんな奴らが、何故エリックのような銀使いを雇えた? それにフィルミナード・ファミリーから銀の弾丸を奪おうとするなんざ、命知らずの馬鹿でも滅多にやらない」
現に連中は、警察の依頼を受けた俺たちによって壊滅させられた。俺たちがいなくても、五大組織の内に数えられるほどのフィルミナードが黙っている筈がない。
「何か他の組織の後ろ盾があったのかもな。適当に挙げるなら、フィルミナードと何かと対立しているロベルタ・ファミリー、それか他の五大組織のどれか……。他にも成り上がりを狙う連中がいるかもしれない」
「結局、見当がつきませんってことじゃねえか」
「あたりまえだ。俺とお前の仕事はとりあえずはここで終わり。組同士のゴタゴタは知ったことじゃねえ。これ以上仕事が増えなければそれでいいんだよ」
「はっ、警察官の鑑だな。小学生のガキどもに聞かせてやりたいくらいだ」
「さぞ警察官志望のバカが集まるだろうよ」
倫理観を機関銃でブッ飛ばして、その上にクソを塗りたくったような街だ。当然、そこに住む連中がまともなわけがない。俺たちは揃って吹き出した。
「しかし、お前ら化け物といると、例のおとぎ話が現実にあるような気がするよ」
「あの、悪い魔女が悪魔の軍団を連れてやってくるー、ってやつか。俺もガキの頃にだいぶ脅かされた記憶があるな」
「本当に恐ろしいのは、三十年経ってもまだ、銀の弾丸について何も判ってないことだ。移植手術の方法と、各地に散らばる文献だけを残して、魔女とやらは姿を消した」
「そんなもんが実在したのかも怪しいけどな。銀の弾丸は各国の政府が創った科学兵器だって都市伝説まであるくらいだ。そもそも銀使いである俺ですら、あんたと同程度の知識しかない」
世界には解らないことが多すぎる。銀の弾丸の製造方法もそうだし、化け物どもが棲む別の世界というのも現実味が全くない。そういう疑問は、政府や学者に任せておけばいい。俺たちはただ、目の前の腐れ仕事をこなし、霞のような日々を消費することしかできないのだから。
懐に入れていた携帯が、さっきからずっと振動していることに気付いた。
「リザがお呼びだ」
「待ちくたびれたみたいだな。早く行ってやれ」
「はた迷惑なお姫様だな」
代金をカウンターに叩きつけると、俺はバーを後にした。
< 前へ|・・・|5|6|7|8|9|10|11|・・・|次へ >