薄暗い照明が、灰色の部屋を照らしていた。夜の街を埋め尽くす猥雑な光が、閉められたカーテンの向こうで淡く点滅している。黴のような臭気が鼻をつき、シエナ・フェリエールは思わず顔をしかめた。粗末なベッドに腰を掛け、不安と恐怖の混じった表情で淡い唇を開く。
「これからどうするつもりなの?」
 シエナの問いに、部屋の隅で蹲る男は虚ろな目で返答する。
「どうするも何も……、早く成れの果ての街から抜け出さねえと」
「ダニー、本当に私たち逃げ切れると思ってるの? この街を出る前に組織に捕まれば、どんな目に合うのか分からないのに!」
 お抱えの高級娼婦である自分を連れ出して逃亡した構成員を、組織が見逃すはずがない。もし捕まれば、ただ殺されるだけで済むはずがなかった。
「簡単なことじゃないのは解ってる。でも、こんな街からは早く逃げ出すべきなんだ」
「だからってこんな危険なこと……! あなたはただの運転手で、私はただの娼婦。映画の主人公にでもなったつもりなの? 私はあなたのように楽観的にはなれない!」
「いいか、シエナ」ダニエルは真剣な表情になり、両手でシエナの肩を掴む。「俺がお前を守ってやる。だから俺を信じてくれ」
「わかってる。別にあなたを信用してないわけじゃない。ただ……」次を言いかけて、シエナは首を振る。「……ごめん。少し、落ち着いて考えさせて」
 自分たちの置かれている状況は、人の歴史の中で幾度となく繰り返されてきたものだ。多くの男たちが自由への飛翔を夢に見て、多くの女たちが甘い希望に身を預けてきた。しかしシエナは知っていた。彼ら彼女らの物語が、どう終わり、どう語られてきたのかを。
 薄暗い部屋を覆う霧のような絶望が、ふたりを閉じ込めているようだった。

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